第54話 情報網と電話とゴール目前
前回(第54.5話)は19日目の夜から20日目の夕方までを描いてしまったが、話はまた巻き戻って20日目の朝のことである。
『さあ、チャリンコマンズ・チャンピオンシップもいよいよ大詰め。今日が20日目の朝ですよぉ。
大会開催期間は21日間……と言っても、実際には24時間×21日なので、日付的には22日間の日程。明後日の午後2時まで続くんですけどねぇ。
ですが、トップ選手は既に鹿児島県入り。早ければ今日か、遅くても明日で優勝者が決まりますぅ。皆さん張り切って、腰振って、息を荒くしてイキましょうねぇ』
そう語るミス・リード……林道美羽の傍らには、飛行機のチケットが置かれていた。
鹿児島に向かっている三隅は、向こうに到着次第、ミス・リードの役割を交代する。そうしたら今度は、林道が飛行機で鹿児島に向かうのだ。そうすることで、実況を途切れさせることなく移動ができる。ハードスケジュールすぎるが。
(ついに、閉会式でネタ晴らし、なんですねぇ……)
最後にチャリチャンという、栄えある大会の実況者として名を遺す。それは林道にとって、とても誇らしいことで間違いない。
間違いない、のだが……
(ちょっと、エロネタに頼り過ぎましたかねぇ……ってかこれ、私の親とかも中継で見るのですよねぇ?うわー、同人CDに出てた事とか、コスプレしてコミケで売り子してた事とか隠してたのにぃ)
今更、といえば今更ではあるが、悪乗りして取り返しのつかない事態を自分で招いた認識はある。
(……三隅さんは、初めてAVに出た時とか、どんな気持ちだったんでしょうねぇ)
自分と一緒に『ミス・リード』という偶像を作り上げてきた、自分と声の質がどこまでも似ている女性のことを想う。
林道は初めて同人アニメに声を当てた時、どんな気持ちだったか……まあ大体覚えている。何か反応は無いかとドキドキして、1分に2回は自分の名前をグーグルに打ち込んだものだ。
でも、それはまだ声だけの出演だった。三隅はそうではない。
まさか親には仕事の話をしていないとは思うが、実際のところはどうなのだろう?
それを本人に聞けるのも、面と向かって話が出来るのも、大会が終わった後のことになりそうだ。
『現在、トップ選手たちにも疲労の色が見えてますよぉ。実際、平均速度は軒並み30~40%ほど落ちていますぅ。走行持続時間も、やっぱり大きく落ちていますねぇ。
という事は、ここから順位が大きく変わる可能性も十分あるという事ですよぉ。それに今夜から明け方にかけては雨の予報も出ていますぅ。降水確率は10%程度ですけどねぇ。
皆さん、最後まで勝負は分かりませんよぉ』
と、実況者は言う。観客たちを煽り、大会を盛り上げるためだ。
そして、出場者は言う。
「――逆転は不可能」
と。
ゴールが遠いうちには『勝負はこれから』と思える長距離レースだが、最終局面が近づけばその限りではない。プロのロードレースでも、そういった状態はよく見かける光景だった。
「――私たち後続選手は、ここから完走を狙う程度。優勝は出来ない」
その後続の一人、ニーダは、電話相手に淡々とそれを伝えていた。
ホテルで朝のシャワーを浴びた彼女は、相変わらずドライヤーも使わず自然乾燥で髪が渇くのを待っていた。そんなだからボサボサになったり絡まったりするのだが、化粧っ気も無い本人はまったく気にしない。いや、気にしているけど優先度が低い。
で、そのニーダの電話相手こと、茜なのだが、
『それで、諦めるって話をアタイにしにきたのか?言っておくけど、アタイは友達であってもやる気のない奴を励ましたり、慰めたりはしないからな』
取り付く島もない。彼女は弱音を吐く者や、悲劇のヒロインを気取る者には容赦がないのだ。
もちろん、ニーダもそんなしょうもない用事で電話などしていない。
「――アマチタダカツの情報、欲しくない?」
『聞かせてくれ』
優勝を狙う位置にいて、なおかつそれを狙いに行く茜にとって、敵の情報はありがたい。特に、他の優勝候補の話は聞いておきたいところだった。タダカツに関する情報は大きく不足しているのだ。
なにしろ、戦った者が少ない。追い付けた人がそういない。
ニーダは大会8日目の夜に、あの雪の積もる道でタダカツと戦っている。結果、途中でニーダが気を失い、彼に担がれてホテルまで連れていってもらったのだ。
そんな彼女だからこそ、タダカツの強さを語れる。
「――まず、相手は速い」
『うん。だろうな』
「――そして、雪を恐れない」
『知ってる。で?』
「――それだけ」
『おい』
前言撤回。いくら戦った経験があるとはいえ、それを伝える会話力が無ければ有益な情報にはならない。
『ニーダ。その辺はミス・リードの実況でも知ってるし、そうでなければ今の順位にはなってねーよ』
ニーダはそう言われて、何かないかと思い出す。普段から無表情だが、その顔と裏腹に結構必至で思い出した。
「――あの日、私がホテルまで連れていかれた時の事、ちょっとだけ覚えてる。――気絶していたから、ちょっとだけ、だけど」
『どうだった?』
「――すごく、大きかった」
『切るぜ電話。キレそうだぜアタイ。そういうのはミス・リードだけにしてくれ』
「――でも、いくら小柄な私でも、担いで歩くのは大変だと思う。なのに安定した姿勢でしっかり担いでたから、私の身体には圧迫された跡も無かった」
『……』
つまり、まあ。
普通に身体が大きかった。という話である。
「――それと、近づけなかった」
『近づけない?』
「――うん。相手に接近するでしょ?それから顔を上げると、全然近くに行けてない」
『単に速いだけだろ』
「――違う。距離感とか、次元の話。まるで、虹のふもとを目指してるみたいに……近くに行くと、遠くなるの」
何を言ってるか分からないと思うが、ニーダも何をされたのか分からなかった。ただ、時間操作とか吸血鬼とか、そんなチャチなもんじゃ断じてない。
「何だそれ?ワープでもするのか?」
「――分からない」
「でもな、アイツの
場所は変わって、ホテルの別室。そこで鹿番長も、空に電話をしていた。もっとも、鹿番長が空の連絡先を知っていたわけではない。彼が今持っているのは、一緒にいる綺羅のスマホだ。
綺羅と空は、最初に出会った日に連絡先をちゃっかり交換していた。それが功を奏したわけだ。無料通話アプリの画面には、相手の顔が映る。
「ソラ。お前ひとりか?アカネはどこ行ったんだよ?」
『あ、うん。ちょっと買い出しに行ってもらってるよ。朝ごはん。その間に僕は、自転車のチェーンメンテナンスを任されてたんだ』
「そうか……」
茜にも聞いてほしかった鹿番長は、少し落胆する。
「まあいいや。ソラだけでも聞いてくれ。タダカツはな……追いかけると
『え?』
「俺も4日目に
今思い出しても手足が震える。それがカメラ越しに空に伝わらないように、鹿番長はスマホを置いた。
「
『そっか……』
ばかばかしい話だが、空は笑わなかった。
『ねえ、鹿番長。僕もタダカツさんと戦ったことがあるんだ。初日に、スタート直後なんだけど』
「おお、聞いてるぜ。ミスり姉ちゃんの
『その時、僕はタダカツさんにぶつかられたと思ったんだ。でも、ぶつかってなかった。ただ、身体が固まっちゃって、ハンドルが切れなくなってて……』
「ソラも、か」
空は、鹿番長と電話しながら茜を待っていた。朝日が眩しい公園のベンチ。傍らにはエスケープとクロスファイアが、ピカピカに磨かれたチェーンを光にさらしている。
そこに、茜が戻ってきた。もちろん徒歩で、だ。右手には朝ごはんの入ったコンビニ袋を下げている。
「あ、あか――」
茜――と呼ぼうとしたところで、鹿番長がそれを遮って話し始めた。
『ところで、もう一人の
「え?何?」
『デスペナルティだ。アイツが
壊し屋のデスペナルティ。一見するとなんにでも噛みついているように見えるが、
『俺とやりあった時は、ニーダ姉ちゃんの
「そうだったの?」
『ああ、ちなみにキラから聞いたんだが、キラの
「そう言えば、アタイらが補給地点で出会った八夜さんも、最初は仲良く走ってたって聞いたな。結局は壊されたみたいだけどさ」
茜が会話に参加した。
『おお、アカネ。買い物から戻ってきたのか?』
「久しぶりだな鹿番長。ちょうどアタイもさっきまで、ニーダと電話していたんだ」
『へっ。そうかよ。で、今ちらっと出てきたハチヤ?って野郎は何に乗ってたんだ?』
「ああ、アサヒサイクルのロングテールバイクだよ。88サイクルってやつだな」
「かっこよかったよね」
空が思い出す。鹿番長と同じくらい太い後輪を持った車体だ。インパクトも座り心地も抜群だった。
『見えたぜ!』
「何が?」
『奴の
その言葉に、空は目を見開いた。茜は対照的に眉をひそめる。それをカメラ越しに見た鹿番長は、ひと呼吸を置いてから目を閉じる。
『いいか?デスペナルティが狙ったソラのジャイアントは、アジアで一番の有名ブランド。アカネのセンチュリオンは、ドイツの実質剛健なメーカー。それからニーダのキャノンデールは、アメリカでトップを争うほどの技術を持ったメーカーだ。
これらは一流ブランドだ。
対して、俺のキャプテンスタッグはルック車扱いのブランド。キラのダブルは無名の会社。ハチヤって奴が乗ってたアサヒサイクルは、
そして、デスペナルティが乗るシャインウッドは、ルック車の代表みたいな粗悪品メーカーとして知られている。
つまり、野郎は有名メーカーへの嫉妬で行動してんだ』
それは、同じルック車に乗る鹿番長にも理解できる感情だった。
高級自転車に乗る連中から、やれ「遅い」だの「すぐ壊れる」だの「飾り」だのと言われて、それは腹が立つというものだ。だからこそ、鹿番長は有名ブランドより『速い』ことを証明したくて、周囲にレースを持ち掛けていた。
もし、デスペナルティが有名ブランドより『壊れにくい』ことを証明したかったとしたら、それはどんな行動になるか……
「ケッ。クソ野郎だな」
茜がそう言って吐き捨てた。鹿番長も頷く。
『ああ、虫唾が走るぜ。……ムシズが何なのかとか、そういう
そこに本人がいないとはいえ、嫌な汗が出る。相手は『その程度のこと』のために、笑いながら他人を傷つけてきたのだから。
『おっと、キラが戻ってきたぜ。悪い。戻ってきたら
「あ、ああ。また……」
茜が何か答える前に、あるいは空が何か言おうとする間に、電話は切れた。向こうも忙しいのだろう。
「さあ、アタイらも飯にしようぜ。食ったら出発だ」
「あ、うん」
空はスマホを掴むと、上着のポケットに入れた。そして、デスペナルティを思い出して、少し唇を尖らせる。
その空の心中は、茜にも分からない。
「で、番長。ちゃんと伝えたいことは伝えられたのか?」
「おう、キラ。バッチリだぜ!」
鹿番長と綺羅は、ホテルの駐輪所に向かって歩きながら喋っていた。
「お、あれは……ニーダ姉ちゃんじゃねーか」
「――鹿番長。それに、綺羅」
偶然とはあるものだ。お互いに同じホテルに宿泊し、同じ時間に出発しようとしていたらしい。
「――そう。貴方たちも、ここに……」
と、ニーダは呟いた。
彼女は2日前の分かれ道で、厳しいオフロードの方を一度は選択したのだ。しかしその険しさが予想をはるかに超えていたので、一度ビバークしてから引き返し、長距離のオンロードに戻った。
そのせいで、優勝は絶望的と言えるまで順位を落としている。しかもここから先はオフロードが無いとも聞いていた。自分の得意分野を生かせるポイントが終わり、ここからは一方的に敗北を受け入れるだけの時間だ。
とはいえ、ニーダはまだいい。綺羅と同じように、優勝ではなく自転車のPRが狙いだったからだ。
問題は、優勝を狙っていた鹿番長。
「こっから
「――うん。不可能」
口下手な彼女なりに、相手に伝えたい。気を落とさないで、と――
それをどう伝えたものか分からない。お互いに注目選手として相手の事を知っているが、こうして実際に顔を合わて会話するのは二度目だ。
「――あの、鹿番長。もしよかったら、最後は3人で楽しく、ゆっくりと……」
「さて、それじゃあ急いで出発だ。もたもたしてっと追い付けねぇ!」
「――え?」
追い付く、という鹿番長の発言に、ニーダは瞬き3回程度には驚いた。おそらく彼女の表情としては結構な驚き具合だろう。
一方、綺羅は額に手を当てて首を振っている。
「やれやれ。番長、お前は俺様の話を聞いてなかったのか?」
「あ?優勝は諦めるって話か。じゃあキラとは
「空に情報を与えたのは何だったんだ?『俺様たちじゃ優勝できないから、せめてタダカツに一矢報いてほしい』って気持ちからじゃないのか?」
「
ズガガガガゴゴゴゴゴゴ!!
極太のブロックタイヤがアスファルトをひっかき、鹿番長の身体を放り投げるように加速していく。
「ニーダ姉ちゃんもすぐ来いよ。ゴール前で
風になびく特攻服とリーゼントが、遠くにはためいて消えていく。本当に優勝争いに行くつもりのようだが、どう見ても維持できるペースじゃない。
「ゴメンな、ニーダ。アイツはああいう馬鹿なんだよ」
「――う、うん」
「で、俺様も何の因果か、あんなのにパーツを貸して『ついていく』って約束までしちゃったからな。キミのような美女を置いて行くのは残念だけど、また会おう。俺様とキミはゴールで再会する。キミは完走できるからな。この予言は当たるんだ」
「――綺羅も……」
そう。綺羅も複数のチェーンをジャラジャラと鳴らして、2WDならではの前輪に引っ張られるような加速を見せる。急激に漕ぎだしているのに、前輪は浮かない。
カッコつけたつもりなのか、長い手足を上手く使ったダンシングで魅せる。その背中が曲がり角に消えるのは、あっという間だった。
結局、ニーダだけが取り残された。
「――くすっ」
大きなロードノイズが去った後、残響すら消えた静寂の中に、彼女のくすくす笑う声だけが、かすかに聞こえる。
「――面白い人たち」
空たちは、しっかりと朝ごはんを食べていた。ゆっくりしている時間もないが、鹿番長よりは50kmほどリードしている状態だ。こちらは現実的に見ても、まだまだ優勝を狙える。
「結局、アタイらがこの自転車に乗っている限り、デスペナルティの攻撃は受けるみたいだな。どうせなら反撃して、次郎さんやルリさんの敵討ちといきたいが……まあ、会わないようにするのが無難だろうな」
「うん。そうだね」
茜とこうして一緒に朝ごはんを食べるのも、きっと最後だろう。そう思うと、なんだか寂しい。
この後、いつもの日常に戻ったら、中学校の過程はさほど残ってない。受験もある。それが終わればすぐ卒業の忙しさだ。茜は自転車部のある学校に行ってしまうだろうし、きっともう会う機会も減る。
そんな風に、空は感じていた。
「ゴールが無かったら、いいのにな」
「ん?なんか言ったか?」
「あ、いや。何でもないよ。……えっと、タダカツさんの特殊能力は、どうしよう?」
「それな。アタイはそっちも見当がついてきたぜ。一応このあとアキラさんやユイさんにも話を聞くつもりだけどな。きっと当たりだ」
「え?分かったの?」
「ああ、簡単なトリックだ。手品と言ったら手品師に失礼なくらいの子供だましだよ」
レースは、早ければ今夜か、遅くとも明日には終わる。
「ああ。だからこそ、壊せるだけ壊さないとな」
デスペナルティは、最後の獲物を何にしようかと、記憶をたぐる。レースが続く限りは、この凶行も続けるつもりだ。
「そうだよなぁ、フィニス。相手がゴールしちゃったら、俺たちも手出しが出来ないわけだ。だから早くゴールしそうなやつから潰して、大番狂わせと行こうか」
周囲には誰もいないが、まるで自分の車体と会話するように、独り言を繰り返す。
「ああ、分かってるよ。まずはアマチタダカツを目指しながら、途中で優勝候補と出会ったら壊そう。特に、空君と茜ちゃん。それから史奈さんとか……」
その目には、すでに壊す車体の構造や、だいたいのイメージが浮かんでいる。どこにどう当てて、相手がどう反応するかを見て、どんな風に壊すのか。
「邪魔する奴も容赦なく壊そうか。初日にダークネス・ネロを潰したみたいに。あるいは、ニーダちゃんを潰そうとしたときに鹿番長を突き落としたみたいに、さ。もうルック車も無印品も関係ないね!」
ベキベキベキベキ……
ギアが上がる。
Tourneyのボスフリースプロケットが軋み、ディレイラーハンガー無しの直付けが歪む。細身のライザーバーハンドルが振れ、逆JIS組のホイールが悲鳴を上げる。
デスペナルティの身体も、同じく限界を超えていた。
脚の血管は膨れ上がり、ときどきズボンの内側に赤い点をつける。関節は炎症を起こして腫れ、喉は焼け付いて声も出しづらい。
それでも彼は、走り続ける。
「フィニス。安心してね。俺だけは、お前が求めるもの全部を奪ってくるからさ。くぅっはははははははぁ!」
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