平凡魔道士は、逆風の中でも前を向く

佐和 宙恵

第1話 

あなたがいる世界を、私は知ることができない。


けれど、あなたが今、どこで、どんなポジションに立っていたとしても、私とあなたを取り巻く、この世界、その共通点を1つだけ、上げることができる。



――人の中で生きる、難しさ


その始まりは魔法学校の在学期間を終え、いよいよ騎士団に所属が決まった、3月の事であった。


「シュナ、フランツ騎士団配属だってね!

誰もが憧れる、王国直属騎士団の頂点!!すごいよ!うらやましぃ~!!」


後ろからエマに勢いよく背中をはたかれ、私は口に含んでいたシャンパンを吹き出した。


せき込む私にかまいもせず、エマは続ける。


「い~な~。フランツ騎士団、今回も倍率すごかったらしいよ~。

なんせ今は、イケメン剣士のロベル様がいるからね~。くそー、私も白魔法専攻なら受けてたんだけどなぁ」


「エマ、卒業パーティだかって、調子に乗りすぎ。シャンパン全部吹いちゃったよ」


「いーじゃん、今日くらい無礼講!

シュナは~どうせフランツ騎士団なんだし、どーせズンズン出世しちゃうんでしょ?

偉くなったら、今みたいに背中もバンバン叩けないじゃん!」


そういうとエマは、最大限に振りかぶり、再び、私の背中を思い切り叩いた。


周りは、そんな私達にはかまいもせず、学生生活最後の日を、シャンパン片手に祝い合っている。


卒業式後の恒例である、中庭での野外立食パーティは、今年で25回目だそうだ。


青々と茂った芝生の上には、白いクロスが引かれた長テーブルが並ぶ。


卒業生、先生、学校の関係者、彼らはグラスを手に軽食を楽しみながら、晴れ渡った空の下、別れを惜しみ、思い出を語り合っていた。


「やぁ、シュナ、エマ、楽しんでる?」


ふと、私が顔を上げるより速く、エマは声の主に飛びかかった。


「クレイン先生!卒業前にもう一度ハグを!」


そんなエマをさらりとかわし、先生は私のもとへと寄る。エマは勢い余って、顔面からすっ転んだ。


「なんだ?エマはもう酔っているのか?」


「うーん。このシャンパン、アルコールは入ってないはずだから、酔うということは……」


私が言葉を濁すと、先生は困ったように微笑んだ。

その瞬間、さわやかな風が私の前を駆け抜け、同時に、先生の前髪を揺らす。


胸にヒリリと痛みが走る。が、私はその正体を分かっていた。


別れの、痛み。


私は、クレイン先生の笑みが好きだった。

この3年間、先生は私たちの指導者として、ずっと支え続けてくれいた。


光で透ける灰色の髪に、深緑の落ち着いた瞳。困ったとき、いつも隣にいてくれたこの先生とも、今日でお別れなのだ。


「あれ、元気ないね?今日は門出の日だよ?笑わなきゃ」


ぽんと、私の肩に手を乗せる先生。指先のぬくもりが、体に伝わってくる。


「……先生、本当に今までありがとうございました。

こんな私のために、フランツ騎士団に推薦状まで書いてくださって。

本当に、なんとお礼したらいいか。

わ、私、本当に、先生のことが」


顔を上げ、絞り出すように声を発した瞬間、エマが思い切り、後ろから先生の首へと飛びついた。


「先生~、今日でお別れなんて寂しいよ~!たまには学校に、遊びにいっていい?また先生と、薬や薬草の話とかしたいよ!」


「もちろん、かまわないけれど。ただ仕事をし始めると、なかなか学校にまで来られないんじゃないか?

なにせ、君たちはこれから、国中を旅していくのだから。王国の平和は、お前たちの手にかかっているんだ」


先生はエマの腕を静かに振りほどき、諭すように言った。


「そんなことないよ。シュナなんかはさ、王国直属騎士団員だから、しょっぱなから魔物退治とか国境防衛とか、色んなところに駆り出されるだろうけど。

私はそこらへんの、フツーの民間騎士団ですから。せいぜい隣町に荷物を運ぶとか、そのくらいだよ」


「なんだ?その言い方。いじけているのか?おまえらしくもない」


ふてくされるエマの顔を覗き込み、先生は優しく彼女の赤い髪に触れた。


こういう時、エマの性格は得だな、なんて心底思う。

感情を素直に表に出せるエマを、うらやましく思ったのは、今日が初めてではない。


「就職先なんて関係ないさ。大事なのは、自分の持ち場で、どれだけ頑張れるか、なんだよ?なぁ、シュナ?」


「へっ、あ、はい」


いきなり話を振られて、たじろぐ私。


「それにしても、本当によかったな。フランツ騎士団に決まるなんて。今年もすごい倍率だったそうだよ?」


「そ、それなんですけど」


気が付くと私は、口火を切ったように話し始めていた。

エマに負けじと、自分の心境を吐きだそうとしていたのかもしれない。


「なんで私……なんでしょうか?

自分の成績や、実力くらいわかっています。受験したのも、なんというか、記念受験ってくらいの気持ちで。

受かるなんてその……全然思っていなくて。

贅沢な悩みなのは知っています。

でも私、本当に、びっくりというか、困惑してるっていうか。決まってから、もう2週間たったのに、未だに受け入れられていなくて。その……」


ふと、顔をあげると、ぽかんとした表情で、黙って見つめる、先生とエマの姿があった。それに気が付き、私も我に返る。


「あっ、す、すいません、なんかベラベラ急に話してしまって。こんなの、なんか自慢みたいですよね。はは……」


「そんなことないよ!」


すぐさまエマが口を開く。


「どーりでこのところ、暗い顔してるなって思ってたんだよ~。

も~、思ってることあるなら、言ってくれればいいのに!

ま~、でも確かにそうだよね。

シュナの成績、ぶっちゃけ中の中くらいだったし、学校からの推薦状や内申点をみても、それはわかるわけじゃん。

もっとすごい人が沢山受けてただろうに、ねぇ」


悪意のないエマの言葉が、私の胸に突き刺さる。でも、まさにそうなのだ。


騎士団とは、4人編成の戦闘プロフェッショナル集団のことを指す。


団、といえば、2000人以上の師団や旅団を思い浮かべる人もいるだろうが、私達の指すそれは、自警団のようなもので、どちらかといえば『班』や『パーティ』に近い。


護衛、警備、防衛等の戦闘を伴う任務を主な仕事としており、魔獣が巣くうこの社会において、必要不可欠な存在だ。


白魔道士というのは、そんな騎士団内で、救護、回復に努める職種である。比較的女性の希望者が多く、この枠をかけて毎年熾烈な就職戦争が繰り広げられているのだ。


その中でも王国の雇われ騎士団であるフランツ騎士団は、競争倍率もトップクラス。しかし、そんな全国の優秀な志願者を押しのけ合格したのが、なんと私、なのである。


「シュナ、君には良いところが沢山ある。それは推薦状にも書いたつもりだ。

あとは……、君は他の人に比べて、本番に強いタイプなんじゃないのかい?」


「そんな……、緊張しやすいので、むしろ弱い方です。筆記テストも、自己採点あんまりよくなかったし……」


「まぁ、就職試験なんて、どう転ぶかわからないところがあるしね。

特に面接なんて、八割試験官の好みで選んでいるようなものだし。ま、暗い顔をせず、今は素直に、自らの幸運を喜べばいいよ。なにかあれば、いつでも相談しに来なさい」


そう言いながら、先生は、手を私の右肩に置き、真正面からしっかりと、私の目を見た。


「応援してるからね」


気まずさで、思わず目をそらしそうになるが、それももったいなくて私は、先生の瞳にくぎ付けになった。体中の血液が頭に上っていくのを感じた。


「シュナ、顔真っ赤~!」


「え、いや、その、そんな!ちょっとエマ!」


 思わず先生の手を振りほどき、エマを睨む。が、エマはそんなこと気にも留めずに、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべている。


「まぁ、とにかく二人とも、卒業、おめでとう。ほら、最後の日だ。乾杯しておこう」


「うん!するする乾杯!いくよ~、せーの、カンパーイっ!!」


 先生も、エマも、そして少し控えめに私も、グラスを上げた。


空は限りなく澄み渡り、私は、その透明な青を、グラス越しに見つめた。

何も心配はないよ、おめでとう。

晴天が、神様からの祝福を表しているような気がして、私は少しホッとした。

そして、太陽の降り注いだシャンパンを、体へと流し込んだ。


炭酸が強く、喉の裏が少し、ヒリヒリした。



こうして、私の最後の学園生活は終わりを告げた。

学園の寮は、昨日のうちに引き払ってしまったので、私は馬車を呼び、一旦実家へと帰ることにした。馬車に乗り込む瞬間まで、私の傍にいてくれたのは、エマだ。


「見送りまでいいのに……」


「いえいえ、私たち、一番の親友同士じゃん!それに、私はまだしばらく寮にいる予定だから、問題ないよ!それよりさ、シュナ。ちゃんと、手紙書いてね!」


「うん、もちろん。街の景色の絵ハガキなんかで、送るよ」


「そっかー!シュナ、しばらくはリッツガルドが拠点だもんね。いーなー、首都!都会色に染まらないように、注意してね!」


と、太陽のような明るい笑みを浮かべ、エマはいつも通り、勢いよく私の背中を叩いた。


この、ひまわりのような笑顔も、かわいい八重歯とも、しばらくお別れだ。


荷物を積み、馬車に乗り込む。もちろん、エマとの握手も忘れてはいない。エマの強い握力に圧倒されながらも、私は微笑み、学園を後にした。


最後にエマの姿を見ようと、馬車が走りだした直後、私は窓から身を乗り出し、学園と、その前に立つエマの姿を見た。

最初は力強く手を振ってくれていたエマだった。

が、徐々に遠のき、一定の距離が離れた時、彼女はふと、手を下ろした。


ひどく神妙な面持ち――その表情は、あまりに深刻そうで、私が今まで見たことのない顔つきだ。私は、そんなエマに驚き、慌てて首を引っ込めた。


なんだろう。私との別れを、寂しがってくれているのだろうか。

いや、寂しい、だけではなく、なんというか、案じている、という表情だ。まるで、死地に赴く戦士を見届けるような。


私は、姿勢を正し、ぎゅっと手を握りしめた。

大丈夫。大丈夫。初めてのことをする時は、誰でも恐れを感じるし、周りの人も心配してくれる。普通のことだ。ごく、普通の……。


道が悪いのか、馬車は思いのほか揺れていたが、私は全く気にならなかった。

ただ、握った手の平が、汗でどんどん湿気ていくことは、充分に感じ取れた。

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