第29話 軽率な第一歩

『…………………………………………………………………………………』

「…………………………………………………………………………………」


 大まかな状況について語り終えたのは、それから数十分後。

 もっとも、豪姫が僕の前でいつも素っ裸であることは触れずにおいた。

 どう取り繕っても、妙な勘違いを避けられないと思ったためだ。


『フームナルホド。そーいうことでしたか』


 じっくり時間をかけた甲斐はあったらしく、陽鞠は得心してくれたらしい。


「聞いてくれ。だから僕たちは、」


 君の助けを必要としている。

 ……と、そう続く言葉を遮るように、


『話はわかりました。それじゃあ、ちょっと待っててください』


 それだけ言って、さっさと画面外へ行ってしまった。


「えっ。お、おい! 日野さん、どこへ……?」


 まいったな。ひょっとすると誰かを呼びに行ったのだろうか。

 だが、別にそれでも構わないとは思う。

 豪姫は嫌がるかもしれないが、ここにきてこの一件、――僕たちの手に負えない可能性が出てきている。最悪、これ以上被害者が現れないとも限らない。そうなってから本格的に事態を収拾しようとしても遅いのだ。

 ……などと考え込んでいると、どたどたどた、ばたん、と音を立てて、陽鞠が再登場した。

 その姿は見たところ、ジャングルの奥地へ探検にでも出かけるみたいな重装備である。背負ったリュックには大量の食料品が詰まっているらしく、ぱんぱんに膨れ上がっていた。


「ん? 日野さん、何やってるの?」

『買い置きのお菓子とか水とか、ありったけかき集めて来ました! あと、お母さんにも泊まりで出かける旨、伝えてきました!』

「……どうして?」

『私もそっちに行きます!』


 おいおい……。


「めちゃくちゃ言わないでくれ」


 そもそも僕は、そっち側に戻りたくてしょうがないというのに。


『それで、どうすればそっち行けるんですか? なんか呪文でもあるんですか? 「あぶらかたぶらー!」「ひらけごま!」』


 そして、陽鞠を映していた画面ががちゃがちゃと激しく揺れる。

 同時に、なんだかものすごくふわふわしたものが身体の表面を撫でた感覚がして、僕は悲鳴を上げながら退いた。

 どうやら陽鞠は今、スマホを頭にぐいぐい押し付けて、無理やりこっち側に来ようとしているらしい。


「む、無茶するな! そもそも僕たちは、君がこっち側に来ないために手を尽くそうっていうのに!」

『バカ言わないで下さい! 友達が困ってるのに、安全圏でただ見守っていろって言うんですかッ!?』


 ああ。

 くそ。

 そういう考え方をするのか、君は……。


「ぼ、僕のことはいいから、いったん冷静になってくれ。そんな風にしたって、こっち側にはたぶん来られないだろうし、」

『やってみないとわかりません。少なくともこれまで、さっきーくんはそっち側に「行こう」と思って何かしたことは一度もない。――そうでしょう?』

「そりゃあ……」


 図星だった。この二週間、豪姫とあれこれ議論を重ねてきたが、結局のところ僕は、いま陽鞠がしようとしているような無茶を起こしたことはない。

 もちろんそれには、捨て鉢になったところで仕様がないという、理性的な判断であったためだが、――。


 次の瞬間だった。


 きぃん! と、カメラのフラッシュを焚いた時みたいに画面が閃き、がたがた、ごとん、と画面が揺れる。

 そして、


『にゃーん』


 騒ぎを聞きつけたミケ氏の鳴き声が聞こえて。


「…………………………………………………………………………………日野さん?」


 恐る恐る、声をかける。

 画面に、ネコがこちらを見下ろしているのが映った。

 こちらから確認できる分には、陽鞠の姿はない。


「そんな、まさか。まさか、まさか……!」


 息を呑んで、とにかく部屋を飛び出す。

 向かうのは、僕が最初に寝転んでいた廊下だ。

 経験上、悪い想像ほどよく当たることを知っている。ちょうどその時がそうだった。


「ひゃあッ……! マスター! 生のマスター! ナマスター! なんでこんなところにあなたさまが!?」


 錯乱したゴウの声が、廊下全体に響き渡る。


「あらま。あなたひょっとしてあなた、……ゴウ……さん?」


 廊下の中央には、――例の探検家みたいな格好をした陽鞠が、ぱちぱちと両目を瞬かせて立っていた。


「そうです! ゴウです! 先週ご挨拶した! ああ! マスター! 私のマスター! こうして実際に目の当たりにすると、なんと神々しいお姿……! まるで女神……!」

「えへへー」


 二人の姿を確認した僕は、腰を抜かしてへなへなと座り込む。


――止められなかった。


 僕の責任だ。


「陽鞠、…………なんて軽率な真似を……」


 すると、陽鞠はこれっぽっちも後悔の色を見せず、僕に歩み寄り、――そっと絹の手袋を差し出す。

 そして、ちょっぴりはにかんで、こういった。


「まあまあ。冒険というのは、いつも軽率な第一歩から始まるもんですよ」

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