第4話「一人旅」

 男は一冊の本を手に取った。ずしりと重みのある、古書だ。

 古すぎて、読めるはずも無い文字を男は淡々と眺める。

 男の口元には、笑みがあった。

 無くした最後のパズルのピースを発見して、それをはめ込んだ時のようにスッキリとした気分だった。

 男はようやく手がかりを発見したのだ。それは、彼の任務でもあり、彼自身の願いでもあった。

 その本を脇に挟んで、彼はその場を後にした。


*****


 椿が愛莉の家に来たあの日から、三週間が過ぎていた。彼女はあれから一度も姿を現していない。一体どうして急に会いに来たのだろう、その疑問だけが愛莉の中に残っていた。

 十二月も中旬に差し掛かり、一段と寒さが厳しくなった。こういう時女子高生は不公平じゃないだろうか、と愛莉はいつも思う。タイツだけでは防寒にもならないだろう。

 学校は相変わらずだったが、一つだけ変わった事があった。それは、キアの存在だ。転校初日からキアはずっと愛莉の元へと通っている。誰がどう見ても、愛莉に気があるのではと解るほどだった。


「アイリ、アイり!! ボクのおべんと見てみて~!」

「あ、キャラ弁ってやつですか? 可愛いー」

「えへへ~自分で作ったんだヨ!」


 時刻は午後十二時四分。

 丁度、昼休憩の真っ最中である。自慢げに自分の弁当箱を、愛莉に披露する楽しげな声が教室に一際響き渡った。愛莉の反応が良かったので、キアはとても上機嫌だ。

 彼は毎日、一つ下の学年である愛莉と市瀬とお昼を共にしている。市瀬は話に混ざる事は少なかったが、愛莉らと一緒に食事を摂っていた。クラスメイトはそれを遠巻きに見ている。話しかけてくる様子も特になく、ただ見つめているだけだ。もうクラスメイト達もこの光景に慣れてしまったのだろう。

 暫くして、市瀬は早々に弁当を平らげ、またいつもの様に外の景色を眺めに入った。キアは食べるのが遅く、愛莉より大き目の弁当箱なので休み時間ほとんどを弁当に費やしてしまう。焦る様子も無く楽しそうに、愛莉の正面でにこにことから揚げを口へと放り込むのだった。


 学校は特に変わった様子も無く、愛莉は千明と話し、昼になればキアと市瀬と弁当を食べ家に帰る毎日。最近は、事件もなく平穏な毎日だった。

 しかし今日は違っていた。愛莉が家に帰ると、リビングで熱心に何かを読んでいる誠志朗がいた。古ぼけた本で、触れば直ぐに破れてしまうんではないかと思うほどだ。その本を、誠志朗は手で持ち上げて読んでいた為、愛莉はその表紙を確認する事が出来た。


『狼 伝奇』


 愛莉は背筋をゾクリと震わせた。その古書は独特の雰囲気を醸し出していた。表紙は汚れており、読めた部分より前にも文字があるのだが、読み取る事が難しかった。

 何故、誠志朗がそんな古い本を、そんな内容の本を手に取っているのか謎が多すぎる。震える声で、愛莉は尋ねた。


「お兄ちゃん……? その本、何?」

「っ愛莉!?」


 本に集中していたのか、誠志朗は愛莉の声に驚いて見せた。そして、焦った様にその本を閉じ手元にあった鞄の中に仕舞い込んだ。


「ねぇ、なんでそんな本読んでるの?」

「別に気になっただけで……」


 誠志朗が今まで読書している姿を、愛莉は見たことがなかった。自分の部屋で読んでいる事はあるのだろうが、リビングでというのは初めてだ。それだけ、その本に何か重大な事が隠されているに違いない、と愛莉は思った。


「ほら、愛莉、母さんが洗濯物取り込んどけだってさ」

「ちょ、お兄ちゃん!!」


 はぐらかす様に言って、誠志朗は自分の部屋へと戻っていった。

愛莉は煮え切らないまま、仕方なく洗濯物を取り込む。あの本はなんだろう、その疑問だけが頭の中でぐるぐると回っていた。


*****


 次の日は土曜日だった。愛莉はこんなに休日が待ち遠しいと思った事は今までにあまりない。念入りに、化粧を済ませ自分の一番のお気に入りの服を選んだ。

 リビングに行くと家族は驚いた様に愛莉を見つめる。


「まぁ、驚いた」


 母親の佳代だ。楽しそうに、そんな事を言う。


「休みの日に愛莉がお目かしだなんて、とうとう彼氏でも出来たのかしらね、アナタ!」

「何!? うちになんか連れて来るんじゃないぞ、愛莉!」


 まったくこの親は……。

 愛莉は半ば呆れつつ、自分の席へと着いた。隣の誠志朗に目を向けると、こちらをじっと見つめていた。


「な、何?」

「出来たのか、彼氏?」

「へ?」

「どんな奴だ? まさかあの市瀬とか言う……」

「ち、ちょっと待って!」

「お前な、きちんと鏡見たか?」

「な、何で?」

「瞼ンとこ、マスカラ付いてる」


 言われて、愛莉は急いで洗面所へと戻る。

 あーっ! という叫びと共に、バタバタと物音が響く。誠志朗は深くため息を漏らすのだった。


 愛莉は今、都心行きのバスの中にいる。そう、愛莉がおめかししていたのは、彼氏とデート……などと言う甘酸っぱい青春の為ではなく、矢葺町から二時間程掛けて都心へと行く為だった。

 目的は、国立図書館。そこへ行けば、あの本の手がかりもあるかもしれないと思ったからだ。

 バスは砂利道からアスファルトへと変わり、田んぼばかりだった風景も見上げても天辺が見えない程のビルへと変わった。


 着く頃には、お腹の虫が悲鳴を上げていた。その虫を宥める為、愛莉はファーストフード店へと足を運ぶ。矢葺町には、そんな店は数えるほどしかなかった。それに母親の佳代がファーストフードを好まなかった為、食べる機械もそう多くない。

 人の流れに逆らいながら愛莉は店のドアを引いた。外の寒さを感じさせない店内の暖かさに少し驚きながら、最新作だという辛子マヨバーガーを注文する。

 そこは高校生、新商品という言葉に弱かった。

 商品を受け取り、席へと着いて、辛子マヨを手に取る。マヨネーズの美味しそうな香りが鼻を刺激し、愛莉はそれに被りついた。少しピリ辛のマヨネーズソースが肉との相性抜群で、愛莉は直ぐに食べ終えてしまった。


 店を出て、地下鉄の駅へと向かう。

 また乗り物に揺られる事数分、図書館へとやって来た。最初入り口がどこにあるのか迷ったが、愛莉は無事に館内に入る事が出来た。

 愛莉は、司書の元へと行き狼関係の本があるかどうかと、最近誰か狼の本を借りたかどうかを確認をする。司書の対応は速やかで、パーソナルコンピュータにキーボードで文字を打ち込み、それをリストにしてプリントアウトしてくれた。

 また、最近本を借りたかどうかについても答えてくれる。


「お一人、古い本を借りられていますね」

「有難う御座います」


 愛莉は丁寧にお辞儀をして、司書から貰ったプリントを眺めた。狼、とついた本は予想以上に多かった。絵本や、文庫本といった類も含まれているからだ。年代の古い物から見ていくか、と愛莉は設置されている椅子に座る。

 それから愛莉は、本の場所を調べ本を手に取り、という作業を繰り返して、気になった本を自分が座っていた席の机の上にどかり、と置いた。

 ざっと数えても二十冊以上ある。

 愛莉はまた席に座り、持ってきたノートとペンケースを鞄から取り出して一番古めかしい本の表紙を見つめた。

 やるしかない、と自分に言い聞かせてその本のページを捲り、気になる単語をノートへと写し取っていく。

 その作業を18往復した頃だった。一冊の本が愛莉の心を鷲掴みにした。

 それは、狼男またの名を『人狼』と言った。


「お兄ちゃんの借りたあの本……」


 きっとこの人狼が関係しているのでは、そう直感で理解する。それからは靄が晴れたような気分になった。けれど、人狼なんてものは存在するわけが無い。では、何故そんな本を誠志朗は熱心に読んでいたのだろう、愛莉の疑問は増すばかりだ。


「姉さん」

「え?」


 背後から小さな声で呼びかけられた。振り向くと、そこには椿の姿があった。


「椿ちゃん!?」


 予想以上に自分の声が大きかった事に驚き、また周囲を気にし、愛莉は声のボリュームを落とす。


「どうしてこんな所に……」

「ごめんなさい、姉さんの後をつけさせてもらったの」

「え……?」

「姉さんは、知っているの? 私たちの家系の事を」

「え、何のこと……」

「貴方だけが知らないなんて、知らされていないなんて、そんなの絶対におかしい! 貴方だけが苦しまないでいいなんて、そんなの不平等よ……」


 椿はうわ言の様に呟いた。愛莉は訳が解らずにどう答えていいものかと悩む。


「場所を、変えましょう姉さん」

「う、うん……」


 愛莉は、自分の知らないその事実を聞く事が、少し躊躇われた。椿は本を元の場所に戻すのを手伝ってくれ、本を探す時よりも早く片付けることが出来た。

 椿の服装は、いつもの様な着物姿ではなく、洋服を見にまとっている。彼女らしい薄い色合いのワンピースは、彼女が身に着けることでますます際立っていた。図書館に来ていた男性が振り返るほどには、彼女は魅力的だった。

 二人は本を戻し終えて図書館を後にした。これから語られる真実に、愛莉は絶えられるのだろうか。





「ねぇ、こんなのはどうかしら?」


 少女は淫らに着物の裾を肌蹴させ、男の耳元で囁いた。その甘く可愛らしい声に男はくすくすと笑っている。


「あの女に本当の事を話してやるの。そうすればきっとあの女、壊れるわ!」


 考えただけで可笑しかった。何故、自分は早くにこうしなかったのだろう。

 自分の策に絶対の自信を持っている彼女は、唯可笑しそうに笑った。

 しかし、男は気付いている。彼女のその考えは、幼稚だと。

 けれど、その事実は伝えない。男にとって、彼女は唯の食事でしかない。

 彼女に加勢してやる義理も無い。しかし、男はそこで提案をした。


「じゃあ、こんな作戦はどうかな?」


 壊れるのは、きっと、彼女の方だろう…………。

 そう思いながら、男は少女の細い首筋に歯を立てるのだった。

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