第37話 大鳥圭介の企み
階段を下りると箱のような部屋がいくつもある。何層かに分かれてあり、住居部分と舵をとったり武器を収めたりする部分など複雑なのに几帳面に並んでいた。どこを見ても同じ風景に見えてしまう。
「ここが僕の部屋だよ。一番奥が榎本さん、それからあっちの並びに幹部たちが入っている。新選組はもうひと区画向こうかな」
「私のような者がこのような場所に来てもよかったのでしょうか」
「君は、特別さ」
大鳥にはどことなく沖田を思い出させるような楽観的な部分があった。まさか旧幕府軍の陸の要、伝習隊を取り締まる切れ者とは思うまい。
「そこに座って」
「失礼します」
机に椅子、そして柔らかな厚みのある長椅子は全て異国に習って造ったものだそうだ。私はこの長椅子がなんとなく苦手だった。
「堅いな。もう少し力を抜いたらどうだい」
「いえ、力を抜くと均等がとれません。体が、傾いていけません」
「ふははっ……君っ。ぷははっ」
大鳥は腹を抱えて笑い始める。私はなにも面白いことなんて、言っていない! 私は大鳥が落ち着くのを待った。この船はオランダという異国で造られ幕府が買ったものだ。榎本武揚という男はその異国で艦隊の戦術を学び、先の戦争では大阪湾で警護として入港。薩摩の船をいとも簡単に蹴散らしたそうだ。
「はぁ……久しぶりにこんなに笑ったよ。どうりで土方くんが君を離さないわけだ。さてと、本題に入る前に簡単にこの船の素晴らしさを教えてあげるよ。榎本さんは忙しいからね。仕組みを知れば安心して戦えるってわけさ」
なぜか大鳥は私にこの艦隊の素晴らしさを語った。自分が操るわけでもない海の武器を、あたかも自分の武器のように語る。蒸気で動くこの船の動力の元は薪だそうだ。それらを燃やして海を行く。それだけではない。自然の力も使う。それがあの何本も立っている帆だ。あれを広げると恐ろしく速く進むらしい。ただ大きすぎるこれらの艦船は港に入れないこともある。浅瀬に入ると座礁してしまうのだ。だからこの船に乗るとき、私たちは小舟から乗船した。
「なんで伝習隊の人間が船を熱く語っているのかって顔だね」
「いえ」
「
「えっ、あんな……離れたところからっ」
「僕たちの艦隊を舐めてもらっちゃ困るよ。世界でも最先端の技術を使っているんだから……今のところはね。だから、いくら薩摩が大砲を何発放とうが箸にも棒にもかからない」
言い換えれば、この艦隊がある限りは陸戦になっても負けないということだ。鳥羽伏見の戦いから以降は幕府の許可が降りず艦隊は動けなかった。しかし、徳川慶喜公の事実上の失脚で艦隊を率いる榎本は動いた。品川を脱出し仙台に入り、新政府からの没収を逃れた。残念ながら悪天候で失った船があるそうだが、旗艦の開陽丸やその他の主力となる船は健在だ。
「蝦夷では間違いなく勝てるよ。この艦隊で囲ってしまえば五稜郭も松前も落とせる。陸戦は鬼神の土方くんが本気を出せばなんてことはないさ。あとは君の働きしだい」
「え、私の……」
「協力してくれるよね、市村鉄之助くん。それとも別の名前があったかな……うーん、例えば花のような愛らしい名前とか」
「なっ!?」
大鳥は何か面白いものでも見つけたような、悪戯を含んだ笑みを私に向けた。大鳥は私が女であることを知っているのだろう。だとしたら何処で知られてしまったのか。私はこの男と殆ど接触していなかったはずなのに。私は土方が言った言葉を思い出していた。分かる者が見れば分かるのだと……。
「脅し、ですか」
「人聞きの悪いことを言うね。と言うことは認めるんだね、男じゃないってことを」
「もうご存知なのでしょう。ここで私が違うと言っても信じないですよね」
「僕は賢い子は好きだよ。さて、本題だ」
旧幕府軍の艦隊は順調に航行すれば、あと十四、五日で箱館の北にある鷲の木沖に到着する。着後すぐに箱館へ進軍し、五稜郭を攻略しその勢いを持って松前へ進軍。松前城も年内に落とすつもりだと大鳥は言った。雪が降る前に片付けたいようだ。
「新しい国をつくるのさ。明治政府なんかに負けない、強い国をね」
大鳥はそう私に告げると「分かっているよね」と微笑んだ。そしてこれは、土方を生かす手段でもあるのだと言った。
「君は女だと知られても構わないって思っているかもしれない。戦う女は増えたからね。でもそんなことで君を
「どういう事でしょうか」
「見ていてわからないのかい。彼は、死に場所を探しているよ」
「まさか……」
信じられない、考えてもいなかった言葉を言われ心臓がびくりと反応をした。言われれば近頃の土方は鬼のオの字も感じられないくらい、人想いになった。蝦夷に行くのもそれぞれの意思に任せるとも言い、跡取りとなる者には帰郷を促したほど。それは道連れを増やしたくないという意味なのか。
「僕が彼に何かを言う権利はないけれど、行くからには持っている力以上の事をしてもらわなければ困るんだ。君にとって土方くんは慕っても慕いきれないくらいの存在なはずだよね。死なせたくはないだろう。ましてや、自ら死に行くなんてね」
「わたしは……」
「あの男に生きたいと、思わせてやりたいと思わないかい」
私の生死は土方と共にあると思っている。けれど、大鳥が言うような死に場所を探すための戦いはしてほしくない。もしも最期が来たとしても、新選組の元副長として武士として散ってほしい。
「私は、何をしたらよいですか」
「そうこなくっちゃ。やる事は簡単だよ。だけど彼は絶対に反対すると思うんだよね。それをどう説得するかが君の腕にかかっている」
大鳥は蝦夷に上陸してからの事を私に詳しく話した。土方はなんと言うだろうか。そしてこれで本当に死に急ぐような真似はしなくなるというのか、不安は残る。
「分かりました。私にそこまでの価値があるかは分かりませんが、やってみます」
「ありがとう」
大鳥はそう言うと右手を私に伸ばしてきた。思わず避けてしまう。しかし、大鳥はそんな私の態度に怒るどころかまた笑った。
「ふっ、ふふっ……はははっ」
「あの……」
「握手なんて知らないよね。悪かったよ。ははっ」
「あくしゅ」
異国では主に交渉が成立した時、または初めて対面したときに挨拶代わりに手を握り合うらしい。他人の、しかも男の手など私に握れるわけがない。それでも大鳥はめげずにもう一度手を差し出す。
「さあ、早く。僕は気が長いからいいけど、榎本さんや他の偉いさんなら無礼者って怒るだろうね」
「無礼、なのですか」
「無礼、だね」
大鳥は左の眉をひゅっと上げそう言った。私は仕方なく同じく右手を伸ばす。
「っ!」
がっしりと大鳥の手に捕まって、私の手は上下に軽く振られた。大鳥の手はとても柔らかく滑らかだった。土方のように厚くもなければ、刀を握るときにできるタコもない。武士とは程遠い美しい手だった。
「では、そういう事で。時間を取らせて悪かったね。戻っていいよ」
「失礼、いたします」
「あっ」
「何か」
去り際に大鳥が言う。この事は他言無用だよ、と。私は黙って頷いた。
大鳥の部屋を出て、狭くて急な階段を登ると甲板に出る。白い波が船体に跳ね上がり、粉になって飛び散った。祖国の潮風とは違い、北国の匂いがする。この下を泳ぐ魚もまったく違うものなのだろう。
(お爺。常葉はこんなに遠くまで来てしまいました……)
黒に近い青い北の海。白波が負けてなるかと立ち上がる。厳しき冬の戦いが迫っているのだと思うと、握った拳に力が入る。
(土方さんを、護りたい……)
「鉄之助くん!」
島田が私を見つけて走ってきた。まだ船の揺れに慣れないのか足を時折ふらつかせながら。
「島田さん」
「よかった。なかなか戻ってこないので、心配していました」
はあはあと息を切らせているのを見ると、ずっと私を探していたに違いない。
「すみません。船内で迷ってしまって」
「ああ確かに中の造りはどれも似ていますからね。そう言えば大鳥殿は」
「なぜかこの船の良いところをたくさん教えてもらいました。何も知らない私の反応が面白かったそうです。失礼ですよね」
「あはは! そうでしたか。よかった。さあ、戻りましょう。土方さんもそろそろ戻ってくると思います」
「はい」
島田の心配を振り切るようにごまかした。その時がきたら私はうまく土方に話をつけられるだろうか。不安しか、残らなかった。
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