君の名はたかお。

@typefriendsc

第1話

 あの子は春風とともに現れた。僕はそれを見て恋をした。とても簡単な話だ。


 親の都合で編入した学校はとてもいいところだった。先生も同級生も優しくて、このクラスでこれから学生生活を送れるのを大変うれしく思った。ただひとつ、何日も席の空いた机が気になっていた。

 

 そしてそれは急に現れた。三限目の移動教室から帰ってくると彼女がいた。教室の窓から入ってきた桜の花びらが風で舞い上がり、彼女の周りを漂っていた。

 眼鏡をかけた小柄な彼女は、本を読む姿がとてもよく似合いそうな可愛らしい容姿をしている。彼女の周りだけ時間の流れが違うような、世界が違うような、そんな風に見えた。


 休み時間のうちに、なけなしの勇気を振り絞って彼女に話しかけてみた。



「はじめまして、今学期からクラスに編入してきたんだ。これからよろしくね」

「はい 成瀬です」

「成瀬さんっていうの?」

「男の目になりましたね」

 

 驚いた。僕はそんなにがっついていただろうか。なってないよ!と言おうと思ったがそれは失礼かもしれない。それにずっと左上を見ているばかりで目線を合わしてくれない。何か怒らせるようなことをしてしまったのだろうか。

 ええっと、その……とごにょごにょしてしまっていると友人が僕の手を引いた。


「あーだめだめ。こいつ腹減ると大沢たかおみたいになるんだよ」

「その薬は……ペニシリンと言います!」


 そういって友人は彼女にスニッカーズを手渡した。彼女は一瞬友人の方を見て頭を下げ、ものすごい速度でスニッカーズを食べた。それからまた左上を見た。

 足りなかったらしい。

 

 深呼吸しよう。別に動揺してるからとかじゃなくて、今なんとなく息を吸ったほうがいいかなって思ったから。

 そんな脳でもつつかれたような狂った人物が現実にいてたまるか。おそらく彼女は相当にノリがよく、友人のボケにのっかったのだ。天才だな。そうに違いない。

 心の平穏を取り戻した僕は意を決して彼女に再び話しかけた。


 「あはは、成瀬さんって面白いね」

 「そうですよね 私はここで、生きてるんですよね 

  ありがとうございます、咲さん。ありがとう…!」


 空がきれいだなぁ。小鳥は歌い、華は咲き乱れている。江戸時代を生きていた人も風を感じていい日だなって思うことあったのかな。ていうか窓誰かいい加減締めろよ。ガンガン花びら入ってきてるんだけど。


「お腹いっぱいじゃないとまともに話せないからあんまり構わない方がいいぞ。あと別に成瀬って名前じゃないよこいつ」


 友人は僕の耳元で呟いた。そうか、僕は彼女の名前すら知らなかったのか。クラスメイトなのに、目を見てすらもらえない。どこまでも遠かった。

 だから逆に燃えた。だからこそ、彼女のことを深く知ろうと思った。


 数日間観察して理解したことがある。彼女はそれはもうとてもよく食べる。そして家がとても貧乏らしくまともに食事がとれていないようだ。つまり、彼女はずっと大沢たかおであることを背負わせれているのだ。

 その日から、僕は決意した。彼女と話がしたかった。彼女に目を見てほしかった。過酷な運命を背負わされた彼女に、普通の女の子として生活してほしかった。そんなわけで、下心アリアリの餌付けの日々が始まったのだ。

 大沢たかおについて勉強をして、少しでも彼女に近づけるように学び続けた。彼女の言葉の意味を理解できるようになるにはそれでも随分と時間がかかった。

「次は移動教室だよ」

「帰ろう クアイの里へ」

「ほら、蟹だよ」

「俺、ここの学生じゃない。目障りなら、もう来ない」

「ほら、ココナッツだよ」

「この薬は、道名津(ドーナツ)といいます」

 

 そんな日々が続いて。季節は廻って、日が落ちるのが早くなり、教室に茜色の夕日が差し込むようになった日。僕は彼女と一緒に、先生に頼まれた資料を作っていた。

 もうそろそろ作業も一区切りして帰ろうかと思ったとき、彼女は僕の制服の裾をつかんだ。彼女は一度迷ったような表情をしてから、口を開く。


「どうしてあなたは私に優しくしてくれるんですか?」

 

 僕はすごく悔しくなった。彼女のセリフがどの作品の大沢たかおのものなのか分からなかったからだ。しばらく必死に思い出そうと頑張ったけど、結局駄目だった。

 少しでも彼女と大沢たかおについて知れたと思ったけど、まだまだのようだ。仕方がない、恥を忍んで彼女に答えを教えてもらおう。


「ごめん、降参だ。それ何のセリフだっけ?」

「これは、私の言葉です」





「え?」





 空いてる時間があれば食べるものを供給し続けていれば、彼女も人間なんだしそりゃいつかはお腹いっぱいになるよな。考えてみれば当たり前だ。

 大沢たかおについて調べるのが好きで、大沢たかおについてハマりすぎて忘れていた。そもそも……なんでこんな必死になってたんだっけ?


「忘れちゃいました。いいじゃないですか、そんなことは」

「ええ……」

「でも今、君の名前を、君の口から教えてほしいと思った。

 はじめまして、前学期から編入してきたよ」


 そう、だれかに教えてもらうんじゃなくて一歩踏み出して、君のことを知りたいと思ったんだ。その気持ちを彼女に伝えると、彼女は珍しく大きな声で笑った。


「あはは。私も勇気出して、手紙でも書いてみようかな」


 彼女にどうして今まで話してくれなかったのか聞いてみると、すごく構ってもらえるので、僕が大沢たかおの大ファンだと思ったらしい。大沢たかおの真似をやめるともう構ってもらえないと思って、お腹いっぱいのときでも大沢たかおの真似をしていたという話をきいて、僕はすごく遠回りをしてきたことにようやく気付いた。

 

 後日談。

 彼女とは普通に話をできるようになった。時々左上を向くことはあるが、それはもう癖らしい。

 だけど今日は左上ではなくうつむいている。せっかく大沢たかお宛に書いた手紙を風に飛ばされて無くしたので落ち込んでいるらしい。大丈夫だ、これからだよこれからと慰めると、私は風に向かって立つライオンでありたい、とさだまさしの言葉が返ってきた。

 僕は言葉に詰まり、誤魔化す様に左上を眺めた。

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