第20話 勝沼の戦い、劣戦なり

 土方が援軍を求めに走ったあと、甲府城に新政府軍の板垣退助が入城したことが明かされた。最後の峠を越えてくたくたに疲れた体に、その知らせは非常にこたえるものだった。


「近藤さんはどうすると言っている」


 苛立ちを隠せない永倉と原田が山口に言い寄った。土方の援軍を待っている間も、甲府の町は板垣の率いる軍を歓迎する方へと傾いていった。


「局長は会津からも援軍がくると、言っておられる」

「会津が、俺達のために来るってのか」

「……」


 永倉、原田、山口ら新選組幹部は近藤の言う会津の援軍は士気を高めるための方便だと勘付いていた。この劣勢を知っていて、わざわざ会津から応援にくるだろうか。副長である土方自らが援軍に走るほど切羽詰まっているというのに。その土方さえ、まだ戻らない。


「来たぞーっ。撃てぇ」


 鉄砲隊の声が上がった。予想より早く向こうの軍が攻撃をしてきた。一つ向こうの山で地響きと共に大きな土煙が上がった。


「大砲か! くそ、応戦しろ」


 原田の怒声が響く。私の脳にはすぐにあの鳥羽伏見の戦いが蘇った。人形のように吹き飛ばされる人々、あり得ない形に歪む家屋。雨のように降り注ぐ銃弾に、蟻の子を散らすように人々は逃げた。


「鉄之助、大丈夫か」


 隣に山口が立っていた。この男は私よりもひどい惨劇を見てきたはずだ。しかし、顔色一つ変えずに私を見下ろしている。


「はい」

「あんたは一人で動くな。俺のそばで加勢ができるか」

「山口先生の……はいっ」


 近藤の号令で大砲が放たれた。同時に永倉、原田率いる隊が敵の歩兵部隊に突撃した。山口は何名かの鉄砲隊を連れ、山間から進軍を開始した。私は山口から離れないよう着いていく。木の影から見下ろす林道には隊列を組んで歩く新政府軍の部隊が見えた。それを見て山口が静かに手を上げた。私達はその合図を見て静かに腰から刀を抜き、鉄砲隊は銃口をその隊列に向けた。


「撃てっ」


 山口の合図に鉄砲隊が上から攻撃を開始した。パンパンと乾いた音が側で鳴り、私は思わず耳をふさぐ。十数名がばたばたと倒れ、隊列が乱れたのを見て山口が突撃の合図を出した。


「怯むな! 刀はむやみに振り回すな。目の前に出てきた者を順に斬り倒せ」


 山口の声に背を押され、私達は無我夢中で敵を斬った。列が途絶えると、再び鉄砲隊が現れ敵の歩兵部隊に銃口を向けた。斬っても、斬っても現れる新政府軍の部隊に心が折れそうになる。重い刀を振り上げるのも限界が近づいていた。その時、沖田から貰った飾緒が揺れた。若紫色のそれが寂しそうに揺れる。


「鉄之助!!」

「あっ……くっ」


 倒れたはずの男か立ち上がり刀を振り下ろしてきたのだ。あまりにもの速さにその攻撃を受けるので精一杯だった。山口に呼ばれなければ気づかなかったかもしれない。その山口も次から次へと溢れ出る敵を迎え討つので手いっぱいのようだ。自分の力で何とかするしかない。じりじりと押されながら考えた。どうやってこの態勢を切り抜けるかを。


「貴様のような小僧に殺られてたまるか」


 男が私を押しつぶそうと力を込めた。


「は、くっ」


 今、体のどの部分の力も抜くわけにはいかない。相手の足を払う暇もない。本物の男の力に成すすべなく、ただじっと耐える事しか出来なかった。すると、目の前の男がにやりと笑った、その瞬間。


「うおらぁぁ」

「うっ、あっ」


 私の体は地面に叩きつけられ、銀色の怪しい光が私を貫こうと迫る。ああ、私はここで終わるんだと覚悟した。土方との約束を果たすことができなかったことを悔いながら。


(副長、ごめんなさい……二言だらけで、ごめんなさい)


 私は瞼を下ろし抵抗するのをやめた。




 ズサッ、ドサ……


 重々しい音がした。


「寝ている場合じゃないよ。鉄之助くん」


 その声にはっとして目を開けると、血の滴る刀を握りしめた沖田が立っている。私の足元に転がるのはさっきの男だ。


「沖田先生」

「疲れちゃったのかい。始まったばかりだよ。さあ、立って」

「すみません」


 沖田に引き起こされ辺りを見渡す。山口が率いた隊は数名が殺されたものの、それ以外は無傷に等しかった。山口本人に至っては息も乱れていない。


「総司。調子が良さそうだな」

「まあね。ちょっと休みすぎたのかな、加減がわからなくてね」


 沖田が振り返る先にはごろごろと敵の死体が転がっていた。沖田が一人で殺ったのかと思うと背筋がぞくりとする。普通の人間ではとうてい捌ききれない数だったからだ。


「しかしこれではキリがない。一度、局長の所に戻るぞ。あまりここに時間を費やしていては大将の周りが手薄になる」

「そうだね。行くよ、鉄之助くん」

「はい」


 私達は山肌を駆け上り、我が軍の本陣に向けて走った。







 本陣まで戻ると敵は既に陣地に入り込み、凄まじい斬り合いが始まっていた。私達は急いで駆け寄り味方を援護した。大将でもある近藤も刀を抜き戦うという異常な事態に私は青褪めた。しかし刀を握った近藤は向かい来る敵をバッサバッサと斬り倒す。沖田が言うように、近藤は強かった。怯んだ敵の隊士は一旦後方へ退く。すると、遠くでまた大砲の音がした。


「うわぁぁ」


 人の叫び声がして、そちらに目をやると黒い塊が空から落ちてくる。その塊は人だった。その後すぐに小銃の連射音が聞こえてきた。足元から向こう数十歩の場所で土埃が上がり、味方の隊士たちが銃弾に倒れた。敵の攻撃は逃げる隙さえ与えてくれない。


「駄目だ。斬り込めやしねえ。斬っても斬っても溢れてきやがる。銃も大砲も旧幕府軍のとは話にならないぞ。少しでも俺達が前に出ると撃ち込んでくる」


 永倉が前衛の状況をそう語った。原田も汗を拭いながら意を決したように言う。


「近藤さん、これ以上やっても勝ち目はない。撤退だ」


 こうして話している間も敵は襲い掛かってくるし、銃声もどんどん近づいてくる。ここにいる鉄砲隊の人数ではとうてい敵わないことが予測された。そしてまた地響きがして土埃が舞い上がった。


「局長。ご決断を」


 苛立つ他の隊士たちを制し、山口が静かに近藤にそう言った。沖田は近藤の後ろで黙って立ったままだ。


「なぜだ、なぜこのような事になった」


 近藤はみるみる崩れゆく我が陣営を見ながら、唸るような声で問うた。それは誰かにではなく、自身に問うているのだと誰もが分かった。そんな中、近藤の号令を待たずに隊士たちは我先にと逃げていく。新政府軍は逃げるその背にすら向って銃を放った。武士は逃げを決め背を向けた者に刀を上げないのに。


「このような者たちに、我々は負けるのか! 撤退、退けぇ!」


 近藤の地鳴りのような声に一瞬、あたりが静寂に包まれた。交えた刀も止まるほどの威力だ。


「日野を目指せ! 必ず生きて戻れ。走れー」

 

 皆、我に返ると散り散りに来た道を走った。どこまで退けば、追われなくなるのだろうか。背に大砲の着弾音、銃声を聞きながら必死に走った。山口が先頭を走り、近藤を挟むようにして永倉や原田が後ろについた。私も彼らについて走る。気になるのは沖田の体調だった。薬が効いているとはいえ、体力はかなり消耗しているはずだ。


「鉄之助、着いて来ているか!」

「はい!」


 原田が度々振り返り確認をしてくれる。私は大丈夫だと大声で返事をした。いつ、どこから敵が襲い掛かってくるか分からないので刀は鞘から出したままだ。暫く走ったところで、自分の後ろにあった気配が遠のいたのに気づいた。私はそれが誰なのかわかっている。沖田だ。


「沖田先生っ!」

「鉄之助、立ち止まるなー」

「しかしっ……ひあっ」 


ドドドドーン


 前を行く原田と永倉の叫び声は大砲の弾が着弾して掻き消された。性能のまさる新政府軍の大砲はそれだけでは済まなかった。風圧で予期せぬ方向に吹き飛ばされた。


「うっ……いっ、痛っ」


 なんとか受け身は取ることはできたものの、全身を強打してしまう。それよりも、沖田はどこにいるのか。まさか力尽きて! と、良からぬ方向に思考が及ぶ。


「沖田っ、せんせぇ」


 体は痛むけれど、それどころではなかった。私は側に転がった刀を鞘に戻し立ち上がる。土方に総司を頼むと言われていたのに、この約束はなんとしても守らなければならない。とその時、私の耳に金属音が入って来た。私は目を閉じ、その音の出処とそれが何者なのか気配を探った。癖のある独特な土を蹴る音、空を斬りながらその刀が描く線を。


「沖田先生が、戦っている!」



 辿り着いた気配の先で、やはり沖田が敵と刀を交えていた。相手もかなりの剣の使い手なのか、沖田と互角のように見えた。いや、違う。沖田が押されていたのだ。


(体力の限界かもしれない)


 私は助太刀をしようと腰の刀に手を掛けた。チャキという音が鳴る。


(刀の音では、ない!)


 音の鳴った方向に目をやると、木の影から黒い筒が見えた。怪しげな光を帯びてじいっと獲物を狙うそれは、小銃だ。


「駄目っ、沖田先生ーー」



ターンッ……



 勢いのまま飛び込んで、沖田を押し倒したはずだが目の前の景色は激しく回転していた。落ちている、と気づいたときにはもう何もできなかった。でも確かにあるこの沖田の体は、離したくない。


ドサッ


「あうっ……お、沖田、せんせ……っ」


 全身を打ち付けたせいなのか、痛みより熱さが体を包み込み、まともに声が出せない。腕も上がらない、足も動かせない。辛うじて開いた眼に映ったのは沖田の顔だ。


「おき……」

「鉄之助……くん、生きて。君は、生きるんだ」


 なぜ今それを言うのか。沖田も生きているではないかと言おうと口を開いたら、何かを押し込まれた。


「んっ、ぐっ……」

「これは、あの薬じゃないよ。だからっ、安心して」

「い、やっ」


 だんだん景色が歪んでいく。沖田の顔が見えなくなってきた。私はどうなったてしまったのだろう。


「君の名を知らずに逝くのは心残りだけど。今まで、ありがとう……っ」


 ゴホゴホと咳き込む音が聞こえ、コボッという音を最後にそれは止まった。そして少し苦しそうな沖田の声が響く。


「生きるんだ、君の中にある正義のために」

「まっ……て。沖田っ……せん」


 沖田が居なくなる。そう思った。


 強い突風が吹き抜けていった。ザワザワと葉が擦れ合う音がして、私はそのまま意識を失った。


 

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