第19話 援軍を求む

 翌朝から隊を率いて甲府城を目指して進軍した。ごろごろと重い大砲を二門引きながら、休むことなく一定の歩調で歩くがなかなか進まない。のろのろ進む隊を見て、大名行列だのと揶揄する声もあったくらいだ。大名行列の様になってしまったのは、険しい峠を越えなければならなかったのも理由のひとつだ。近藤は大砲を引く足の遅い洋式武装した隊士たちを後方にやり、刀装備の剣術の腕の立つ者たちを前衛に置いた。土方はそれに納得をしていなかったが、隊を率いているのは近藤であるため引き下がるしかなかった。土方は銃を持った部隊を前に出したかったようだが。


「皆の者、甲府城はもうすぐだ」


 子供騙しのような励ましもそろそろ限界を迎えようとしていたその頃、噂が立ち始める。


――新政府軍は何千という兵を率いて向かっている。

――新政府軍は最新の武器を持っている。


 それを耳にした者たちが脱走を始めた。もともと武士ではなかった者や、食べるためだけに加わった者などは勝ち目のない戦いはしたくなかったのだ。そして、江戸から甲州街道までの道のりは険しいものだった。多摩を抜けてすぐに小仏峠を越え、あと少しで甲府というとろこで笹子峠が待ち構えている。休憩を取るたびに、隊を抜け出すものが現れ、三百あった隊士はとうとう二百近くまでに減る。


「副長、水を」


 竹筒に入った水を土方に差し出すと、要らないと首を横に振られた。


「しかし、飲んでおかねばもちませんよ」

「お前は飲んだのか」

「私が持っているのですからいつでも飲めます。確かこの先に湧き水があると聞きました。またそこで注ぎますから飲んでください」


 寒さ残る山越えとはいえ、険しい道を歩いているので体から汗となり水分が抜けていく。


「嘘つけ。お前は飲んでねえ、先に飲め」

「いえ、副長が先にっ」

「ばかやろう男の俺がっ……すまん」

「副長がそんなんじゃ、じきに皆に知られますよ。私は構いませんが」


 なんとなく苛立ちからそんな物言いをしてしまう。土方が女を隠し通せと言ったのに、気を抜くと土方が女を思い出させるからだ。


「知られてたまるかっ、貸せ」


 土方は乱暴に竹筒を私から奪うとごくごくと水を流し込んだ。やはり体は水分を欲していたのだ。他の者たちは大丈夫だろうか、沖田はどうなっている。そんなことが頭をよぎった。


「おい、何を考えている」

「え。あ、他の者たちは水が足りているのかと」

「総司が心配か」

「そりゃ心配ですよ。あの、体ですから」


 大きな声では言えないので、下を向いてぼそぼそと呟いた。それが気に入らなかったのか土方は舌打ちをして、私を脇の茂みに引き込んだ。


「副長っ、ま、あっ」


 私は土方に襟を掴まれそのまま引き寄せられた。間近に怒りをあらわにした土方の顔がある。土方の怒る理由が分からなくて困惑していると、額を強く押し付けらた。


「いっ、痛いです」

「痛くしているんだから当たり前だろう」

「なぜ」

「小姓なら、主人のすることを黙って受け入れろ。できなきゃ、小姓は要らねえ」

「なっ」


 なんて我儘なんだと、思った。

 睨み合いのような時が流れ、ふと外に気をやると隊が動き始めたのが分かった。休憩が終わったのだ。それでも土方は動かない。いつもの土方と何かが違う気がした。もしかして、何か心の中に別の想いがあるのではないかと。


「副長は何か、この進軍に思うところがあるのではないですか……。なにか、思案して、いませんか」

「なんだと」


 緩みかけた土方の手に再び力が入った。余計なことを言ったかもしれないけれど、もう無かったことにはできない。


「生意気ですが、そのように感じられました」


 土方は眉間にいっそうしわを刻んだ。鬼の形相とはこれかと思うほど顔がひどく歪んだ。


「甲府城に新政府軍が入城した」

「……今、なんと!」

「援軍を求めてくる。このままじゃ、数が足りない」

「副長が行かれるのですかっ。ならば私も」

「いや。俺一人で行く」

「危険です!」

「近藤さんには了承をもらっている。お前は隊列から離れるな。いいな」


 嫌だと、私も連れて行けと喉まで出かかったのを無理やり飲み込んだ。その代わり、私は土方の背に手を回し、軍服を強く握りしめた。この男の匂いをこの体に染み込ませたい。せっかく合流したというのに、また土方と離れ離れにならなければならない。そんな焦りの気持ちが私をそうさせたのかもしれない。


「テツ」

「はい」

「近藤さんと、総司を頼む」

「はい。でも必ず、無事に戻ってくると約束してくださいっ」

「俺は死なねえよ、舐めんじゃねえ」


 そう言ってから体から私を離した。互いにじいっと見つめ合った。どれくらい経ったか、先に土方が口を開いた。


「何があっても、お前は死ぬな。駄目だと思ったら逃げろ。いいな」

「逃げませんし、死にませんよ。副長が戻られるまでは」


 そう返すと、土方は片方の頬を上げて僅かに微笑んだ。


「武士に、二言はねえな」

「はい!」


 そして土方はすっと私に背を向けると、林の中へ消えて行った。私は何度、あの背中を見ただろう。見るたびに背負うものが変わって行く気がする。それがなぜが、苦しかった。





「鉄之助くん」

「は、はい」


 呆然と土方が去った方向を見ていた私に、沖田が声を掛けてきた。振り向くとちょうど、隊列が途切れたところだった。


「沖田先生」


 忍びのように口元を覆う沖田は見る限り体調に異変はなさそうだ。私が林の茂みから街道に飛び降りると、沖田は林道の奥に目をやった。


「行ったんだね、土方さん」

「はい」

「あの人、もう刀じゃ勝ち目はないなんて言うんだ。おかしいだろう……僕たちはこの刀で乗り越えてきたというのに」

「それは……」


 私は鳥羽伏見の戦いを知らないからだとは、言えなかった。沖田の口調がそんなことは言われなくても知っているよと、言っている気がしたから。


「近藤さんはね、武士なんだよ。大砲や拳銃には心がないから、だから信用できないんだよね。刀はさ、使うも者の心が宿るんだよ。それしか信用するすべが、ないんだ」


 洋式武装の素晴らしさを説いても、見てもない使ったこともない近藤には理解されないのだと、言っている気がした。


「僕は近藤さんに仕える人間だから、近藤さんが信じるものを信じている。例えどんなに土方さんが正しいと分かっていてもね。だって新選組の頭は、近藤さんなんだから」

「はい」

「君は知らないだろうけど、近藤さんは強いよ。土方さんよりも、強い」


 言い聞かせているようにも思えた。沖田が今、支えにしているものは近藤勇という男なのだ。私には計ることのできない、強くて太い絆があるのだろうと思った。他の幹部たちはどう思っているのだろうか。山口二郎や原田、永倉はこの状況をどんなふうに考えているのだろうか。浅葱の羽織を脱ぎ捨て、洋装の軍服に着替えた。しかし、銃を握るでもなく私たちは腰に刀を差している。


 少し前を歩く沖田がケホケホと乾いた咳をし始めた。近寄って背中をさすりたくても、それは強く禁じられている。距離をおいて治まるのを見守るしかないのだ。しかし、今回のはなかなか治まらないようで、沖田は静かに道を外れた。私も後ろから追う。何かあったら、人を呼ぶ必要があるからだ。


「沖田、先生……大丈夫ですか」


 木の幹に手をついて背を屈めて咳をする姿が、とても痛々しい。私は我慢ならずとうとう駆け寄ってしまう。


「沖田先生」

「近寄らないで!」

「っ」


 薬が切れただけだからと言って、私が近寄るのを拒んだ。沖田は竹筒を取り出して水を口に含むと、懐から薬をだして喉に流し込んだ。あの薬が沖田の苦しみと痛みを和らげている。あの薬は、いったい……。遠目から見ているだけでは分からないが、苦味が強いのか苦痛に歪む横顔が見える。暫くすると、先ほどとは嘘のように凛とした沖田が振り返った。


「見苦しいところを見せちゃったね。さあ、行こうか」


 口元を布で隠した沖田がまた隊列の後ろに戻った。微かに沖田から香る匂いに私は思考を巡らせた。この匂い、どこかで嗅いだことがある。どこだったのか。常世兄様とお爺との修行でだったか、それとも行商が運んできた何かだったか。


 無臭のようでそうでない、何とも言えない独特の香り。香りというより異臭に近いソレはなんだったか……。沖田の体はもうぼろぼろのはずだ。私は見ていないけれど松本良順からは吐血したと聞いた。咳をするだけでも体中に痛みが走るらしいそれを、薬で抑えるなんて。


「……あっ」


 一つだけ思いあたる事がある。お爺が決してそれを手にとってはならぬと、口にしてはならぬと言ったものがあった。それは、


芥子けし……」


 強い痛みを抑え、気持ちを高揚させる作用がある。しかし、それには強力な依存性がある。それに手を出したとなれば、もう末期であると言わざる得ない。もう、沖田を救う手立てはないのだ。


「せめて、最期まで……っ」


 刀を振らせてあげたいと願うことしかできなかった。

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