あなたを見守る星のように II

 

 世界総人口約五十億人。

 そのうちヨーサリの人口は行方不明及び未登録者含め約二億人。


 過去の栄華に縋る老いたヨーサリは未だに「世界はヨーサリのものだ」などと宣う。しかし数字を俯瞰すればそれが誤りだとすぐに判る。世界はヨーサリのものではない。

 老いたヨーサリが手放せない栄華とは、ヨーサリ研鑽の歴史である。よく学び、よく励み、心身ともに豊かな者にのみ魔力ルキは宿ると先人たちは信じていた。故に彼らはよく学び、よく励み、心身ともに豊かになるべく努力をした。ヨーサリは今から百年前が一番栄えたとされている。しかしそれは所詮、過去だ。昔の話で今の話ではない。


 水しか出なかった蛇口から、ワインが出るようになる。ヨーサリの技は魔力ルキを持たない者、アシタと呼ばれる者たちからすればそのような奇跡に等しかった。魔法の蛇口を世界が放っておくわけがない。ヨーサリはその力、知識を披露するよう世界から懇願された。武力というかたちの奇跡を。


「戦時中、捕虜はいい方だ。その次に良いのは射殺。でも大抵拷問されたり、研究と称して切り刻まれたりしたんだ」


 耳障りの良い低音。凄みのある声。アルヴィンの声は穏やかとも威圧的とも捉えることができ、これが彼の声の特徴でもある。理性と怒りの狭間で職務を全うしようと心がけているのだろうか、その声は時々掠れていた。

 決して大きな声ではない。けれども取り押さえられた小太りな男は全身をガタガタと震わせていた。無理もない。彼の脚には一丁の拳銃が突きつけられているのだから。


「おい。なんでヨーサリがそんな目に遭ったか分かるか? 戦争に兵器として駆り出されて、酷使されて、最期は悲惨な末路。なぁ、お前は理由を考えたことがあるか?」

「ハァッ……、ハァッ」

「今のお前なら分かるだろ?」


 ローレンスが【ギャブリエル】の魔力ルキを使い、特別制圧対象を取り押さえたのは数分前のことである。遅れてきたアルヴィンたちが現れるまで、小太りな男はローレンスの椅子になっていた。

 到着したアルヴィンに男の身柄は委ねられ、そのまま拘束。本部への移送。かと思いきや、拘束した状態でアルヴィンは小太りな男を地面に伏せさせ、言葉を投げかけ始めた。


 魔力ルキを使って悪いことをさせた人に、もう二度と魔力ルキを悪用させない。


 キョーコに伝えた信念を特別制圧対象の骨に刻むため、アルヴィンは言葉を続ける。


「怖かったんだ。アシタはヨーサリが怖かった。身を守るために殺し、打ち勝つために研究をしたんだ」


 百年前は大小合わせると数えきれないほどの争いが世界を覆っており、ヨーサリたちは戦争に参加することを義務付けられた。

 それ以前は怪しい術を使う魔女として周囲に忌避されていたヨーサリたちは、進んで戦争に参加したという。彼らは自分たちの居場所が欲しかったのだ。戦争に貢献すればアシタたちが自分たちを仲間だと認めてくれる。そこが居場所になる。そう信じて魔力ルキを使った。

 しかし彼らの奇跡の技や彼ら同士の圧倒的な戦闘を目の当たりにしたアシタたちは恐怖を覚えた。至極当然の反応である。恐怖は不安を煽り、兵士ではない者にまでそれは伝わった。息をするように多くの人を殺戮するヨーサリたち。アシタたちは彼らを恐れ、そして打ち勝つために、研究へ勤しむこととなる。


 百年前の戦時中におけるヨーサリの悲惨な死は、結局魔女狩りそのものであった。


「ヨーサリは被害者だ。でも加害者でもある。実際一人当たりが人を殺した数はアシタよりヨーサリの方が多い。同じようにアシタも加害者で、そして被害者だ」

「……わ、わかった! わかったから!」

「わかった? 本当に? お前の台詞は『ヨーサリとアシタは同じ生き物で人間で対等で、共存のために相手に敬意を払い合う関係だと理解した』と言う意味か?」

「ああ! あぁ、そうだッ! 悪かった! 俺が悪かった! つまんねぇ事でヨーサリとアシタの関係を不必要に傷つけた! 謝る! 謝るから!」

?」


 顎だ。顎を撫でている。

 彼らの様子を研修生として遠くから眺めていたキョーコはそれに気がついた。アルヴィンが苛立ちを咀嚼するための癖に。男性の中では丸い部類に入る緩やかな顎を神経質そうに撫でるその姿。年下の自分に気を遣って敬語で話しかける優しい彼を、キョーコはやはり少し怖く感じた。


 戦争を生き残ったヨーサリたちは自分たちの生き方を模索した。どうすれば生き残れるか。どうすれば魔女として吊るされずに済むか。どうすれば明日アシタを迎えられるか。

 結論は予め決まっていたと思う。彼らは彼ら以外に常に善であることを誓ったのだ。もう悪いことには魔力ルキを使いません。その代わり自分たちを魔女と罵ることなく受け入れてほしい、と。

 実際にはその後も世界各国では小さな小競り合いが現在でも続いており、兵士としてのヨーサリが存在する。しかし以前まではほぼ野放しだった魔力ルキを使った犯罪を積極的に取り締まる組織が各国に設立された。ヨーサリの保護特区も設けた。保護特区の教育機関ではヨーサリたちに道徳規範を徹底的に指導している。その甲斐もあって現代社会のヨーサリとアシタの関係はかなり向上してきている。


 故に。だからこそ。

 アルヴィンは小太りな男に容赦をしない。


「…………鼻が……」

「え?」


 思わず声が漏れたのはキョーコである。思いもよらぬアルヴィンの台詞を聞き間違えたかと、つい吐息に疑問を乗せてしまった。小太りな男にそんな余裕はなく、荒い息を懸命に抑えようとヒィヒィ鳴いている。アルヴィンは今夜、最も大きな声で特別制圧対象に怒りをぶつけた。真夜中のテ・ルーナ王国が揺れる。


「お前が殴った彼女ッ、鼻が折れてたんだぞ! 鼻だけじゃない! お前が殴ったところ全ッ部が真っ青になってた!」

「そ、それはっ、」

「アシタだから、女だから、娼婦だから? 殴っていいと思った? 自分の思い通りにならなかったから?」

「……ッ! こ、ここはッ! テ・ルーナ王国は観光国で……、この中央区は歓楽街があんだけ盛り上がってんだからよぉ! い、いいだろッ、別にッ! 女ひとりくらい好きに遊んだって!!!」

「……お前は化石か?」

「へ?」


 アルヴィンは、小太りな男の価値観を非難する言葉を放った。恐らくは無意識に。

 世界を未だ掌握していると思い込んでいるヨーサリがいることは確かだ。しかし多くのヨーサリが、その考えを改めるべきだと認識している。解っているのは表面上だけでもいい。内心ヨーサリとアシタに種の優劣をつけていたとしても、テ・ルーナ王国では何の罪にもならない。しかしその価値観を行動で示した瞬間、テ・ルーナ王国は牙を剥く。繰り返し宣言するが、テ・ルーナ王国は世界最大のヨーサリである。


「お前みたいな古くて焦げ付いた思考回路の持ち主が、ヨーサリとアシタの信頼を駄目にするんだ」

「だっ、だ、だかっ、だから! それについては謝ってるだろ!! 銃を退けろ! 退けてくれ!!」

「いいや退けない。彼女の代わりにカタをつけなければ」

「アッ、や、め……!」


 うつ伏せで地面に寝かせられていた男の膝裏に、銃口が当てられた。まるで女の肌を撫でる男の手のひらのように、アルヴィンの銃口は男の太ももを滑る。


「……や、やめろッ……なに、な、な、なにすんだ!?」

「復讐という教育だ。道徳の授業だ」

「違うだろ!? 見せしめだ!! そんなことしてみろ!! お前もタダじゃすまなーー……、」


 言いかけた台詞は乾いた破裂音で遮られた。赤褐色のレンガに鮮血が滴り落ちる。弾を放った銃口が一瞬跳ね上がるのを、キョーコは生まれて初めて目の当たりにした。


「ギッ……ーーーー!!」


 お決まりの絶叫。来ると分かっていたはずなのにキョーコは身体がビクつくのを抑えることはできなかった。一歩後ずさる。背中に何かがぶつかる。ニコーレだった。彼女は少し考えたあと、困ったようにキョーコへ笑いかけた。

 いたい、いたい、いたい。

 小太りな男は両手で自らの耳を守るように覆い、滴る血液を止めようと押さえつけていた。アルヴィンは男の耳たぶを撃ったのだ。即死するような傷穴ではない。掠った程度だ。血の量も多くはない様にキョーコには見えた。けれども男は海老のように丸くなり、ガタガタと震えていた。

 そんな彼の太ももを、またしてもアルヴィンが銃口で撫でる。男の言動には一切見向きもせず。


「やめろやめろやめろ!!! いッ、いだい!! 痛いから! 分かったから!!」

「…………」

「は、ひ……ッ」


 アルヴィンは銃口を男の体で最も弱い部分に突きつけた。男は悲鳴すらも止め、陸に打ち上げられた魚のように苦しそうに口をはくはく、と動かす。

 と、この辺りでキョーコの視界は途切れることとなる。気絶するほどヤワな彼女ではない。冷んやりとした手のひらが視界を覆っていたのだ。ニコーレに背後から目隠しをされている。キョーコのポニーテールを避けながら、ニコーレが彼女の耳元で囁く。

 下品だからね、と。

 キョーコの背中にはニコーレの豊満な胸が緩く押し付けられていた。もちろんニコーレに他意はない。けれどもその感触にキョーコは少しどきりとする。同じ女であっても戸惑う状況だ。任務中に相応しくない感情のためキョーコは冷静を努める。否、努めるフリをした。

 キョーコとニコーレを除いた男性陣の特捜隊はすっかり大人しくなった犯人に、怒りを混ぜながら説教を続ける。


「僕たちは君に対しての制圧行為を許されてるんだ。きちんと国が決めてるルールに則ってるよ。だから君を制圧するためにアルヴィンが引き金を引きました。残念ながら『タダで済む』んだ。そんなことも知らないでこの国で遊んでたの? っていうか君の【ギャブリエル】、雑魚すぎて笑えるよ。さっき君をワザと逃してあげたの分かってる? 君が二分四十秒かけて走った距離、僕は十秒で走りきった。自分はその程度なんだーって理解するチャンスだったのに、僕が捕まえる時「俺の【ギャブリエル】に敵うもんか」とか言って暴れちゃってさ。僕は大丈夫でも魔力ルキ使って殴ったら痛いんだよ? その程度の魔力ルキでもさ」


 キョーコの耳に入ってくるのはローレンスの甘い声による途切れのない叱責だけ。小太りな男に関しては息遣いすら最早聞こえない。


「そもそも人を殴っちゃいけないってのも知らねーくらいだ。倫理観が欠けてる」

「確かに」


 アハハ、というローレンスの小さな笑い声。アルヴィンは早口に言葉を進める。


「力を示すことで興奮を得るタイプ。合意なしでコトに及んで、女が怯えれば怯えるほど喜ぶ倒錯者。……暴力が殺人に切り替わるのも時間の問題だな」

「……ひ、」

「コレが無くなればその衝動は収まるか?」

「ッウワァアアアッーーーーーー!!」


 男ならば誰でも縮み上がる場所で、冷たく硬い感触のそれが少しでも動いたら?

 きっと皆発狂寸前になるだろう。小太りな男は最後の力を振り絞ったのか、錯乱の末の不具合なのかは分かりかねるが、手足を無様にバタつかせた。そして匍匐前進をしてどうにかアルヴィンの銃口から逃れようとする。人が地面を這いずる音。キョーコは確かにそれを聞いた。しかし、次の瞬間。


「きゃっ、」


 再度発砲音。

 キョーコの耳を乾いた音が貫く。十七年間生きてきて彼女は今日初めて銃声を耳にしたわけだが、こんなに全身に響くものだとは知らなかった。彼が握っているのが拳銃ではなく散弾銃だったらもっともっと身体を揺さぶられるのだろうか。

 キョーコは視界が戻った先に、動かない男の体があるのが怖くて、そんな考えに逃避する。ゆっくり解放される目の前。ニコーレは冷たい手をキョーコの瞼から肩へ移動させた。しっかりとその肩を抱きながら優しく言葉をかける。


「任務成功だよ。お耳、大丈夫?」

「え、ぁ……はい、」

「良かった……。アルヴィン!! キョーコちゃん耳栓まだ貰ってないんだよ! いくら君の銃だからって耳栓無しじゃキーーーンってするんだから!」

「あっ……!ごめ、あ〜〜……キョーコさん、大丈夫ですか?」

「耳ですかっ? ちょ、ちょっとだけびっくりしたけど、大丈夫です。なんかすみません」

「アハ、藤夜とうやの人がすぐ謝るのって本当なんだ」

「ローレンス、無自覚だろうけど君のそういうの失礼だから」


 普通だった。

 閻魔のような赤く燃えたアルヴィンは消え失せ、ローレンスは美形の顔面をへらりと笑わせ、ニコーレはプリプリ頬を膨らます。キョーコが彼らと初めて会った時のような雰囲気が目の前では展開されていた。

 ふと、キョーコの端でもぞりと動く何かがあった。小太りな男だ。生きている。それがこの国にとって幸いかどうかは知らないが、キョーコはホッとした。死んでいたら、怖かったから。


「ニコーレ、頼む」

「はい」


 ニコーレは男に近づき、腰に巻きつけていたポーチの中から止血帯を取り出す。そして男の太腿に巻きつけていた。撃たれたのは太腿のようだ。男は痛みに震え、断続的に悲鳴をあげている。咽び泣くようなその声をキョーコは哀れだと思った。被害者がいる手前、感じてはいけない感情のはずなのに、可哀想だとも思ってしまった。だって、失禁してる。キョーコはその現実から思わず顔を背けた。


「死なないよ。ちゃんと法廷で裁いてもらおうね」


 ニコーレの励ましがキョーコには励ましには聞こえなかった。

 アルヴィンが刻んだのは、魔力ルキを悪用しないという信念ではない。恐怖だ。力で、恐怖を植え付け、服従させた。


 力で脅し、女を甚振る男。

 力でねじ伏せ恐怖で服従させる男。


 アルヴィンと犯人は同じではないか。キョーコは必死でそんなことを考えてはいけないと自分に念じた。そして懸命にアルヴィンと男の違いを探す。アルヴィンは私利私欲のためにやったわけではない。アルヴィンは任務でやった。アルヴィンはこの行為を楽しんではいない。それから、それから。



ーーーーーーーパチパチパチパチ



 突如、それは降ってきた。

 キョーコを含めた特捜隊の頭に拍手が降りかかる。雨のようにという陳腐な表現が相応しく、疎らで、統率がなく、しかし絶え間ない。一体何事かとキョーコが夜空を見上げれば、彼らを囲うようにして建つ店の窓から、無数に人の手が覗いていた。

 窓から覗く手、手、手。顔はない。手だけだ。たくさんの窓からそれぞれ手だけが出ていて、そして拍手をしている。男の手、女の手、子どもの手はないが様々な年齢の手が拍手している。

 異様な光景だった。この手の正体は分かる。人間だ。駅前ということもあり、一階が店、二階が住居になっている建物の中から人間たちが拍手をしているのだ。あれだけの声量、あれだけの銃声。真夜中であっても人々が起きてしまうのは仕方がない。しかし、一体何に対する拍手なのだろうか。


「やー、どーもどーも」


 答えはアルヴィンの返事にあった。キョーコはこの雨は、特捜隊への賛辞なのだと悟る。アシタの女性を襲った暴漢を完膚なきまでに叩きのめした労いの雨でもある。住民は見ていたのだ。泣き叫ぶ犯人を追い詰めるアルヴィンたちを。そしてその行為を賞賛している。

 なんて、なんてーーーー……


「相変わらず歪んでる」


 枯れた落ち葉のような声色。キョーコはハッとする。キョーコの隣で青年は無数の手に対し、手を振り返していた。仲の良い友達にするように和やかに。けれども台詞だけはキョーコに向けられ、毒を放つ。


「正しいことをしているとは思ってない。でも、これが今のテ・ルーナの限界なんです」


 テ・ルーナ王国。ヨーサリがアシタと共に住まう王国。ヨーサリの保護特区であるはずが、やはり彼らはここでも居場所を作ろうと必死である。

 ヨーサリが犯した罪に対し、アシタたちを含めた国民の目の前で過激に報復することで、ヨーサリたちは自らの安全地帯を作り出す。


 魔女が魔女狩りをしているんじゃないか!


 キョーコは言えなかった。アルヴィンの顔に誇りではなく葛藤の笑みが浮かんでいたからだ。

 無数の手は徐々に部屋に帰り、小さな窓たちはパタリと口を閉ざした。賛辞は止む。テ・ルーナ王国はしじまを取り戻した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る