第6話 時は進むあなたと共にー4

**

 トキがゆっくりと目を開けると、そこは知らない天井だった。


「!?」


 慌てて飛び起きたが、ここが珠の貸してくれた部屋だと思い出し、ほっと息をついた。朝日が部屋に差し込んでいた。

 トキが布団を畳もうと苦戦していると、ちょうど障子が開かれた。


「おはよう。よく眠れた?」

「あ、おはようございます。はい、お布団ありがとうございました」

「気にしないで。もうすぐ朝餉だから降りてきてね。あ、服はどうする?」


 昨日、セーラー服を貸したために今身につけているのは、珠のおさがりの浴衣だった。


「えっと、やっぱり落ち着かないので着替えてもいいですか」

「分かった。はい、見せてくれてありがとうね」


 綺麗に畳まれたセーラー服を受け取り、トキは手早く着替えた。やはり、こちらの方が落ち着く。

 珠と共に階段を降りていると、突然凄まじい怒鳴り声が耳を貫いた。


「何度言ったら分かるんだ! 絶対に許さん!」

「もう決めたんだ。親父に何言われようとな」

「この愚か者が」

「何とでも言え。沙世さよ以外は考えられない」

「おい、待て。待ちなさい」


 先に階段を降りていた珠に、片手で制止されていたので、トキは二人の死角になるところからそのやり取りを聞いていた。


「ごめんね、うるさくて」

 二人の足音が遠くなってから、珠は困ったように眉を下げてトキに謝った。トキはふるふると首を横に振ったが、やはり気にはなる。


「何かあったんですか?」

「んー、変に隠す方が良くないよね」

 少し迷うそぶりも見せたが、珠はトキの耳元に口を寄せた。


「実はね、兄さんが女中の子と一緒になるって言ってて。両親、というか父さんが猛反対。顔を合わせるたびにあんな感じなの」

「そうだったんですか……」

「私はお似合いだと思うんだけどね。なかなかそうもいかないから」

 ゆっくりと階段を降りて、トキと珠は朝食を食べに向かった。



「いただきます」


 そう両手を合わせたトキの目の前には、低い足のついたお膳。その上にはこんもりと盛られた白米と、味噌汁、そして切り干し大根の煮つけ。漆で仕上げられた箸を手に取り、まずは大根を口に運ぶ。


「美味しいです!」

「そう言ってもらえて嬉しいよ。おときちゃん、美味しそうに食べるから見てて気持ちいいね」

「そうですか?」

「おかわりもあるからね」


 すでに茶碗にはこんもりとご飯が盛られているので、おかわりは必要なさそうだが、共に食事をしている珠の父、母の様子から見て、おかわりするのが通常らしい。


「あなた、伊介はどこに?」

 箸を止めて母が控えめにそう父に尋ねたが、険しい顔と共にこの一言。


「知らん」

 少し重くなった空気のまま食事は進み、終わりかけた頃に伊介が現れた。


「兄さん、朝餉食べる?」

「ああ」


 伊介は父の方は見もせずに珠の横に座り込んだ。父は無言で伊介の前に置かれかけたお膳を取り上げる。準備をしようとした女中はどうすればよいのか分からずあたふたするだけ。


「この家のしきたりに従わぬ者に食わせる飯などない」

「ちょっと父さん」

「ああ、そうかよ」


 伊介は立ち上がると、さっさとその場を後にしようとする。その背中に母が駄々をこねる子どもを諭すような声で語りかけた。


「伊介、いい加減に目を覚ましなさい。正気になるんです」

「俺は正気だ」

「いいや、目先のつまらん色恋に捕らわれてお前はすべきことを見失っている。早く気づかんか」

 追い打ちをかけるように父も伊介を諭そうと言い渡した。


「すべきこと? こんな家のために、一体何をしろって言うんだ。無駄でしかない」

 伊介は吐き捨てるように、そして父や母の言葉を鼻で笑った。いよいよ剣呑な雰囲気になってきて、トキは身を固くする。横を見れば、珠もトキ以上に身を固くしているが、それでも目は逸らそうとしない。


「お前は長男なんだぞ! よくもそんな口を」

「無駄なことを無駄と言って何が悪い」

「話にならんな」

「こっちの台詞だ。……いっそ火でもつけるか」


 伊介の言葉にそこにいた全員の顔が凍り付いたのが分かった。

この時代、火付けはかなりの重罪とされていた。それを口にすることさえ憚られることであった。


「ちょっと兄さん――」

「冗談だ。真に受けるな」


 伊介は珠にそう言い残して去っていった。去る直前、トキが見た伊介の横顔は無表情に意思の宿った強く目を乗せたものだった。


 ――火事は、伊介さんが要因かもしれない……




「おときちゃん、少し散歩でもしない?」

 珠はそう言うなり答えを聞く前に外へ歩き出していた。トキは慌ててその背中を追った。


「珠さん」

「ごめんね。少し前までは皆仲良かったんだけどね。なんか、こう悲しいっていうか、悔しくて」


 珠は、青い空に流れる雲を見上げてため息をついた。トキはたくさん助けてもらった珠をどうにか元気付けたかったが、どうしたらいいか分からなかった。頭を悩ませてやっと出てきたのは、弥一のことだった。


「あの、弥一さんに会いに行きませんか」

「弥一? なんであいつのところに?」


 想い人に会えば少しでも笑顔になれると思ったから、とは言えず、言ってもそんなんじゃないと言われてしまいそうである。


「えっと、時計のことを、聞きたくて……だめですか」

 なかなか話の流れを無視した答えになってしまったような気もするが、珠は頷いてくれた。


「いいよ、行こうか」

 手を繋ごうと伸ばされた珠の手が、一瞬行く先を見失ったように宙で止まった。


「珠さん?」

「あれ、どうしたんだろう。今一瞬おときちゃんが見えなくなって……いや、そんなことあり得ないよね。疲れてるのかな」


 気を取り直して手を繋いだ二人は、弥一のいる小間物屋に来た。珠が玄関から店の奥へ呼びかけると、すぐに弥一が出てきた。


「動いたぞ!」

 珠とトキの姿を見るなり、弥一は顔いっぱいに笑みを浮かべて報告してきた。


「え、動いたんですか!?」

「ああ。歯車とかを少し直した後、試しに動くかやってみたんだ。ついさっきだ」

「弥一、あんたすごいね」


 珠は感心した声音と共に弥一を見つめていた。褒められた弥一の方は顔が少し赤らんでいる。照れているのかもしれない。


「ただ何故か左回りだし、ぎこちない動きだったからもう少し手を加えてみる」

「あ、あの、左回りでいいのでちゃんと動いたら見せてもらってもいいですか?」


 トキの懐中時計は過去に行っているときは左回りが正常であるから、それを直すことは不可能だろう。トキは弥一に頭を下げて頼む。


「ああ、分かった」

 少し不思議そうな顔をしていたが、頷いてくれた。


「それなら今日の夕方には見せられると思う。また来てくれるか?」

「分かりました! ありがとうございます」


 思っていたよりも早く時計が動きそうなことに、トキは安堵した。本部に戻る希望が見えてきた。


「そんなに早く出来るなんて、すご――あらら、あんた目の下に隈が」

「これは……」

「作業場に明かりを設置出来たからって、夜深くまでやったね?」

 珠は腰に手を当てて弥一に詰め寄る。たじろぎながらも弥一は答えている。


「そりゃあ、こんな凄いものの修理なんて初めてだし、楽しくて」

「無茶はしてないよね?」

「それは、もちろん」

「なら、まあよし」


 珠と弥一のやり取りを聞きながら、トキはここに来る前のことを思い出していた。

 一瞬トキが見えなくなったと珠は言っていた。弥一がついさっき針が動いたと言っていた。もしこの二つが同時だったなら。


 ――そっか。針が動き出したら、あたしはいつもみたいに他の人から見えなく、触れられなくなるんだ。


 いつもの状態に戻ることが出来るのは喜ばしいことで、そう望んだのだが、それを少し寂しく思う自分がいるのを、トキは感じていた。



**



 トキが目覚めないまま、本部にも朝が来た。灯は一晩中トキが横たわるベッドの傍にいた。修は灯の肩に触れ、心配そうに言った。


「灯、少し休んだらどうだ。寝てないだろう」

「別に付喪神なんだから寝なくても問題ないだろう」

「確かに寝不足で物が壊れるわけじゃないけど、体には疲労が溜まるんだから。休息は必要だよ」

「ならトキが戻ってから休む」


 灯はトキの枕元にある懐中時計をそっと撫でる。修の手で直され、針は規則正しく左回りに動いている。


「大丈夫、時計はちゃんと動いてる。トキちゃんは帰ってくるよ」

「ああ。当たり前だ。あいつは必ず俺のところに帰ってくると言ったんだ。そう……言ったんだ」

 だんだん小さくなる灯の声は、ベッドのシーツに吸い込まれた。





「おみおみ、これどういうこと……?」

「うーん……」



 鈴蘭と女郎花は集めた資料を会議室のテーブルに広げて、頭を突き合わせていた。あの男の言葉、博物館で分かったこと、資料室にあるもの、情報の欠片を集めて一つの事実を導き出そうとするが、何かが足りない。上手く繋がらない。


「あーもう、どういうことなの。あいつは、もうはずなんでしょ?」

「ええ。でもこうして本部にいるわ。存在するのよ」

「訳わかんない!」


 鈴蘭は机から離れて苛立ちを抑えるために辺りを行ったり来たりし始めた。女郎花も机の上の資料を何度も見返すが、やはり目の前の靄は晴れず、深くため息をついた。


「ところで竜胆はどこに行ったのかしら」

「リンはあの男に話聞いてみたいって、一階に残ったよ」

「そう」


 会議室の扉がノックされ、近くにいた鈴蘭が開けるとちょうど話題に上がっていた竜胆が立っていた。その手には一枚のメモ。


「リン、何か分かったの」

「根気強く話を聞いてな、あることを聞き出してきてん」

「あること?」


 竜胆は二人にメモを開いて見せる。みるみるうちに鈴蘭と女郎花の顔に驚きが広がった。女郎花は資料を数枚と竜胆のメモを持って、会議室を飛び出した。


「ともるんに鳩飛ばしたら!」

 鈴蘭が声を張りあげると、女郎花も声を張りあげた。足は止めないままで。


「ワタシが走って、直接言った方が早いわ! 行ってくるわね!」





「ともるん!」


 医務室の扉が大きな音を立てて開かれ、女郎花の息のあがった声で呼ばれた。弾かれるように灯は振り返った。


「分かったわよ、あの男が『なにもの』なのか」

「本当か」

「彼は彼であって、彼ではないわ」

「どういうことだ」


 まるで謎かけのような女郎花の言葉に、灯は思わず顔をしかめた。説明するより読んだ方が早いということなのか、女郎花から資料をいくつか手渡された。

 資料を追う灯の目に、驚きと納得が満ちていった。


「そういうことか……!」

 全て読み終わると、女郎花をまっすぐに見つめた。


「あの男に会わせてくれ」

「でも、危ないわよ。だってまだ」

「殴られても構わん」





 引き続き見張りをしている葵に、灯は「すまん」と前置きしてからこう言った。


「この男の拘束を解いてくれないか」

「何を言ってるんですか! こいつは灯さんを狙って」

「構わん。多少殴られても、俺はそれを受け止めるべきなんだ」


 何を言っても折れることはないと、灯の口調が語っていた。灯の後ろで女郎花が両手を合わせてごめんね、と葵へ向けて口パクをしていた。


「……分かりました。札の効力があるから暴れないと思います。でも、もし灯に攻撃しようとしたら止めます。目の前で殴られるのを見過ごすような警備課じゃないです」

 葵自身はあまり納得してないようだが、拘束は解いてくれるらしい。


「すまん、感謝する」

 手首の札から解放された男は、葵の言う通り体に力が入らないようで椅子に座ったまま動こうとはしない。だが、顔を上げて灯を睨みつける瞳の鋭さと重さは弱るばかりか増していた。灯は男に近づいた。


「この……人殺し。オレは、お前を探していた」

「なぜ俺を探していた」

「お前に言わなければならない」


「何を」

「……」

「もう一つ聞かせてくれ。お前、俺の名前を知っているか?」


 その問いに、男は全ての思考が停止したように、固まってしまった。長い沈黙の後、男は掠れた声で答えた。


「知ら、ない」

「やはりそうか。俺の名は灯だ」

 灯は男の前に片膝を付き、困惑の表情を浮かべる男を見上げた。



「お前は――――――」

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