第4話 情動

 事件から一ヶ月くらいが経った。

 あの日以来、伊舞いまいは学校に来ていない。


「じゃあこの問題を――、リカク、答えてみろ」

「……おい、リカク。さされてるぞ」

「リカク……! リカクったら!」


「リカクー!! 聞いてんのかー!!」


 木村きむらの怒号が飛んでくる。


「……?! はっ、はい!! なんですか!?」


 俺はといえば、ずっとこの調子だ。

 伊舞のことが気がかりで、寝ても覚めても頭から離れない。


 ある日、そんな俺を見かねて、紅蘭くらんが声をかけてきた。


「みかこのこと、本当に好きだったのね」


 相も変わらず直球をぶち込んでくる。


「……そんなんじゃねえよ」


「心配なんでしょ? 会いに行ってみる?」

「お前……?! 伊舞の居場所を知っているのか?!」

「へ?? お家で休んでるんじゃないの?」


 紅蘭の提案で、伊舞の家に見舞いにいくことになった。

 伊舞の親から目の敵にされていることは分かっていたが一目でもあいつの顔を見たかった。





 伊舞の家は俺んちの隣町にあった。威厳のある古式の豪邸が俺たちを迎える。

 入口は固く門で閉ざされていて不気味な緊張感が漂っている。


 俺の存在を知られたら厄介なので紅蘭にインターホンを押してもらった。


 ピンポーン! ピンポーン……! ピンポーン……


 チャイムの音が広い屋敷に響き渡る。


「はい、どちら様でしょうか?」

「みかこさんのクラスメートの紅蘭と申します。今日はみかこさんのお見舞いにきました」

「少々お待ち下さい」


 インターホンごしにひそひそと話す声が聞こえてきた。


「……どうされますか……?」


 誰かに指示を仰いでいる。おそらく声の主はこの屋敷の使用人なのだろう。


「申し訳ございません。みかこ様はただいま安静中のため、ご面会の許可は致しかねます」

「そうですか……。ではお渡ししたいものがあるので取りに来ていただけますか? 学校のお知らせなどもありますので……」

「かしこまりました。ただいま参ります」


 しばらくすると大きな門が開き、作務衣を着た使用人らしき男が出てきた。

 俺は使用人にばれないように少し離れた場所で様子を伺う。


「これとこれと……、あとこちらです。みかこさんにお大事にとお伝え下さい」

「わざわざありがとうございました。ですが、今後は急なご来訪はお控え下さい」


 使用人は紅蘭から渡しものを受け取ると、鋭い目つきで俺たちに釘を刺した。


 ゆっくりと伊舞家の門が閉まっていく。


 ガシャン!


 結局、伊舞とは会えずに終わってしまった。


 これで良いのか……?


「く……!」


 久しぶりの白昼夢だ。

 そういえば、山の中で伊舞に会った日から暫く症状が落ち着いていた。


 俺は目頭が熱くなって、その場にうずくまる。


「えっ?! リカク?! どうしたの……?!」


 紅蘭の声が徐々に遠くなり、目の前にまばゆい閃光がひろがっていく。


 例の如く俺の視界にはいくつもの幻像郡が映し出された。

 意識を集中させるがどの幻像もかすんでいて見えそうで見えない。


 だが、どういうわけかこの時は選ぶべき幻像がなんとなく分かった。

 俺はその幻像が放つ光に自ら身を任せた。


 ダダダダダダッ! 


 気がつくと、俺は閉まりかけている門を目がけて走り伊舞家の敷地内に滑り込んでいた。


「リ、リカク?! あなたなにしてるの?!」


 紅蘭の声で使用人の男が俺に気付いた。


「君! 何の真似だ! 人様の家に勝手に入って良いと思っているのか!」 


 使用人はそう怒鳴ると、ものすごい剣幕で俺に近づいてくる。


「一目でいい! 伊舞に会わせてくれ!」

「駄目だと言っているだろ! 大人しく帰らないのなら痛い目にあうぞ!」


 使用人は俺の両腕を掴んで無理やり追い出そうとする。

 腕っ節のたたない俺はろくに抵抗すらできない。


「くそ……! 離せ……! 伊舞に会わせろ!」

「ん?! おまえは! みかこ様を連れまわしたという例の男じゃないか! よくも……!」


 使用人はその事に気付くと、俺の顔面を思いっきり殴り飛ばした。


「ぐあっ……!」


「リ、リカク……?!」


 口から血を流して倒れている俺を見て紅蘭が絶句する。

 使用人は俺の胸座をつかみ強制的に立ち上がらせた。


「高潔な伊舞家の息女を弄もてあそんだことを、身をもって反省してもらう!」


 憤った使用人は俺に続けて殴打を浴びせる。

 情け容赦なく殴られ続けた俺は何度も血を吐き出した。


 俺は間違った選択をしているのか……?


 この前も俺が助けなければ、伊舞はいつも通り学校に来ていただろうし……。

 余計なことをしてかえって伊舞を追い込んでしまっているのか……。


 ……いや……、これで正しい……! 俺は伊舞に会うんだ!!


「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 俺が叫び声をあげると、突然使用人の男が意識を失ってバタンと倒れた。


「……え?」


 咄嗟のことに紅蘭が混乱する。

 もちろん俺にも何が起きたか理解できていない。


「な、何事だ……!!」


 騒動に気付いて、他の使用人が一人、二人、三人と集まってくる。


「う、うそ……。菟上くん……、なんでここにいるの……」


 前にも似たような台詞を聞いた気がする。

 声がした方に目を向けると伊舞が二階のベランダから俺を見ていた。


「い、伊舞! 俺だ!! あのな!」


 本当はゆっくり話したかったが屈強な使用人たちがすぐそこまで迫っていた。


「こんな落ちこぼれの俺に、お前は助けてと言った! 自分の運命が嫌だと打ち明けた! だから俺は……、どんな手を使ってでもお前の運命を変えてみせる!!」


 俺は伊舞に向けてそう言い放ち、ボタン式の門を開いて、紅蘭とともに伊舞家を走り去った。


 伊舞からどんな返事があったかは分からない。

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