村野正臣の手紙
雨ヶ谷洋介・美希子様
公判では何度もお会いしましたが、今回初めてお手紙を差し上げます。
早速ではありますが、まず、私が今回起こしてしまいました事件につきまして、雨ヶ谷様に多大なるご心痛をおかけしてしまいましたことを、心よりお詫び申し上げたいと思います。
私がこんな事件を起こしてしまいました経緯については、公判で担当の野洲弁護士が明らかして下さいましたように、虐待を受けて育った私自身の幼い頃の環境が原因であります。母の虐待で親戚に引き取られた私には、与えられるべき環境が与えられず、また金銭的にも厳しい家庭だったため、塾に通うこともできずに本来の志望大学にも受かることができませんでした。
拘置所から出す手紙には、枚数制限もありますので、ここでそういった事情を一つ一つ書き出すわけにはいきませんが、そんな小さな事情の積み重ねが私という人間の成長を止め、歪めてしまったのだと思います。
私はせっかく受かった大学にも行かなくなり、その代わり、行き先も分からない電車に乗り、知らない街をふらつくことが増えました。自分探しではないですが、そうしていれば、私が失ってしまったものを見つけられるんじゃないか、なぜかそんな気持ちになったのです。
真紀ちゃんに出会ったのは、そんなときでした。虐待を受けて死んでしまった妹そっくりの真紀ちゃん。彼女の出現が、どれほど私を混乱させたか、十分に想像してもらえると思います。私はふらふらと惹かれるように、真紀ちゃんのあとをつけていってしまいました。
そして、その後に起きてしまったことにつきましては、私も本当に残念に思っています。あのときに戻れるならば戻って、自分の行いを正したいという気持ちでいっぱいです。
あの日、あのとき、私の目の前に妹に似た真紀ちゃんが現れなければ、こんな悲劇は起こらなかったに違いありません。けれど、私たちは出会ってしまいました。もしも時間が巻き戻せたら、あのときの自分に「真紀ちゃんは死んだ妹じゃないんだ」と言ってやりたいです。そうしてあの恐ろしい行いを止められたら、どんなにいいでしょう。
もちろん、こうして書面で謝ったところで、雨ヶ谷様のお怒りが静まるとも思いません。けれど、今の私にできますせめてもの償いとしてこうして謝罪文を書かせていただきました。
自身の未熟さと浅はかさを痛切に感じ、雨ヶ谷様のご心痛を、より理解することができたような気がしています。
私は第一審と控訴審で死刑判決を受けました。最高裁判所がどのような判決を下すのかは分かりません。けれど、十分な償いもできずに死刑になってしまうより、願わくば生きて、ご遺族の方々に償いをすることができればいいなと思っています。それこそが私にできる唯一の償いだと確信しています。
最後に、雨ヶ谷様にかけてしまったご迷惑について、改めて、深くお詫び申し上げます。
誠に申し訳ありませんでした。
19XX年10月26日 村野正臣
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