第32話 陽鞠とヒマリ

「ごはんも済ませたことだし! 次は……」

「ああ……」


 再び、今回の件に関して考察せねば。

 と、思っていると、陽鞠は僕の袖を引っ張って、


「この施設の案内、お願いします!」

「えっ?」

「えっ」

「えっ……」

「えっと……ダメ?」

「……別にそれは構わないけど」


 惚れた弱みである。


「私も、ちゃんとここのことを知っておきたいんです。ねえ、いいでしょう?」

「……ふむ」


 少し悩んだが、彼女の言うことも最もだ。事情に詳しい人間は多ければ多いほど良い。

 その後、僕たちは”生存戦略室”、”遺物復元室”、”外界遠征室”の順番で施設内を巡って、最終的に”キャラクターメイキングルーム”の前で足を止めた。


「この部屋、……ゲーム初めて最初に実行するコマンドと関係してますよね?」

「ああ。全ての”運命少女”は、プレイヤーによって作られるからね」

「ちなみにさっきーくんはここ、何回利用しました?」

「ゲームだった頃は何度か。でも、さすがにもう使う気にはなれないな」


 もはや、”キャラクターメイキング”は遊び半分で行われて良いコマンドではない。

 何せこのコマンドは、――新たな生命を生み出すことに直結する訳だし。


「少し……中に入ってみましょう」

「それはかまわないけど、さすがに新しいキャラを作るのは……」

「わかっています。――ただ、私が生み出したものがどういう存在なのか、ちゃんと自分の目で見ておきたい。それだけです」


 陽鞠は僕が思っている以上に、自分がどういう責任を負っているか理解しているようだった。

 いまさらながら、あの糞で煮しめたような『劇場版 運命×少女』の主人公が「やれやれまいったぜ」と発言した理由がわかった気がする。

 彼はひょっとすると、――今後一生、自分を崇拝する少女たちの守護者として生きて行かなければならない事実に気づいて、絶望したのかもしれなかった。

 今になってわかることがある。

 崇拝と理解の間には常に巨大な壁が立ちはだかっていて、決してこの二つが歩み寄ることはないのだ。

 そして、誰にも理解されないということはつまり、――孤独であるということに等しい。


 物思いに耽っている間に、陽鞠は足早に”キャラクターメイキングルーム”へと入っていく。

 一応、先程もこの場所に来たが、その時はオバケ屋敷を通り過ぎるようにさっと目を通しただけだった。

 だが、今回はそういう訳にはいかないだろう。現実を直視せねば。


 部屋は一見、極めてシンプルな構造のように見える。

 風呂桶一杯分ほどの緑色の溶液で満たされた謎の機械が操作卓に接続されて、部屋の中央にぽつんとあるだけ。

 今気づいたのだがこの操作卓、どこかスマホを巨大化したみたいな形状をしている。扱い方もスマホのアプリケーションに近いようだ。


「ところで、この緑色の液体……なんだと思います?」

「砂糖にスパイス、それに化学薬品すてきなものをたくさん、――と、公式設定ではそうなってる。”運命少女”たちの材料ってところだな」

「へえ……」


 ……いまさらだがこの設定、少し雑だよな。

 あんまり掘り下げると生々しくなるからっていう、製作者側の配慮なのかもしれんが。


「じゃ、“運命少女”って、舐めたら甘いんですかね」

「どうだろう。ぴりりと辛いかもしれない」


 瞬間、僕の脳裏に、陽鞠が”運命少女”たちとぺろぺろしあっているタイプの淫靡な映像が流れた。


――うん。悪くないね。


「おや? さっきーくん、なんで私をじーっと見つめているんです?」

「ああいやその、なんでもないっす」


 陽鞠は、ちょっとだけ室内をぐるりと回った後、ものは試しとばかりに操作卓に触れた。

 そこに表示される、多様な”運命少女”の髪型のカタログを眺めながら、


「いずれ、ゴウさんが寂しくなったら、この機械を使う日がくるかもしれませんね」


 今話している「ゴウさん」は、狩場豪姫でなく、彼女が作り出した方の「ゴウ」であろう。


「……この世界は今後、そのようにして命を繋いでいくのでしょうか」

「だろうな。『運命×少女』の世界って、男がいない設定だから……」


 僕は視線を逸らす。

 そう口に出すと途端に、自分がこの空間における異物であるような気がして。


「ねえ、さっきーくん。もし、この世界と私達の世界が自由に行き来できるようになったら、どうします?」

「どうって……」


 それはずいぶんと魅力的な空想であった。


「きっと世界中大騒ぎになるだろうな。うまいこと異世界旅行に関する権利を独占すれば、各種アミューズメントパークを設営したりして、大儲けできるかもしれない」

「ふふふ。みんなこぞって、私とさっきーくんのスマホの前に並ぶことになりますね」

「そんな真似しなくとも、招待メールで配信するだけで決まった日時に旅行できる設定にすればいい。移動の手間いらずだ。きっと世界中から来客が殺到する。僕は二代目ウォルト・ディズニーの名をほしいままにするのだ」


 二人、くすくすと笑う。

 だが内心では、きっとそううまくいくはずがないとわかっていた。

 というのも、この現象はきっと一時的なものに違いないと、そういう確信があったためだ。ある種の信仰と言っても良い。

 それだけ、自分たちのいる世界の在り方は盤石で、ちょっとやそっとのことで覆るはずがない、という想いがあった。


「……お二人とも、なんだか楽しそうですね」


 と、そこに闖入者が現れる。

 昏い表情でそこに立っていたのは、――


「ヒマリか?」


 少し驚く。

 とはいえ、彼女がここにいるのは不思議なことではなかった。”運命少女”が住まう施設の間の物資移動は基本的にココアの管轄である。彼女がそのメンバーに選ばれたということだろう。


――しまったな。こういうケースは考えていなかった。


 「ヒマリ」というワードに首を傾げているのは、同じ名前を持つ少女、日野陽鞠であった。


「へ? 陽鞠って、私?」

「ああいやその、陽鞠じゃない方のヒマリというか。僕が作ったゲームキャラの方の……」

「……私の名前をつけたキャラ? え……さっきーくん、なんでそんなこと……」


 その意味をおおよそ察したのか、ぽっと頬を赤らめる陽鞠。

 僕は体面を繕うような気持ちでヒマリと陽鞠の間に立ち、


「……どうした、何かこの部屋に用事でも?」

「いえ、特には。ツブアン、――“遺物復元班”の一人を伴って、施設全体を改修することになったので、見回りです」

「ああ……なるほど、いい案だ」


 使える施設が増えれば、“運命少女”全員にとってプラスに働くだろうし。


「一応、紹介しておくよ。――この娘は日野陽鞠といって、僕の友だちだ」

「挨拶は結構です、マスター。豪姫さんからお話は聞いていますので」

「……そうか」


 愚鈍な僕でも、ヒマリが若干不機嫌でいることには気づいていた。その原因も、なんとなくだが理解している。


「では、作業に取り掛かりますね」

「ああ……頼む」


 ヒマリは、ぷいっと背を向けて、僕たちの元から立ち去っていた。


「あの娘……ちょっと不機嫌そうに見えましたけど、ああいうキャラなんですか?」

「いや、違うな。普段はもっと素直な娘だ」


 僕は少しだけ考え込んで、――ほとんど八つ当たり的に、“キャラクターメイキングルーム”中央にある機械を見上げる。

 緑色の溶液で満ちたその機械は、当然ながらなんの応えを返すわけでもなく、ただそこに佇んでいるだけだった。



 後になって思えば、その時何故ヒマリを追いかけなかったと後悔すること然り。


 ヒマリが、“光の道標(笑)”たる僕の前で不機嫌な態度をとるということが、――どういう意味か、少し考えればわかりそうなものなのに。

 しかし、よしんば彼女を追ったとして、それで事態が好転したかと考えると、甚だ疑問である。


 ヒマリの失踪が発覚したのは、その日の三時過ぎ。

 みんなでおやつを食べようと思って、彼女の姿を探した時のことであった。

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