大都会のシンデレラ
文野麗
現在一
何が起きているのかわからない。
突然アタシ以外はみんな動かなくなって、だんだん色が薄くなっていく。人も車も紙のように皺が寄って、破れて、遠ざかっていく。いつの間にかアタシの身体は宙に浮いていて、すごい勢いで上へ上へと引き寄せられていく。覚えのある浮遊感。でも生きた心地はしない。薄いオレンジ色の雲みたいな塊を掻き分けて光の中へ吸い込まれる。何か思い出しそうな気がする。
そうだアタシは眠っていたんだ。目を開けたら白い天井とベッドの隣の壁が目に入るだろう。アタシはたあちゃんのベッドの上に横になっていて、たあちゃんはまだ家にいるはず。
全部思い出したとき、光は目の前いっぱいに広がって、勝手に瞼が開いて、そこには思った通りの景色があったんだ。
「起きたか」
たあちゃんはちゃんと部屋にいた。
「おはよう」
「おはよ。顔洗って来い」
洗面台の前に立つと湿ったタオルの臭いがする。濡らしたら悪いから、着ているジャージを更にまくり上げて顔を洗った。きれいな水はすごく貴重なんだ。歯を磨くのも朝晩の日課に戻った。清潔にしているのは大切なこと。人として。
電子レンジの音が鳴る。テレビは朝のニュースを流している。いつも見ているこの番組はどんな内容でもアタシたちの朝のBGMになる。眠気と朝ご飯の味がするんだ。
容器の形がそのまま残ったご飯にふりかけをかけて食べる。ふりかけがたくさんかかっているところと少ししかかかっていないところで味が違う。でもおいしい。最近わかったことだけれど、アタシは硬めだったすみれのご飯よりも粒と粒がくっつくくらいの軟らかいご飯が好きなんだ。たあちゃんと食べるパックのご飯が世界で一番おいしい。
たあちゃんはかぶりつくように盛られたご飯を掻き込んでいる。
「ねえ、アタシさっき起きる時ね、目が覚める前にたあちゃんの部屋にいるってちゃんとわかったんだよ。初めて思い出せた」
「そんなんいちいち思い出すのか?」
「思い出すよ。目が覚めるとき天井とか見覚えあると安心するんだ。いつも眠りから醒めるとき怖いけど、今日はそんなに怖くなかった」
「へえ」
「毎日どこで起きるかわからない生活してると目が覚めたときの景色が予想できないからね」
「そうか……。それより今度、ちゃんとした茶碗買おうな」
アタシは自分の手元に目をやる。
「これでも十分だよ? お茶碗じゃなくても」
「でもそれただの小鉢だし、ダメだろ。茶碗なんて百均に売ってるから買ってやるよ」
「悪いよ」
「お前も働くんだから問題ねえじゃん」
食器なんてどうでもいいのに。本当は食器よりも替えの服が欲しい。でもそんな欲張りを言ったらたあちゃんに嫌われてしまうかもしれない。だから言わない。
お給料が入ったら、まずは服を買うんだ。
ちょっと前まで他人の家にいる感じがして、たあちゃんが出かけた後は落ち着かなかったけれど、この頃は自分の家なんだと思える。通販番組を眺めながら、まともになれたな、と思った。テレビをぼんやり眺めるなんて呑気な行為は三ヶ月くらい前まで全く縁のないものだった。
間違いなく、あとちょっとで身体を売る羽目になっていたにちがいない。そうならずに済んだのは、たあちゃんがいたからなんだ。
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