第12話 アリッサが女に目覚めるとき 「はじまりはあのイチゴちゃん」

夫がカミングアウトし、アリッサと名前を変えた直後から約2年の間、わたしはアリッサと向き合い、話し合う事を避けていました。


彼女の心のなかの変化について、セラピストとのやりとり、子供たちをどうやって守っていくか、子供たちの将来、女性になることでかかる費用のこと、ホルモン剤を取りつづけることのリスク、彼女の夢や目標、バンコクに住む義理の両親のこと。



話し合わなければいけないことは山ほどあるのに。話す機会はたくさんあったのに。



それを避けてきたのはなぜなのか。



現実を受け止めたくなかったから?



周囲の目に怯えながら生きることに精一杯で、心の余裕がなかったから?



自分の負けを認めることになるから?



いろいろ考えて やっと気付きました。話し合うということは、認めて受け入れること。


認めて受け入れることで、約20年間一緒にいた夫であり、娘たちの父親だった「彼」がどこかに完全に消え去ってしまうのが怖かった。悲しいし、くやしかった。受け入れて認めたら、「彼」に「もう行っていいよ、いってらっしゃい」って言ってるみたいで。



「彼」は、すでに消えてしまって、もうそこにいないのに。残像にしがみついて、「行かないで」って地団駄ふんで、話し合いを避けるという形で反抗してたんですね。悲しい愚か者。



今は悲しい愚か者ではなく、強い賢者に大変身したので、アリッサととことん話し合える自信があります。



ということで、本題。


パートナーのアリッサがどうやって、「女の性」に目覚めていったか。



彼女から聞いた通りに書きます。カミングアウトの日の夜「ヨガで自分の本当の姿に目覚めた」と語ったアリッサでしたが、本当はずっと昔に「あれっ」と思う出来事が何件かあったそうです。



まず幼少期からわたしに出会う22歳の間までの記憶。




一番古い記憶は小学校低学年のとき。お友達の女の子が学校に持ってきたストロベリーショートケーキのフィギュアーがどうしてもほしくなる。




こっそり自宅に持ち帰り、母親に見付かって厳しく叱られたのち、翌日、その子にあやまって返した記憶。



女の子のおもちゃが無性にほしくなったのはそのときだけ。



次は同じく小学校低学年のとき。母親が間違って買って来た女の子用の下着が気に入り、何度か履いたこと。



アリッサはこの一件をはっきりと記憶しているのですが、後ほど、その話をすると母親は「そんなことは絶対なかった」と否定したそう。



さらに、中学生になり、両親の都合で1人で親戚のおばさん宅に泊まったとき。ベッドの下にパンティーストッキングを発見し、衝動にかられ履いてみる。ゾクゾクするほどの快感を覚える。




そして大学時代。親元を離れ、1人暮らしをしていたとき。かつらと化粧品を購入、自室で変装してみる。気持ちがよかったけど、「悪いことをしている」「自分は頭がおかしい」という罪悪感でいっぱいになり、すぐかつらと化粧品を捨てる。アリッサが18歳のとき。



この18歳の変装事件から6年前にヨガをはじめるまで、自分のなかに女性を感じたことはなかったそうです。話してくれてありがとう。知ってよかった。




次回は父親になってから感じた、彼のなかの女の性について書きます。

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