usagi

第1話


「あれ、こんなところに店なんてあったかしら。」


パリの中心から歩いて20分ほどの、ビルの間の路地を歩いていると、マダムボジャンはふと足を止めました。


駅の売店ほどの狭い店の中には、色とりどりのランプたちが、天井から吊るされたり、床やテーブルの上に置かれている様子が窓越しに見えました。


店の看板は出ていませんでした。


マダムボジャンが中を覗いていると、店主らしき男性がドアを開け、

「どうぞ。」

と、彼女を中に招き入れました。


「私はただ、、、。」


「わかっています。どうぞお入りください。」


わけがわからないまま、彼女は狭い店舗の中に入りました。


外から窓越しに見えていた色とりどりのランプたちは、風鈴のようにやさしい音を奏でていました。


どこからこの音が出ているのかしらね、、、それにしても、、、


「こちらはなんのお店なのかしら?ランプやさんのように見えますが、、、。」


「はい。こちらでは夢を売っているのです、マダム。」


「夢?それは、将来の夢とか希望の夢のことですか?」


「いいえ、マダム。こちらで売っているのは、夜みなさんが寝ているときに見る夢です。」


「夜見る夢を売っていらっしゃるって?」


「はい。このお店は必要な人にしか見えません。マダムには、いま見るべき夢があり、それを今日お持ち帰りいただくために、あなたはこの店を見つけたのです。」


「そんな、まさか。」

「でもこの道にこんなお店があったなんて、何十年も気づかなかったことは確かね。こんな古そうな店なのに。」


「マダム。まずは聞かせてください。きっとあなたは今悩んでいることがあるはずなのです。」

マダムはそれを聞いてハッとしました。そうです、いまマダムの目の前には大きな悩みがあったのです。


「はい、私は今とても悩んでいます。この半年間、大学生の一人息子が部屋から出てこなくなってしまったんです。会話なんてとてもできる状態ではなく、ひたすら悪態をつかれて、なんでこんなになってしまったんだろう?こんな子に育てた覚えはない、と毎日苦悩しているんです。」


少し空けて、マダムはまた話し出しました。


「ステファンはとても優しい子でした。ずっと。ところが、この半年は全く変わってしまいました。まさに地獄です。彼を殺して私も死のうか、とも思ってしまうくらいに。」


話を聞き終えると、店主はカウンターの上に吊るされていたランプをゆっくりと下ろして、運んで来ました。


「わかりました、マダム。今日はこちらをお持ち帰りください。」


店主は、古ぼけたランプの上にある突起に人差し指を通し、マダムに差し出しました。


「なんだかよくわかりませんが、これを持っていくと、なにか私に必要な夢が見られるのですね。」

マダムは、両手を広げてランプを受け取り、質問しました。


「そうです。寝る前にベッドの横に置いてください。あなたが必要とする夢であった場合には、翌朝このランプはなくなります。もっと夢を見る必要があるのであれば、ランプは残り、中の火だけが消えています。そのときは、また火をつけてください。夢の続きを見ていただけます。」


「ありがとうございます。まだよくわかりませんが、こちら、買わせていただきます。おいくらでしょうか。あいにく持ち合わせがあまりありませんが、、、。」


「いえ、お代はいただきません。」


「え?そういうわけには、、、。お家賃とか生活のためにお金が必要かと思いますが。」


「大丈夫です。それより、この夢があなたの必要なものであれば、それが私にとってはお金以上の価値があるのです。」


マダムは店主の真っ直ぐな目の力に押され、そのままランプを持って店を後にしました。


その晩。

マダムは夢を見ました。


夢の中、その場所は病院でした。

窓からは太陽の日差しが降り注ぎ、白いシーツが光を反射させて輝いていました。


マダムは、ベッドに横たわる自分自身の姿を客観的な視点で見ていました。


それはちょうど20年前、ステファンとの記念すべき出会いの瞬間でした。


「マダムボジャン、元気な男の子ですよ。」


看護婦さんが小さな赤ん坊を抱き抱え、マダムの胸にポンと置きました。


マダムは思い出しました。

あ、ステファン。あなたが生まれて来てくれたときのうれしさったら、、、。元気に生まれて来てくれたことを神様に何度も何度も感謝したのよ。あんなに幸せな気持ちは後にも先にもなかったと思う。


「この子を私が守ろう。何をしてでも、私の命に変えて。」と誓った気持ちを思い出していた。


翌朝、マダムが目を覚ますと、隣にあったはずのランプはなくなっていました。


これはつまり、私が見るべき夢を見たということかしら?


マダムは体を起こし、まっすぐにステファンの部屋に向かいました。


部屋には鍵がかかっていましたが、それをハンマーで壊し、まだ寝ていたステファンに駆け寄り、抱きしめました。


「なにすんだよ!勝手に入ってくんなよ!出てけよ。」

ステファンは、突然のことに驚きつつも、マダムに罵声を浴びせました。


「出ていかないのよ。どうしても、こうしていたいから。」


「ふざけんなよ!やめろって!」


マダムは全くステファンの声など聞こえないように、話しかけました。


「私ね、思い出したの。あなたが生まれてくれた日。そのときに私の全てが満たされたの。だから、あなたが部屋からずっと出てこなくたってかまわない。元気でいてさえくれれば、幸せなの。」


「でもね。私はいつかあなたより早く死んでしまうの。その後もあなたが元気でいてくれる、ってわかれば、あなたは何をしてても、何もしなくてもいいの。」


「だったらさあ、俺が死ぬまで長生きしたらいいだろ!」

ステファンは声をあげましたが、その言葉にステファンの優しさを感じ、マダムはまたギュッと抱きしめました。


「やめろよ!」

と言いながら、ステファンも少しうれしそうにしていました。


それから、また変わらない日々が過ぎて行きましたが、少しずつ何かが変わっていきました。

ステファンはいつしか部屋ではなく食卓でご飯を食べるようになり、大学にも通うようになりました。


マダムはふと不思議に思いました。


あれ、どうしてステファンは部屋から抜け出すことができたのかしら。何がきっかけだったのか思い出せないんだけど、、、。


そのころ、マダムはもう何も覚えていませんでした。


「夢」の販売店は、必要なときにあなたのそばにもきっと現れることでしょう、、、。

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usagi @unop7035

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