アイボールアースに生まれた物語は今も凍りついている

ギア

アイボールアースに生まれた物語は今も凍りついている

「おい、ジャック」

「なんすか、部長……って、いや、俺の名前はジャックじゃないんすけどね。名前は木村なんすけどね」

 2人きりの部室でいきなり部長から声をかけられたせいで反射的に返事をしてしまった。慌てて、その望まぬあだ名に異を唱えてみるも、部長はいつも通り俺の反論を完全に無視して話を進める。

「アイボールアースが何か説明してみろ」

「はい? 今、なんて?」

 ここは高校の地下1階にある生物室だ。放課後までは当然のように授業が行われている場所だが、放課後からは文芸研究会の部室として使われている。最盛期には20人を超える部員が黙々とワープロやら大学ノートやらその他記憶媒体を前に、文芸活動に励んでいたそうだ。

 しかし今は見る影もなく、科学室特有の頑丈で大きな黒い机が並ぶ大部屋には、たった2人の学生しかいない。短時間座ってるだけでも尻が痛くなる固い木製の角椅子に座って文庫本を読んでいた1年生の木村きむら大輔だいすけ(俺のことだ)以外には、2年生で部長の笹浪ささなみアキラが優雅な姿勢で机に腰かけながらスマホをいじっているだけだ。

 部員はこれで全員。いや、名簿上は、部の要件である10人以上が登録されてはいる。9人は幽霊部員……というよりは、持ちつ持たれつの弱小文化部のメンバーだ。俺と部長も他の全ての弱小文化部(天文部、科学探求部、生物研究会)に名前を貸している。間違いなく学校もその無から有を生み出す錬金術に気づいてはいるが、一応、文化祭などで実績は出していることからなんとかお目こぼしをもらっている。

 ああ、そうそう。ちなみにうちの部長は女性だ。そのアキラという名前、スラっと高い背丈、凹凸の少ないスリムな体型、美人というより凛々しいと表現したくなる顔立ち、さらにはぶっきらぼうな喋り方が相まって、制服のスカートを履いていること以外に女性っぽさは皆無だ。

 その唯一の女性っぽさを示すプリーツスカートの下、すらりと伸びた長い足を組み替えながら、部長は片手でスマホを器用にクルクルと回すと、ピタリと止めて、ナイフのように俺に向けた。

「だから、アイボールアースだっつってんだろ」

「いや、え? すいません、その言葉、どこで切れるんですか? アイボウ? ルアウス?」

「お前なあ……」

 部長がスマホを脇に置いた。そして右手の人差し指と中指を額に押し当てつつ、落胆の色を隠そうともせずに深いため息をつきながら、ゆっくりと苦悶の表情を浮かべたままの顔を左右に振った。

 ホント、芝居がかったしぐさ好きだよな、この人。

Imaginationイマジネーションだよ、ジャック!」

 額に当てていた人差し指と中指をビシッと俺に向けながら部長が言い放つ。帰国子女だけあって英単語の発音はめちゃくちゃ上手い。さぞかし英語の成績もいいんだろうなあと出会った当初は思っていたが、なんでも成績は平均点より若干高い程度らしい。長文読解は得意だが文法で点が取れないせい、とのこと。部長は「お前だって……あ、いや、ジャックだって日本語の文法で満点とれないだろう? そういうことだ」と悲し気な笑みを浮かべながら言っていた。その言葉に対する俺の感想としては、言い直してまでそのジャックというあだ名を定着させたいのか、だった。

「創造力とは想像力だよ! 知らないなら知らないなりに意味をイメージしてみろ、ジャック!」

「部長、ソウゾウリョクとはソウゾウリョク、って口で言われてもどっちがどっちか分からないっす。あと俺はジャックじゃないっす」

 ちなみに俺がジャックと呼ばれるようになったのは初対面の際に「1年生の木村大輔です。よろしくお願いします」と挨拶したら「そうか。じゃあ、あだ名はジャックだな」と返されてからだ。

 面食らった俺がそのあだ名の理由を聞いたところ「木村は漢字で11画だろ? トランプで11はジャックだろ? だからだ」と平然と言われた。そんなバカな。いや、それより挨拶して1秒後にそれをもう思いついたのか。

 そんなわけで出会った当初からいきなり驚かされたが、その後の奇行の数々に比べれば大した驚きではない。ただ、だからと言ってそのあだ名を受け入れたつもりはない。とりあえず廊下ですれ違うときに大声で呼ぶのだけは止めて欲しい。ガチで恥ずかしいんだが。

「お前はアイボールアースを知らないんだろ。じゃあ想像しろ。そして創造しろ、アイボールアースを生み出せ! お前だけのアイボールアースを!」

 この人、アイボールアースって言いたいだけなんじゃねえかな……つーか、なんだよ、俺だけのアイボールアースって。

「なんかヒント欲しいっす」

 さすがに何もないとキツイ。

「ダメだ。そこに焦点が生まれる。お前の創造性が狭まる。私はな、そんなこと望んじゃいないんだよ、ジャック」

「俺は望んでるんすけど」

「だから?」

 あ、これ、逆らっても無駄な奴だ。

「えーと、そうっすね……あ、ちょっと待ってください」

「なんだよ、往生際の悪い奴だな」

「往生するつもりはサラサラないんすけど、それはそれとして部長はアイボールアースって何か知ってるんすか?」

「知ってる。スマホで調べた」

 ずるい。

「え、じゃあ俺はすでにアイボールアースが何かを知ってる部長相手に適当に想像したアイボールアースを披露しないといけないんすか?」

「そうだよ?」

 部長がきょとんとした顔でそう答えた。

「道化じゃないっすか」

「そうだよ?」

 ずるいってば。

「いやいやいや、なんでそんなことをしないといけないんすか?」

「あー、もう面倒くさい奴だなあ」

 ちょっと待て。

 あんたにだけは言われたくないぞ。

 俺のその不満げな顔を見て部長もちょっと心が動いたらしい。ため息をつくとひらひらと手を振った。

「分かった分かった。これだよ」

 脇に置いてあったスマホを器用に指先だけで跳ね上げると空中でパシッとキャッチして画面をこっちに向けた。こういうとこ、ホント無駄に性能高いよな、この人。

「えーと、あれ? カクヨムっすか、これ」

 文芸部に属している身として、当然カクヨムくらいは知っている。素人小説家が創作した文章を気軽にアップして人にみてもらえるプラットフォームの1つだ。そういったプラットフォームはカクヨム以外にも、エブリスタ、小説家になろう、エトセトラエトセトラと数多く存在する。

 しかし俺はいまだに個人のホームページでコツコツアップする古いタイプの人間だ。カクヨムも使ったことはないが、アップした作品ごとに閲覧してもらえた回数が分かったり、ルビがふれたりするというのはちょっと羨ましい。そういえば先輩は使ってるらしいな。頑なにユーザ名教えてくれないけど。

「そのとおり。まあ、より正しく言えばこれは『カクヨムの自主企画』だな」

 なんでも公式が立ち上げる企画以外に、ユーザも好きに企画を立ち上げ、ユーザ同士で互いに参加できるらしい。目の前のスマホの画面に映っているのはその1つだということだ。

 企画内容は「話の中心がアイボールアースとなっている作品のみを募集」とあるが、それが何なのかについての説明はない。それどころか末尾にはご丁寧に「アイボールアースについては自分で調べてください」とある。

「これがどうかしたんすか」

「いや……ググって意味を調べたあとに『しまった、知らない状態であれこれ想像する様をネタに短編書けば良かった!』と気づいてだな……そこで貴様に白羽の矢が立ったというわけさ、ジャック」

 そんな不敵に微笑まれましても。

「いいっすよ」

「くそ、なおも抵抗する……え? いいの?」

 当然のように俺が抵抗すると思っていたらしい部長は拍子抜けした様子だった。

 いや、普通に文芸部の創作活動の一部と分かれば協力することにやぶさかではない。俺だって結局のところ文章を生み出すのが好きだし、この部活に入ろうと決めた理由の1つは当然それだ。もう1つあるが、それは内緒だ。

「最初にアイボールアースって聞いたときに思いついたネタは『ルアースって名前の相棒』だったんすけどね。ただ、こうやって丸々カタカナ表記なのを見ちゃうともうそれは使えないっすね」

「なー!? だからヒント出すと創造性が狭まるっていったんだよ、私は!」

 得意げなのか怒ってるのか良く分からない。

「とはいえ結局は全部がカタカナである、という以上のヒントは今もないわけだが」

「いや、ありますよね?」

「え?」

 俺は先輩が手にしたままのスマホを指差した。

「ジャンルをSFに限定してるじゃないっすか」

「だからどうした。SFなんて別名『SFって書いてなんでもありと読む』なジャンルだぞ」

「逆っすよ。本当に企画を立てた人が『何でもありでいい』と思ってるならSFなんて限定しないんじゃないっすか? 多分、一般に流布してるSFのイメージに当てはまる単語だと思うんすよ」

 少なくともこの企画を立てた人にとってはだ。

「んで、一般的なSFと言っても色々あるっすよね……まあここからは完全に憶測になるっすけど、分子や原子みたいなミクロな世界とか、化学的な専門用語というよりは、機械か天文の分野だと思うんすよね」

「なんでそう思うんだ」

 なんか先輩が警戒した様子を見せてる。

 ……あ、そうか。先輩は「正解を知ってる」んだった。

「ちょっとタンマっす」

「なんだ、どうした」

「いや、なんでそう思ったのかは説明しますけど、その前に1つお願いっす。それが正解に近いか遠いかは言わないで欲しいんすよ」

 先輩の反応を探って、正解を見つけることが目的ではないからだ。

「お、了解だ」

 創造力をフルに発揮しようとしている俺に、部長はニッと白い歯を見せて笑った。ちなみに部長はこういう本心から見せる無防備な笑顔が最高に可愛い。

 まあ、それはそれとして。

「機械か天文の分野かなあ、と思った理由なんすけど……まあ、ぶっちゃけ大した理由じゃないっす。アイボールって言葉で浮かんだのがカメラだったんで機械関係かなと思ったのと、アースで浮かんだのが地球だったってだけっす。あとは、そっすね、ボールとか丸みとからは化学がなんとなくつながるんすけど、アイってそっち系にイマイチつながらなかったんで」

 完全に個人の感想だな、これ。

 まあ、実際そう思ったんだからしょうがない。

「なるほどな、確かに大した理由じゃないが、素晴らしい創作が必ずしも大した理由から生まれるとは限らん。続けろ」

「アイボールがカメラに類する映像機器だとすれば、じゃあアイボールアースが何なのかというと……なんすかねえ、軌道上から地球を見下ろす目となる衛星とか?」

「Earth を監視する Eye Ball で、アイボールアースか。まあいいだろう。ジャックに3ポイントだ」

 いつから点数制に。

 そしてやっぱり発音がいい。

「ありがとうございます。あとジャックじゃないっす」

「続けろ」

 あ、はい。

「あとは感電防止のアース線ってのも浮かんだんですけど、あんま想像が広がらなかったっす」

「アース線ってなんだ?」

 ググれ、と口から出かかった言葉を飲み込む。

「電子レンジとか家電のコンセントって、差し込む金属部分以外にも被覆された短いコードが伸びてることないっすか? あれっす」

「あれか」

「あれっす」

「よし。続けろ」

 絶対まだ分かってないけど面倒になったな。

「えーと、アイボールアースが、じゃあ天文関係だとして、シンプルに考えれば目玉みたいな天体っすよね。木星は覆われてるガスのせいで縞模様じゃないっすか。あれみたいな感じで、なんか周囲の天体の重力による影響とか、天体の気候による影響とか、そういうなんらかの条件がそろったときに目玉みたいに特定の側だけ丸い模様が描かれ……あれ? どうしたんすか、部長?」

「ぐぬぬ……」

 思いつく端から適当にしゃべっていたので気づかなかったが、ふと見ると先輩が苦しげに天を仰いで、うめき声を漏らしている。真っ白い首元がセクシーだ。

「も、もう少しだけ続けてみろ」

「いや、すんません、もうないっす。あえて言えば、最初に画面見たときにアイスボールアースかと見間違えたことくらいっす」

 カタカナでアイボールって見慣れてなかったので、なんかそう見えたというだけの話だ。我ながらどうでもいい話だと思ったが、これを聞いた部長にとってはそうではなかったらしい。

「よし、もう正解でいいや! 合格! 100ポイント!」

 何がだ。

「ちなみにこれが正解だ」

 スマホの画面をこっちに向ける。そこには「アイボールアース」を検索した結果、見つけたとおぼしきサイトが映っている。そのサイトによるとアイボールアースとは「地球と月の関係さながらに、恒星に向ける面が一定の地球型惑星」とのこと。

 そういう惑星が、もしも水が蒸発も凍り付きもしない適切な距離で恒星と離れていた場合、恒星に向いている面以外は冷たく凍り付き、向いている面だけに海が生じることとなる。結果、氷部分が白目、海部分が黒目のような見た目をした惑星が生まれるのだそうだ。

「おー、これは面白いっすね」

 もしこういう惑星に生命が生まれたら、その文明には夜がないことになる。逆に恒星の反対側は永遠の夜だ。その生命の存在を拒む死の世界へと足を踏み入れた命知らずの冒険者たちは、よほど文明レベルが進むまでは、その全員が生きては帰らぬ旅人となるだろう。今の地球でも「光は善、闇は悪」とする宗教は多いが、さらにそれが強まった独特な宗教が生まれる世界になるかもしれない。

「まあ、ジャックの話も面白かったぞ」

「そう言ってもらえると嬉しいっす。あとジャックじゃないっす」

 俺の返事はどうやら前半しか聞いてもらえなかったらしく、部長は満足げにうんうんと頷いていた。

 ちなみに部長はアイボールアースの惑星を舞台とした長編を書こうとしたらしいが、舞台設定を考えているあいだに当の自主企画の締め切りが来てしまったため、やる気が失せて放置している、とのこと。こうして、沈まぬ太陽の下で海洋文明を発展させた民族が永久の闇と氷の世界へと旅立つ物語は、今も凍り付いたようにその時間を止めている。

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