第12話:予期せぬ結婚

その後も、親しい付き合いが続いた2001年12月24日、クリスマスパーティの夜、彼女の娘の佐藤恵子10歳が、池田松男に、「本当のお父さんに、なってくれたら良いなー」と言ったのに、驚かされた。その言葉に対して、「僕は

良いが、お母さんが、どう思ってるかが、重要だと笑って、誤魔化した」、すると、「じゃー、私、お母さんを説得する」と、笑いながら言うので、「お母さんが、良いなら、私も大歓迎だ」と笑って返した。しばらくして、2001年が終わり2002年を迎えた。


 2002年の3月14日、池田松男の誕生日パーティの時、佐藤恵子さんと佐藤孝夫の兄弟が、池田松男に突然、「お母さんと、結婚しくもらえませんか」と言われた。これには「池田松男も佐藤幸恵も驚いて、何てこと言い出すの」と言った。すると佐藤恵子が、「おじさんは今年51歳を迎えて、1人の老後は辛いでしょ」、「また、お母さんも,そのうち。子供達も独り立ちするんだから、気兼ねなく松男おじさんと一緒になって楽しい人生を歩んで欲しいんだ」と言った。そして恵子さんが、お母さんに松男さん嫌いなのと聞くと、「そんなことないよと答え、好きですよと」言うと、じゃーこれで決まりだねと言った。


 次に孝夫が、松男おじさんは、どうなのと聞いた。松男は、「こんな年寄りに嫁に来てくれる物好きな人なんていないだろと」言い、「無理しなくても、良いんだよ、幸恵さん」と言った。幸恵は、「笑いながら、どうしようかなーと言い、私も1人ぼっちの老後、さみしいから、結婚しようかな」と言い、子供達が拍手して、池田松男が、「本当に結婚してくれるのかい」と聞き返すと、「えー結婚しましょー」佐藤幸恵さんが池田松男に抱き付いた。この答えが本当にうれしかったのか、松男が、まだ一度も子供達に見せたことのない、大粒の涙を浮かべ、やがて頬を伝って流れ落ちた。すると、幸恵も抱き付いたまま、うれし泣きをした。


 翌月の2002年4月12日の日曜、近くの結婚式場で内輪で結婚式をあげた。

 結婚後、駅から遠くなっても広い4DKの貸家を探し始めて2002年5月7日に、飯能駅から車で10分の4LDK・96m2の貸家・築20年を月に8万円で借り、各人1部屋ずつ使える様にして、駅まで、自転車で20分で行けるように自転車を3台買いそろえ中車を100万円で購入した。池田松男と幸恵の給料が年180万円で家賃が114万円で食っていけないだろうと思われたが、退職金3600万円と預金が1500万円と合計5100万円あって毎年300万円を取り崩しても17年持つので当面はやっていけると考えた。


 池田松男は飯能の駅前の進学塾の講師として、平日の午後2時から5時、土日の朝10時から午後3時で水曜日定休日で月に15万円で働いた。池田孝夫は

2009年に育英会奨学金を借りて立教大学短大を卒業し就職先を探し歩き池袋

のベンツの営業所で就職試験を受け合格して池袋に引っ越して働き出した。その

2年後の2008年3月に友人の紹介で知り合った鬼頭麻衣子さんと結婚した。


 池田恵子が2009年3月に地元の商業高校を卒業し4月に近くの銀行に採用

され働き出し2009年5月に家から職場が遠いので、飯能駅と勤務している銀行に近いのアパートに引っ越し、2009年7月、池田松男と幸恵は、「2人きりになったので、もっと便利の良い飯能駅から徒歩5分の3DKの家賃、月7万円のマンションに引っ越し、妻の幸恵に、何とかなるさ」と言い、「ゆっくり生きていこう」と話すと幸恵が、「お金大丈夫」と聞くので池田松男が、「余程のことがなければ大丈夫だろう」と答えた。


 池田恵子が2009年3月に地元の商業高校を卒業し4月に近くの銀行に採用

され働き出し、彼女も同じの銀行の行員、山下達夫さんと仲良くなり2010年

6月に結婚して山下恵子になり、飯能駅前のマンションに移り住んだ。その後、

山下家で2009年8月22日、長女の山下織江が誕生した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る