聖ライラの秘蹟

猫目 青

第1話



 石造りの部屋には、少女の死体が転がっていた。裸である彼女は白い裸体を絨毯の引かれた部屋に横たえていた。緩やかな黒髪は裸体を包み込み、彼女の瑠璃の眼は固く閉じられている。

 首には絞殺されたことを示す、青白く細長い跡がついている。その首には、鮮やかな薄紅色の紐が巻き付けられていた。首の横には掌を上に向けた両手があり、両掌に紐の先端が乗っている。

 さらに奇妙なのは、彼女の周囲に描かれた複雑な図形だった。

「生命の樹?」

 おそらく血で描かれたであろうその図は、彼女を取り囲むように描かれている。 彼女の右手首に大きな傷があることから、その傷から出た血で描かれたものと推測できた。図案は彼女の遺体の下にも広がっている。どうやら彼女はこの図案が描かれてから、その上に全裸にされて寝かされたらしかった。

 僧衣に身を包む少年は少女のもとにしゃがみこみ、その図をまじまじと見つめる。 幾何学模様を思わせるそれは、なるほど樹を図案化したものに違いなかった。13世紀あたりからユダヤ教の神秘主義で使われるようになった生命の樹だ。

「やはり、犯人はユダヤ人ですか?」

 少年の横に立つ修道女が口を開く。

 妙齢だか整った顔立ちの女だ。緑のアーモンド型の眼を細め、女は笑ってみせる。ヴェールに隠れた銀糸の髪がはらりと彼女の頬を掠めた。笑みを刻む厚い唇がなんとも蠱惑的な印象を与える。

 少年ルイスは苦笑して、首を横に振ってみせた。ルイスは紫苑の眼を細め、眼前に広がる遺体に微笑んでみせた。

 ルイスは今回の事件を受けてヴァチカンから派遣されてきた異端審問官だ。数々の事件を解決してきたルイスでも、今回のように難解な事件にはめったに遭遇しない。

「神の聖なる樹を彼らが汚すとは思えません。これは、彼らをスケープゴーストに仕立てあげるための悪巧みでしょうね」

 ルイスは隔離地区に住む彼らに思いを馳せた。大陸の辺境に位置するこの国ですら、彼らは救世主たるキリストを殺した民族として追害される。キリスト自身もまたユダヤの王ダビテの血筋だというのに。

「はたまた、悪魔の仕業かもしれませんわね。またこの部屋で死んだ人間がでるなんて」

「死んだ人間」

「えぇ、悪魔に魅入られてこの尖塔から身を投げた美しい娘がいたんです。亡くなったこの子とは親友同士でした」

 ルイスの言葉にこの修道院の長たる修道女は微笑んでみせる。蠱惑的な彼女の視線は、部屋の窓へと向けられていた。

 両開きの板戸が張られた窓の中心は十字架の形に切り取られ、そこに羊毛紙が貼り付けられていた。

『神よ、なぜ私をお見捨てになったのですか』

 羊毛紙にはラテン語でそう記されている。磔にされたキリストが死の間際に発した言葉は、陽光に照らされほんのりと暗がりに浮かび上がっていた。

 修道院の尖塔に位置するこの部屋に窓は一つ。それも垂直に切り立った塔の壁面を登らなければならないので、外部からの侵入はかなり難しい。

しかも遺体発見時、この窓は内側から施錠されていた。

 それではと、ルイスは窓の反対側にある扉へと顔を向ける。残念ながら、こちらも遺体発見時にはしっかりと施錠されている。

「完全なる密室ですわね」

 妖艶な声がルイスの耳を叩く。振り向くと、彼女は両腕を組んで悩ましげな表情を浮かべていた。

「まさかライラが悪魔に見いられていたなんて……」

 緑の眼を曇らせ、彼女はそっと遺体へと近づいていく。彼女はしゃがみこみ。愛しげにライラの頬を撫でた。悲しげに眼を細め、彼女はライラの頬に唇を落としたのだ。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る