第4話 鬼灯城

 木々から漏れる朝日を背中に、鷹丸と晴姫は歩き始めた。


 昨晩、晴姫はずっと二つの墓標に祈りを捧げていた。溢れ出た悲しみは次第に両親への感謝に変わり、繋いでくれた命を生きぬく覚悟にまでなっていた。

 

 獣道から街道に出ると、鬼灯城を目指す。

 鷹丸は晴姫の手を取り、歩調を合わせ進んでいく。両親との思い出話を彼女から聞き出しては、その感情に寄り添った。


 するとしばらくして、一軒の茶屋が見えてくる。のぼりに描かれた団子の文字を鷹丸は晴姫に知らせると、彼女は跳ねるように声を上げた。




「ああ!鬼灯城はこの先だよ!」


 二人分のお茶と団子をお盆に乗せた中年の女性はそれらを並べ、そう言った。


「私らもね、鬼灯城ができたからここで茶屋を始めたのさ」


 女性が語るに、鬼灯城は数年前まではただの廃城だった。茶屋の者達は駿河するが(静岡)からの出稼ぎのため噂程度にしか知らないというが、それを親切に話してくれた。


 【忘れ去られた廃城にいつの間にか城主と百人ほどの民がいた。その城主は常に顔を隠しており、素性を知る者は誰もいない。異常な早さで廃城を強固な城郭都市に変えたことで、近隣諸国から数百の兵が送られたが、民のひとりも死なすことなくこれを全滅させた。】


 こうして恐れられた鬼灯城だが、今は近隣から人が流れ、着々とその規模は大きくなっているらしい。


「城主の白飾はくしょく様にはお会いした事がないけれど、とても聡明な方らしいんだ!あの方が現れてから、つまらない小競り合いはほとんど起こらない。白飾はくしょく様には感謝だね!」


 ここは、上野こうずけ(群馬と埼玉の一部)と甲斐(山梨)、そして信濃(長野)と三つの境にある土地である。昔から小さな争いが多く、治安の良い土地とは言えなかった。だが山が多い分、一つの城の出現で大きく情勢は変わり、周辺大名が鬼灯城と白飾様を自陣営に取り込もうと必死なのだと言う。そのため、この街道を通る人数も年々増えているようだ。


 そんな会話が終わりを見えた頃、晴姫が女性に声をかけた。


「このお団子!とても美味しいです!それにこの形も、とても不思議で楽しいです!」


「そりゃ嬉しいねー! それは十団子とおだんごって言うんだよ! 鬼よけの有難いお団子さ」


 それは複数の丸い団子を数珠のように糸で通して連ねた一品。女性は駿河の国の団子だと、腰に手を当て胸を張り自慢げに語った。



 二人は充分に休息をとり、また歩き始めた。

 茶屋が遠くなると晴姫は神妙な面持ちで話始める。


「実は私は、白飾はくしょく様への嫁入りが決まっております……」


 彼女の告白も鷹丸は薄々ながら勘づいていた。そうであるならば、襲われる理由は明白だからだ。


「私は上野国こうずけのくにの武家の娘にございます。どこでお耳に入ったのか、盲目の私を白飾様は大変気に入ってくださり、つい先日、ご挨拶に鬼灯城を訪れました。そして、嫁入り準備のため国に帰る最中に……」


「やはりそうでしたか……。あの賊どもは雇われたと言っておりましたね。上野国に鬼灯城を取らせまいと他の勢力が仕向けたのでしょう……。貴方を人質に有利な交渉をしようとして……」


 晴姫はコクリと俯きながら頷いた。


 鷹丸は彼女とその両親の落胆を思った。

 この時代だ、きっと彼女の家はその評価を大いに上げたはずだ。より重役へと上り詰める事ができただろう。だが、あの牛車の中で、身を挺して晴姫を守った姿はそれだけでは語れない。

 盲目の娘が嫁に行けるなど、想像できていたのだろうか。彼女の様相を見れば多大な愛を受けていたのが分かる。厳しく教育をうけていたのが分かる。

 きっと、彼女の花嫁姿が見れる事を両親は喜んでいただろう。晴姫も彼らにその姿を見せたかった。

 彼女の表情がそう語っている。


「私はきっと、国に帰らずに縁を結ぶ事と思います。鷹丸様とお話するのも、今日で最後になるでしょう……」


 鷹丸はそれも理解していた。二人は身分が違う。命の恩人という肩書きも、その差を埋めるには不十分すぎる。


「それでは、今のうちにたくさん語り合いましょう!」


 鷹丸は自身が知っている美しいもの、楽しい事、思いつく限り全てを話した。一つ一つに晴姫は笑顔を見せ、興味深そうに質問を返してくれる。それに答えるとまた彼女は嬉しそうに笑うのだ。

 鷹丸は初めて、旅をしていて良かったと思えた。


 そうして、とうとうその道の先に鬼灯城が見えるようになる。楽しい時間がもう終わりなのだと気がつくと晴姫は鷹丸に質問をした。


「鷹丸様は、これからどうされるのですか?」


 心配そうな声だ。晴姫も彼は悲劇の中にいるのだと理解している。

 だからこそ、青年は明るく答えた。


「晴姫様のような強い煌を持つ者なら、この鬼を退けられると知りました! 強い煌を持つ封師を探します! 晴姫様のおかげで希望が見えました!」


 二人は門に向かって歩む。すると門前の番兵達がこちらに、いや晴姫に気がついた。一人は城に向かって走り、もう一人はこちらに駆け寄ってくる。そしてすぐに牛車が現れ、城へと案内されるのだ。彼女はもう城主の妻として扱われている。


 二人の手はもう繋がれてはいなかった。


 鬼灯の海が風に揺れている。




「なんてことだ……。ご両親のことは残念でならない……。だが、其方そなたが無事で良かった……」


 白い公家衣装を着た男、白飾様は晴姫の話を聞くと肩を落としてそう答えた。

 白飾はくしょく様は、肌の一片すらも見る事ができない。自身の容姿に自信がないのだろうか、それならば盲目の晴姫を妻とするのも合点がいくと鷹丸は思う。

 身体もそこまで大きくはない。だが、強者つわものらしくその声は勇ましく男らしい。


「鷹丸と申したな。よくぞ晴姫を救ってくれた。是非褒美を授けたい! 何なりと申せ!」


 鷹丸は旅人のため、身軽でいたいとそれを丁重に断った。そして、すぐに立ち去ると語る。だが、それでも白飾様は褒美を渡そうと食い下がった。


「ならば、持ち運べるだけの金銭を。それだけではない。この城下町での支払いは全て持つ。腹も減っているだろう? 湯屋もある! 鬼灯も美しい! 是非一日ばかり休んでいってくれ」


 身分の高いものにここまでされては、旅人の身である鷹丸は無碍にすることができなかった。その褒美に応じると白飾様は声高らかに従者を呼ぶ。


 現れたのは弥太郎やたろうと名乗る二十代後半の男。弓矢を携え、畑仕事でもしていたのか紺色の小袖の裾を少しばかり泥で汚していた。鷹丸はその格好と筋肉質な小麦色の手足を見て、農民と武士の中間のような印象を受ける。


「今日一日は鷹丸の側にいて、不便をさせぬように」


「御意!」



 鷹丸は晴姫に別れの言葉を言わなかった。彼女ももう他所様の妻だ。身分の差もある。下手な事をして白飾様の機嫌を損ねては彼女に悪い。それ故に、深く礼をするだけでその背中を晴姫に向けた。

 彼女にその姿が見えていないことも忘れ、鷹丸は弥太郎に城の外へと連れ出された。



 鷹丸は弥太郎やたろうに案内されるがままに町を歩いた。建って数年といったまだ新しさが残る長屋が軒を連ね、人々で賑わう通りでは子供達が楽しそうに大人達の間を駆けていく。ふと目に入った茶屋では老人達が声高らかに笑い、ホッとした表情で茶を啜っては会話に花を咲かせていた。

 

 そんな平和な光景も鷹丸の目には何故か色褪せて見える。


 そして、弥太郎が絶賛する飯屋に入ると玄米、魚、汁物を食す。だが、鷹丸にはどこか味気なく感じてしまう。今何を口に運んでいるのかも曖昧で、興味も湧かない。



 ああそうか、またひとりになるのか


 鷹丸は心に開いた穴を思い出した。


「鷹丸様。お疲れのようですね。湯屋に行きましょうか」


 そうして、湯屋に訪れた。服を脱ぎ、浴場へと入る。身体の汚れを落とし、檜風呂の湯に浸かる。身体がほどけていくように心地よい。湯に浸かるのはいつぶりか、覚えてもいない。じんわりと少しずつ心も解けていた。


 自然とその瞼が閉じていく。湯煙のように瞼の裏に現れたのは牛車の簾。それをめくると晴姫が座っている。


 ひとりの少女との出会いに鷹丸は想い馳せる。


 彼女の放った言葉が頭の中に浮かんでは消えていく。


【強い煌を持つ封師を見つける】


 彼女に向けて自身が放った言葉が、鷹丸を現実に引き戻した。

 晴姫がくれた希望を鷹丸は思い出したのだ。それを胸中に抱くだけで心の穴が塞がっていく。

 目を開ければ自然と視界が明るくなっていた。檜の香りも、心地良く感じられる。


「鷹丸様、お顔が明るくなりましたね。お疲れは取れましたか?」


 弥太郎は微笑んだ。


「素晴らしいお湯です。心身共に汚れを洗い落とせました。見ると色々な方がこの浴場を利用できるのですね」


 周りを見渡せば、老若男女が湯に浸かり身を清めている。


「白飾様は綺麗好きな方で、誰もが入浴できるようにと寺院のように施湯せゆを設けているのです。それも毎日」


 そう弥太郎は自慢げに語る。鷹丸は町の平和な状況に関心を示しつつ、ふと目についた事を弥太郎に尋ねた。


「その首元のアザ、他の人にもありますね」


 隣で湯に浸かる弥太郎は自身のアザを右手で触る。

 この場にはその首元のアザがない者の方が少数と言えた。


「流行り病に罹らぬように、定期的に古い血を抜いているのです。最新の医学なのですよ。それに白飾様は血の巡りも重視されておりまして、夏でもお湯を使い身体を清めるようにとおっしゃいます」


 身体の健康などと鷹丸は考えたこともなかった。これまで調子の悪い日はあれど、病に罹った事はない。もし、自身が病に倒れて死にかけた場合、この鬼は出てくるのだろうか。もし出るのなら、気をつけなくてはならない。

 そんな事を鷹丸は考えていると弥太郎が立ち上がる。


「鷹丸様。長湯もそれはそれで身体によろしくありません。もう上がりましょう」


 湯屋を出ると、既に日は傾き夕暮れとなっていた。心地良い風が身体の火照りをさらっていく。

 すると、遠くからお囃子の音が聞こえ始めた。

 弥太郎の表情が明るくなる。


「白飾様は、封師でもあるのです! つい先日、鬼を仕留めてくださいました!!」


 弥太郎が指さす方向を鷹丸も見る。夕闇の中に人だかりができていた。そして、何かがお囃子と共に近づいてきている。


 鷹丸は目を凝らす。

 若者達が集まり、何かを担いでいる。活気のある声を発しながら時には高く上げ、時には揺らし、周囲の者達にそれを誇示している。


「神輿?」

 

 いや違う。


 担いでいたのはが乗った木組みの台であった。


 その光景を見た瞬間、鷹丸はその鉄槍の柄で弥太郎を殴りつけた。不意の攻撃によって倒れた弥太郎から弓矢を奪い取ると、城に向かって走る。


「晴姫様が危ないッ!!」


 鷹丸は天守閣を睨んだ。



「え……!?」


 天守閣。

 晴姫は背後に現れた鬼の気配に振り向いた。

 だが、盲目の彼女には分かるはずもない。

 その鬼の気配を放つ存在が白飾様と同じ姿をしているなどとは。

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