兎と亀の狂想曲

紬 蒼

第1話 兎と亀

 かの有名な『兎と亀』の話は知っているだろうか。


 二匹が山の麓のゴールを目指して競争をするのだが、足の速い兎は途中で居眠りをし、その間に亀が一生懸命歩を進めて先にゴールするという話だ。


 とある地方テレビ局に兎月うづきという入社一年目の女子社員と亀丸かめまるという入社五年目の男性社員がいる。


 二人はテレビ局の中の放送部というところでCMを放送する仕事をしている。

 同じ部署にはアラフォーの課長の鮫島さめじま、彼らの先輩である三〇代半ばの烏丸からすまがいる。

 主にこの四人で仕事をこなしているのだが、兎月はデスクに頬杖をついてじっとモニター越しに向かいの席の亀丸を見つめた。


 入社一年目の新人でもこの亀丸がいかに仕事ができないか知っていた。

 いくら先輩とはいえ、時折キレそうになる。


 兎月がこの仕事を選んだのはキラキラした仕事だと思ったからだ。

 テレビ局、CMとくれば周りはなんだか分からないけど凄いと思ってくれる。

 が、実際は違う。

 まず第一に兎月は職場がテレビ局なだけで直接テレビ局に雇用されている訳ではない。

 一応正社員ではあるが、所属は別会社だ。

 いわゆる中小企業でテレビ局の新入社員と比べると給料は月とスッポン。

 仕事も残業が多く、しかも不規則極まりない。

 そりゃテレビ局っていうからには不規則な仕事だと想像はついていたが、ADじゃないんだし、CMを作る仕事でもないんだから残業なんてほとんどないんじゃない? という浅はかな考えで面接を受けた。

 残業についても勿論聞いた。

 が、忙しい時期だけだから、という曖昧な返答で納得してしまった。

 それを悔やんでいるが、福利厚生はテレビ局のものが適用されている部分もあるので、それなりに今の仕事を楽しんでもいる。


 しかも同僚も上司も面白い人や優しい人が多く、人間関係も気に入っていた。

 ただ一人を除いて。

 それが亀丸だ。


 性格は良い。

 気配りも努力も空回っているが人当たりも良く、周りからも好かれてはいる。

 だが、仕事がデキない。

 一年が経とうかという兎月の方がデキるので東京支社に次いで大変な本社を担当させてもらっている。

 対する亀丸は支社担当が精鋭揃いの大阪支社を担当している。

 ほとんどを支社の人達が頑張っているから何もすることがない、というのが実情で何か問題が起きても支社の方である程度解決してから亀丸の元に来るので実質亀丸は何もしなくても良いのだ。

 亀丸が仕事がデキないのは支社の人達も良く分かっているようで、最終確認的なことしかしない。

 よっぽど判断を必要とする案件については鮫島課長の方に直接話が行く。

 それでも支社の人達からもこっちに出張で来た時は飲みに誘われたりして愛されている。

 デキなくても愛されるって凄いな、と兎月は思う。


「何?」


 兎月の熱い視線に気づいて亀丸が不審そうに問う。


「……枠内、まだみたいですけどぉ?」

 そう言うと亀丸は兎月の予想通りの答えを吐く。

「割付がまだ終わらなくて……」

 いや、違うだろ、と心の中で毒づいて兎月はにこりと笑う。

「タイムのチェックできないんで、先に枠内終わらせてもらえますぅ?」

「あ、そっか。そんな時間か」

 そう言って亀丸はようやく画面を切り替える。


 ちなみに。

【枠内】とは正確には枠内編集。

 一日のCMスケジュールを管理するものでCMの流れる順番を決める作業。


【割付】とはCM素材をCMスケジュール表に基づき割り付ける作業。

 大手広告代理店の場合、それを自動で行えるシステムがあるが、手作業でしなければならないところも多いのが実情。


【タイム】とはCMには大きく分けてスポットとタイムというセールス枠がある。

 すごくざっくり大雑把に説明すると「ご覧のスポンサーの提供でお送りします」と言われるCMがタイム。それ以外がスポット。


 この会話、ほぼ毎日なんですけど?

 それに枠内って午前中に終わらせようねって決めてますよね?

 忙しい時は先輩はお昼ご飯食べながらでも枠内やってますけど?

 てか、何年この仕事しとんじゃ、ワレ?


 一気に心の中で毒づき、深呼吸してそれらをグッと腹の底に押し込む。

 そして笑顔を作って自分の仕事に戻るべくマウスを握り締めた。


 金曜は業務試写会で誰よりも早く話題の映画が見られる!


 それが兎月の今週のご褒美だった。

 のだが。


「有休取ろっかなぁ」


 兎月は一瞬、空耳かと思った。

『ユウキュウ』と聞こえた気がした。


 いやまさか。

 有給休暇を略したアレではないよな?

 だって今、めちゃくちゃ忙しいじゃん?

 毎日定時が一九時だっけ? と思うくらい残業してるじゃん。

 てかその前に枠内は終わったのかよ?

 終わったなら言えよ。

 私は明後日業務試写会に行きたいんだよ。


「先輩、明後日有休取っていいですか?」


 隣の席の烏丸に亀丸が言うと烏丸はチラと卓上カレンダーに目をやった。


 言えっ。

 そんなん取ってる場合かって。


 そう兎月は烏丸を見つめたが烏丸の答えは兎月を裏切るものだった。


「ま、いいんじゃないか?」


 その瞬間、兎月は心の中で「ええぇぇぇ?」と叫んだ。


 私の業務試写会……


 そう絶句して落胆した兎月はキッと亀丸と烏丸を睨んだ。

 それから枠内の画面を開いて兎月はマウスを投げつけたい衝動に駆られた。


 終わったなら言えよ。

 こっちは待ってんだよ。

 仕事の基本はホウレンソウだろ。

 相手が後輩でも報告しろや。

 てか先輩のお前がチェックする側だろうが。

 後輩にチェックされる屈辱はないのか?


 そんな兎月のイライラはご褒美デーのはずだった金曜に爆発することになる。

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