第36話 ボス敵
手際よく準備をすすめるコシアンを横目に、一人そわそわしていると、
「なあ、ちょっといいか?」
と、全身あますことなく肌色肌色した友人が、声をかけてきた。
「どうした突然、改まって」
「ひょっとすると、オメーと話すの最期になるかもしれんしさ、一つ聞きたいことがあるんだ」
「……なんだよ。……っていうか縁起でもないこと言うなよ」
豪姫はちょっとだけ皮肉交じりに笑って、
「まあまあ、四の五の言わずに。……あたしはこのために、わざわざこんなとこまで出向いてきたんだから」
言ってる意味がわからず、眉根を寄せる。
「――日野さんに訊かれるマズイことでもあるのか」
「ある」
すると豪姫は、そっと僕の手を取り、
「聞きたいのはさ、――実はその……ずっと聞こう聞こうと思って、ちょっとびびってたやつなんだけども……」
そこで僕は、豪姫が珍しく言葉を選んでいることに気づいた。
「何でも聞いてくれて構わんぞ」
「じゃあ、言うけどもその。……あたしの性癖のことなんだが」
「……ん? 性癖とは?」
「わざわざ言わせんなよ、恥ずかしい。……あたし、いつでもどこでも裸じゃん」
言われて、改めて僕は、彼女の五体に視線を移す。
最近ではずっとそういう形の珍獣のように思っていたから忘れかけていたが、健全な男子であれば唾を飲みたくなる程度には整った身体だ。
特にお腹回りの形が良い。腹筋によってぎゅっと引き締まったくびれが、一部の性癖の人間であればむしゃぶりつきたくなること受けあいだろう。
「……ホントはその……ずっと迷惑に思ってたんじゃなかったか?」
「と、いうと?」
「……ずっと、……その。見苦しいもん見せてきちゃってさ」
「見苦しいと思ったことはなかったぞ」
こいつ頭おかしいんじゃないかとは何度か思ったことあるけど。
「………ホントか?」
豪姫はちょっとだけはにかんで、
「そーか。それなら良かったんだ。……いくらスマホの画面越しでも、好きでもない女の裸見せられるのって、ちょっと苦痛だろうと思ってたからさ」
「苦痛な訳ないだろう」
その時僕は、ほとんど脊髄反射的に応えていた。
「ヘンテコなのはお互い様だ。――それに、他者の異常性を受け入れてきたからこそ、人類の文明をここまで発展してこれたわけだし」
「ジンルイのブンメイ?」
「ああ」
豪姫はオウム返しにして、
「…………はははっ。オメーらしい答えだな」
「なんだ。なんか変なこと言ったか?」
「言ってない。……うん。別に言ってないよ」
ならいいのだが。
話はそれで終わりらしく、豪姫は僕からそっと距離を置く。
そして、オレンジ色に染まる終末の光景を眺めつつ、
「いやあ。絶景絶景」
ぷりんとした尻を踊らせて、屋上の手すりから身を乗り出した。
▼
さて。
その後は語るべきアクシデントのようなものは起こらず、トントン拍子で目まぐるしく事態は展開した。
いったん覚悟を決めれば、ガチャの容器詰めになることを受け入れたし、その後のことは仲間たちが勝手にやったことで、直接見たわけではないのでよくわからない。
僕は、わりと綺麗な放物線を描いて空中に射出されたらしい。
その時の実感は特になかったが、――コシアン曰く、「分子レベルで再構成された情報の塊」となっている間も、意識はちゃんとあった。
夢を見ていたのだ。
学校のプールサイドに、クラスメイトがあいうえお順でズラリと並べられて”あ”の人から順番にプールに飛び込みをやらされるのだ。
プールの内部は、ところどころに黄色いもやのようなものが浮かんでいた。
小便である。
僕は一度も入ったことがないのでわからないが、人間はプールに入れば密かに小便をせねば気が済まない生き物だと聞いたことがある。
そうとも知らず、”あ”で始まる名前のクラスメイトは喜々としてプールの中へと飛び込んでいった。
そして、次々とプールの中へと飛び込んでいく仲間たち。
僕は一刻も早くその場を逃れなければならないのに、どうしても足が動かずにいた。
理由はよくわからない。
仲間たちはさっそくプール内で小便を漏らし始め、プールはすでに水と小便が5:5くらいの割合になっていた。
僕は泣きながら、そっとつま先をプールの中に浸ける。
すると、電流が全身に走ったようになって、身体が震えた。
そこで目が覚めた。
大量のクッションに包まれて。
ちなみに、この夢は本稿の内容とはあまり関係がない。
▼
ぐらりと視界が歪んで、強かに頭を打つ。
地面に激突するはずだった額は、コシアンたちが用意してくれたクッションが滑り込んだおかげで辛うじて守られた。
それでも、
「………………痛ぇっ!」
思わず声を上げてしまう程度の衝撃だったが。
「ま、マスター!?」
頭の上から、ヒマリの驚く声が聞こえる。
僕は、寝間着にしている絹のパジャマの膝あたりにちょっとだけ泥がついたことを悲しく思いながら、
「やあ、ヒマリ」
なんとか平然を装う。
「なんでそんな危険な真似を……!」
「どうしても、君に会って話をせにゃならんと思ったからな」
「わ、私の邪魔をしないで下さい!」
「それは、君がこれから何をするつもりかによる」
「わかっているんでしょう?」
ヒマリの瞳が潤む。
「……私は罪深い女なんです! し、し、死んで償うしか……」
ん? ……罪?
――どういうことだ?
陽鞠のことは関係ないのか?
だが、情報をゆっくり整理している暇はない。
「悪いが、君を死なせる訳にはいかない。……というか、死なれると困る。僕が」
「ま、マスターが?」
「うん。ちょっと準備する時間がなくてね。今の移動手段は一回こっきり。仲間はこれ以上、駆けつけない予定だからな」
「……そんな」
ヒマリは、僕の言わんとしていることを早くも察したらしい。賢い子だ。
「つまり、君がもしこの世を去るというのなら、僕はここに独りで取り残されることになる。……自慢じゃないが、僕は弱いぞ? クラスメイトの女の子より非力なんだ。だから帰り道、あの恐ろしいミュータントに襲われれば、たちまち殺されてしまうだろう。だから、――助けてくれ」
「ううう……」
ヒマリが低く呻く。
「僕には君の助けが必要だ。……それとも君は、僕のことなんて知ったこっちゃないと思うか? 僕がどこで野垂れ死のうと、構わない、と?」
「うう……………うううううう………………」
もちろん、答えは聞くまでもない。
――自分自身を人質にする作戦。
ヒマリの気持ちを利用していることはわかっているが、今は状況が状況だ。僕は、僕にできる最良の手段で彼女を取り戻す。
僕の決意が伝わったのだろう。
膝から崩折れて、ヒマリはうつむいた。
「でも、本当に……私は、許されないことを……しようと……。みんなにどんな顔で会えば……」
そして、そのつぶらな瞳からぽろぽろと大粒の涙をこぼして、
「君がどういう過ちを犯したかは知らん。けど、一時のテンションに身を任せると大抵後悔することになる」
そのへん、僕はかなり詳しい。専門家と言っていいくらいだ。
対するヒマリは、もう観念したらしく、
「………………了解です。マスター」
浅くため息を吐いて、そう応えた。
▼
帰り道におけるミュータントの襲撃は散発的で、その数も多くなかった。
ココアたちがうまく敵を惹きつけてくれているのだろう。
僕たちは、樹の根に蹂躙されてラーメン(ちぢれ麺)をこぼしたみたいになっているアスファルトの大地を歩きながら、マンションが立ち並ぶ一角から聴こえてくる銃声を他人事みたいに聞いている。
……と。
ふいに、ずごごごごごごご、と、大地が割れるような音がして、オレンジ色の太陽が沈んでいく地平線あたりに、巨大なミュータントが出現した。
その大きさたるや、さっきまでいた十七階の高層マンションに背が届く勢いだ。
「すげ……」
小さく呟く。その様相に腰を抜かさずに済んでいるのは、ココアから事前に情報を聞かされていたためだ。
「……もう、”ボス敵”が現れる時間でしたか」
ヒマリが、電池が切れたような表情で、それでも口を開く。
「みたいだな」
ある程度のミュータントを倒すと、そのエリアに存在する”ボス敵”というのが登場する。
ということはあの”ボス敵”こそが、これまで倒してきたゴリラが超進化したみたいな生き物の親玉……ということになるのだろう。見た目はまるで別個体のように感じるが。
『ヴゥアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア』
”ボス敵”が、天に向かって吠える。
目的は、マンション屋上で戦っているココアたちのチームだと思われた。
「大丈夫……なんだよな?」
「ええ。ココアがいるなら、百度戦っても負けないでしょう」
「そうか。それなら良いんだが……」
さっそく、”ボス敵”の顔面に光のシャワーが浴びせられる。
金色に輝くそれは、人体に当たれば三十センチ大の風穴が空く、
それらは全て的確に、”ボス敵”の急所を狙っているらしい。
”ボス敵”はさっそく苦しみ始め、無様なダンスを踊るようにくるくると回る。
ずんずん、と、巨人が地団駄を踏む度に世界が揺れた。
僕は、今も戦っているであろう”運命少女”の顔を、一人ずつ思い浮かべている。
「ココア……モミジ……ツバキ……サクラ……ミント……コシアン……ツブアン……ラムネ……テブクロ……セサミ……ニマメ……」
そして傍らで、僕と同じく戦いの様子を見守っている少女を見て、
「――ヒマリ」
「………………はい」
「”運命少女”につけた名前は全部、僕が大好きなもの、愛してやまないもので構成されてる」
「……………………………………はい」
「だから、――」
と、そこで、続く言葉を見失う。
多分、「だから君たちは、決して代用品なんかじゃない。オンリーワンなんだぜ」的ないい感じの話をしたかった気がするのだが、わざわざそれを口に出すのも無粋な気がして。
どしん、と地面が揺れて、ものすごい砂煙が巻き起こっているのが見えた。
”ボス敵”が倒れたのだ。
――これで、クエストクリア、ってところか。
嘆息して、僕たちは再び帰路につく。
しばらく二人、肩を並べて歩いていると、ヒマリが突然、ねじ込むように一冊の本を押し付けてきた。
「…………………これは?」
ヒマリは応えず、視線を逸らす。
本のタイトルを見て、僕は小さく、「あっ」と声を上げそうになった。
――そうか。なんで気づかなかったんだろう。最も基本的なことじゃないか。
ステータス画面だの、キャラメイキング機能だの……そういうのがあるんなら、真っ先にこれの存在を疑うべきだったんだ。
その本のタイトルは、こうあった。
――”プレイング・チュートリアル”。
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