第23話 それぞれの胸にある志
甲陽鎮撫隊はここ日野で解散となった。この先の事を考えれば、厳しい戦いしか残っていなのは定かで、もともと武士ではない者たちはこのまま降伏、あるいは
「迷惑をかけました。巻き込むのは…もうこれきりにしたい。家のことは頼みます」
土方は兄の彦五郎にそう言って頭を下げた。その言葉は自分はもう戻らない、行き着く先まで戦い続けるという意味を表しているようだった。彦五郎はそれには何も言わず、ただ達者でなと返した。そのあと局長の近藤も加わり、最後の別れをしていた。その間私は、出立の準備を整えることにした。
「鉄之助。今、いいか」
「はい」
声をかけてきたのは原田だ。何やら神妙な面持ちで目配せをし、あっちに来てくれと合図をしてきた。何事だろう。検討のつかないまま、裏に回った。
「原田先生」
「すまない、こんなところで」
「いえ」
いつもは威勢よくはっきりと物を言う原田の歯切れが悪い。何かあったのだろうか。
「単刀直入に言う。お前、俺達と一緒に来ないか。お前となら上手くやっていけると思うんだ」
「あの、すみません。お話の流れが掴めないのですが」
原田ははっとして、一度口をつぐんだ。そして、一息ついてこう言った。
「俺と新八は、このあと新選組を離隊する。もう近藤さんや土方さんにはついて行かない」
「えっ、なぜですか! ずっと志を共にして来たのではなかったのですか。なぜ」
「
結局はそれぞれに強い意思があり、いくら局長の意向だとしても従えないということだった。
「共に戦ってきたが、俺は近藤さんの手下じゃねえ。何もかもを黙ってきくわけにはいかねえんだ」
「そう、ですか」
新選組を束ねる近藤のやり方に、原田や永倉はもう従えないようだ。日に日に悪化する旧幕府軍の体制を見れば分からなくもない。明らかな負け戦に多くの尊い命を投げ打ってしまった。刀では勝てない旧式の戦い方に疑問を持つのは然り。それでも刀で前に進もうとする近藤は少し浮いてしまった。
「近藤さんや土方さんも分かってくれている。袂は分かっても、恨みあったわけじゃない。なあ、鉄之助。お前も感じただろ。伏見での戦いや今回の勝沼での戦いは、もう、近藤さんのやり方じゃ無理だって」
「局長は、武士ですから」
「その武士が、通用しねえって」
「……」
原田の言うことに間違いはなかった。きっと原田と永倉の考えは今の流れでは正しい。
「俺達と行かないか、鉄之助」
「私は新選組に残ります。副長の小姓ですから」
「なあ鉄之助。もう小姓なんてのも時代遅れだぞ。賢いお前なら気づいているはずだ。それとも土方さんを好いているのか。お前は男だろ、あの人は衆道じゃねえ」
「原田先生っ、私は!」
そこまで言いかけたところで、原田が私を抱きしめてきた。今までみたいに力任せではなく、全てから守るように優しく。
「離して下さい。苦しいです」
「俺ならお前を大事にしてやれる。男だとか女だとかなしにしてだ。俺は鉄之助という人間を好いている。お前が望むなら、衆道にだってなれる」
「な、な、なななっ!」
驚きすぎて言葉にならなかった。原田から一緒に行こうと言われて嫌な気分にはならない。むしろ、有り難いと思う。だけど、原田の気持ちに応えて新選組を離隊するという考えは私にはない。最近私が感じているのは、新選組にというよりも土方について行きたい。そういう事なんだと分かった。もしも土方が新選組を離隊すると言うのなら、迷わずに私も離隊するだろう。
「鉄之助、行こう」
原田の誘いに、乗ることはできない。私はぐっと原田の胸を押し返した。思っていたより簡単に原田は私から離れた。
「私は、行きません」
「鉄之助っ」
「この先、何が起ころうとも……私は副長にだけついて行きます。これは私の強い意志です。原田先生のお気持ちはとても嬉しかった。でも、私は」
「分かったよ。悪かった」
原田は私の頭をぽんと撫でてそう言った。そして頭に手を置いたまま私の顔を下から覗き込む。バツが悪く目だけ向けると、そこにあったのは満面の笑みだ。
「男だろ。泣くなよ、笑え鉄之助」
「原田先生」
情に厚く隊士たちから慕われた、少し酒癖と女癖に難はあったけれど、十番組組長は最後まで懐が大きい。
「鉄之助は厳しい道を選ぶよな。土方さんのことはお前に任せる。達者でな」
「はい。原田先生も、お達者で!」
お日様みたいに賑やかな人だと思った。
そして、昼過ぎに私達は再び江戸に向けて出発した。三百率いた隊士は数十名という数までに減る。途中、永倉と原田が隊からはなれて行った。恨み合って袂を分かったわけではないからこそ、胸の奥に寂しさが残る。近藤も土方も短い言葉で別れを告げ、それぞれの行く道に足を向けた。
先頭を歩く近藤と土方。それに続く山口、島田魁に並んで私も歩いた。山口は何も言わないけれどこの別れをどう思っているのだろう。きっとこの男のことだから、淡々と受け止めたのだと思う。喜怒哀楽の薄い山口の心を読むのは難しい。
「鉄之助」
「はいっ」
「何か言いたげだが」
「え、私は特に何も」
突然そんなことを言われて驚いた。まさか私の心の声が聞こえるのか! すると島田魁がわははと笑いながら言う。
「鉄之助さんは分かり易いですね。疑問だらけの顔で見ていましたよ」
「まさかっ」
「あんたは監察には向かんな。喜怒哀楽を表に出しすぎる。そんなことでは直ぐにばれてしまうぞ」
「何か隠し事ですか、鉄之助さん」
山口はにやりと頬を緩め、あたかも私が何かを隠していると思わせるような言い方をした。実際に隠しているけれど、監察方にもいた島田の前で匂わすなんてとんでもない。
「島田先生、私に隠し事はありませんよ。先ず、隠せませんから。それから山口先生。妙な言い方はやめてください、お願いします」
冷静を装って、感情を出来る限り抑えて答えたのに、山口は肩を揺らしてくつくつと笑う。完全に面白がっている。私は精いっぱい目に力を入れて山口を睨んだ。山口はふっと鼻で笑って全く悪いと思っていない。追い打ちをかけるように山口が言う。
「そういう顔も、愛らしく見える。困ったもんだな」
幸い、島田は近藤に呼ばれた直後でその場には居なかった。そういう顔とはどういう顔なのか!
「本当にやめてください。私は愛らしくも何ともないです」
「少しからかいすぎたか。しかし鉄之助、これまで以上に気をつけなければならんぞ。その男の仮面が近ごろ危うい」
「え……」
私は思わず頬に手をあてた。山口がぼそりと耳元で言った。「恋慕を覚えたか」と。私はそれに反論はできなかった。代わりに前を歩く土方の背中を見る。確かに私はあの背中が見えなくなると不安になる。あの背中にたまらなく縋りたくなる時がある。それをもう隠すことはできない。でも、伝えてはならない。悟られてはならない想いが溢れそうになったら、そのとき私はどうしたらいいのだろう。
「恋慕など、知りません」
口に出して己に抗うことしかできなかった。それに山口は、何も言わなかった。
「テツ!」
「はい」
いつまでもこうやって呼ばれたい。例え常葉と呼ばれる日が来なくとも。
「ちゃんと、着いてきているのか。誰もおぶってくれねえぞ」
「一番若いですからっ、大丈夫です!」
これでいい、これでいい。私はずっと、鉄之助として土方の側にいられればいい。
「トシ、我々のような年寄りがする心配ではなかったな。わははは」
「まったくコイツは、口ばかり達者になりやがって」
片方の頬を上げて目だけ笑って見せるその表情までも、私の心は喜んでしまう。平隊士には見せないその顔が、今の私を支えている。私だけのものだと、思えるから。
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