第3話 笑顔が咲いた理由 ー2
本部に戻り、資料室で手掛かりを探すが、麦わら帽子ということしか分からず、なかなか関係のありそうなものは見つからなかった。
「そっちは何かあったか」
「いえ。何も」
「麦わら帽子と六十年ってキーワードがあれば何かしら出ると思ったんだがな」
「え、六十年って何ですか?」
「あいつが言いかけていただろう。あの家に来て六十年だと」
「あ」
そう言われてトキも思い出した。年数が分かるなら、使えるかもしれないと自分の懐中時計をポケットの上から掴んだ。
「灯さん、あたしが過去に行って、みてきます!」
「だめだ」
「どうしてですか。あたしはまた失敗するからですか」
「違う。それは違う。姉妹から聞いたんだ。過去をみることはトキの負担が大きいと。慣れるまでは仕事での使用は控えた方が――」
「出来ます」
上司の顔をした灯の言葉を遮って、トキは一歩前に進み出た。その目はまっすぐに灯を見つめている。
「あたし、練習したんです。鈴蘭さんに慣れたらもっと使えるようになるって言われて、毎日練習したんです。それで、八十年前までなら眩暈もあんまりないままみれるようになりました」
「……! 本当か!?」
「はい。眩暈を覚悟するならたぶん百年くらいまでいけます」
「いつの間にそんなに……。努力したんだな」
灯は驚きと感心で思わず顔が緩んでしまった。上司の顔が一時崩れたが、そのことに気づき、意識的に戻したようだった。
「よし、〈過去をみる〉を使うことを許可するから、六十年前のあの家の様子を見てきてくれ」
「はいっ。役に立てるように、頑張ります」
二人は一度資料室を出て、空いていた多目的室に移動した。そこのソファで、戻っている間意識のないトキを寝かせておけるように整えた。
「では、いってきます。『時よ、戻れ』」
――――――。
トキの体は上昇し、本部を飛び出した。少しの間空を飛んでいるような体勢になり、そして目的のあの家が見えてきたところで降下した。初めはここまでですでに眩暈が起こっていたがだいぶ慣れてきた。
「ちゃんと、着いたかな?」
近くの塀を指でつついてみるが、何も感触がない。すれ違う人たちにもトキは見えていないようだった。
「よし、大丈夫。あの人を、麦わら帽子を探さなくちゃ」
例の家は、現在は補強工事や少しのリフォームをしたようだが、見た目はほとんどそのままだったためすぐに見つかった。いきなり家の中に入るのは気が引けるので、周辺を調べてみることにした。
風景がだいぶ変わっているが、面影のある建物がいくつかあった。見渡すと全体的に建物の高さが低いように思えた。
「いってきまーす」
ふと、女の子が例の家から軽やかな足取りで出てきた。その頭の上には麦わら帽子。
「あ、もしかして」
トキはあの麦わら帽子が彼女ではないかと考え、そっと物陰に隠れて見守る。
女の子に続いて母親らしい女性が出てきた。
「またひまわり畑に行くの?」
「だって綺麗なんだもん。あのいっぱいのひまわりがお日様の方に顔を向ける瞬間見るの!」
「あ、こら。走っちゃだめでしょ」
待ちきれずに走り出した女の子を追いかける母の後をトキは追いかける。母娘はバスに乗り、二つ先のバス停で降りた。すっかり慣れた道のようで女の子は先導して歩いていく。
やがて、一面に広がるひまわり畑が目の前に現れた。
「わあ……!」
思わず声を上げてしまい、慌てて両手で口をふさいだが、母娘にはトキの声は聞こえない。相手に見えない聞こえないという状況はいまだに慣れない。
「わーい! ひまわりいっぱい!」
女の子は背の高いひまわりの間を器用にすり抜けて縦横無尽に走り回っている。麦わら帽子はしっかりと女の子の頭にくっついている。
「おや、また遊びに来たのかい」
「おまわりさん! こんにちは」
「はい、こんにちは。挨拶もちゃんと出来ておりこうさんだね。おりこうさんな陽子ちゃんに拾ってもらって、その帽子も喜んでるんじゃあないかな」
「えへへ、そうかなー」
麦わら帽子の端を両手で持って、くるりとその場で回ってみせた。日の光を浴びて帽子はキラキラと輝いたように見えた。
「……『時よ、進め』」
トキはそこまでみるとそっと呟いた。
――――――。
「戻りました、おっとっと」
ソファに横たわっていたところから立ち上がろうとしたらよろけてしまった。
「おいっ、無理するな」
灯の手が肩に触れ、座るように促された。トキが大人しく座り直したのを見て、灯は深く長い息を吐いた。
「はあーーーー」
「灯さん?」
「あいつらの言っていたことがよく分かった」
「?」
「あいつら、特に姉の方に言われたんだ。トキの彩は周りで見ている方も気力がいるってな」
灯の言う意味がよく分からず、トキはこてんと首を傾げる。
「気を失っているようにしか見えないお前を、待っていることしか出来ないんだ。このまま戻って来ないんじゃないかと、はらはらする」
「……!」
トキの驚いた表情を見て、灯は自分の言ったことを反芻して顔を赤くした。らしくないことを言ったと思っているのだろうか。
「いや、今のは、その」
「大丈夫ですよ」
トキは灯の手を取り、ぎゅっと力を込めて握った。
「大丈夫です。あたしは、絶対に灯さんのところに帰ってきます。あたしは灯さんのものですから」
「ああ。帰ってこい。管理課の仕事もあるしな」
後半はからかうように笑って、灯はトキの額を人差し指で突いた。
「あうっ」
「それで、何をみた?」
「えっと、麦わら帽子を被った女の子がひまわり畑で遊んでました。たぶんそれがあの人だと。それと、麦わら帽子は拾われたらしいです」
「つまり、忘れられたか捨てられた可能性があると。そのひまわり畑の場所は分かるか?」
「はい」
二人は、トキがみた道順を辿ってひまわり畑へ向かった。しかし。
「あれ?」
かつてひまわり畑が広がっていた場所には、アスレチックのある大きな公園になっていた。よく見ると端の方に花壇としてひまわりがいくつかその姿を残していた。
「ここ一帯が六十年前はひまわり畑だったんだな?」
「はい。すっかり変わってます」
「そうか……何か当時の物があれば話を聞けると思ったんだが。そういや、拾われたっていうのは誰が言ったんだ?」
「おまわりさんってその女の子が呼んでました」
「なるほど。なら可能性はあるな」
灯はさっと周りに視線を走らせ、あるものを道路の向かいに見つけて歩き出した。
「どこに行くんですか」
「あの交番だ。建物自体は新しいが、トキの話からしてずっとあの場所にあるんだろう」
「ええっと、つまり」
「当時を知っている物が開化して傍にいるかもしれない」
交番に近づくと新しく塗装はされているが、年季の入ったものだということが分かる。古さでいうと看板の存在が目立っていた。困ったときはすぐ相談、と書かれた看板。
「これはあるな」
灯は交番の近くにいる人々を注意深く見る。そして、箒を手に掃除をしている一人の男性に目を止めた。
「ちょっといいか」
「なんだ少年。……いや、少年じゃあないか」
「ああ。そちらもヒトではないな」
「そこの看板の付喪神だ」
灯の言った通りで、トキは思わずすごい! と声に出ていた。命そのものである物からそう遠く離れないのが付喪神の常識なのである。
「俺たちは付喪神統括本部の者だ」
「よろしくお願いします」
「本部の人がいったいどうしたんだい?」
「ちょっと聞きたいことがあってな」
灯からのアイコンタクトを受けて、トキは一度大きく息を吸って吐いた。ひょろりと背が高い男性を見上げる形で質問を投げかけた。
「あの、六十年ほど前に麦わら帽子がある女の子に拾われたことを覚えていませんか」
「六十年前かー」
「麦わら帽子のこと、何か覚えてませんか?」
「麦わら……うーん、あ! あったあった」
「本当ですか! 詳しく教えてください」
「落とし物で交番に届いて、いや、確か捨てられてたって聞いた」
捨てられた、その言葉を聞き、トキと灯は顔を見合わせた。
「届けられた物は一定期間、そのときは二週間だったか、経つと廃棄されることになってて。その期限ぎりぎりになって、その拾った女の子が取りに来たんだった。捨てるなら自分の物にするってな」
「なるほど」
「話してて思い出したんだけどさ、そのときにも本部の人が来てたはずだ」
「え、そうなんですか!?」
本部の者が関わっていたかもしれないことに、トキは驚きを隠せなかった。一方、灯は腕を組んで何かしら考えている様子。
「その本部のやつら、和服を着てなかったか?」
「そうそう! 着物っぽいのだった。珍しい服装してんなって思ったんだ」
「そうか。質問は以上だ、協力感謝する」
質問を切り上げ、頭を下げる灯に倣ってトキもありがとうございましたと礼を言った。
「今ので何か役に立ったなら良かったよ」
「もし何か困ったことがあれば、本部へ相談してくれ」
もう一度礼を言ってから、二人はその場をあとにした。
バス停で待っている間、トキは気になることを聞いてみた。
「六十年前にどうして本部の人がいたんでしょうか」
「本部に戻って記録を確かめる必要はあるが、おそらくはその麦わら帽子は暴徒化の危険性があって、要観察対象だったんだろう」
時刻を見て次のバスまでの時間を見ながら灯は続ける。
「警備課の制服は和服を基調としているからな。あいつの証言からしてまず間違いないだろうな」
「それほど、ヒトを憎んでたってことですよね」
「ああ、そうだな」
トキは自分の手に爪を立てて両手をぐっと握りしめていた。灯はトキの手に触れて力を抜くように促す。
「明日にでももう一度麦わら帽子のあいつに会いに行くぞ。ただし、ひまわり畑でのことは言わない。誰にでも触れられたくないことはある。分かるだろう?」
「……はい」
「前回不快な思いをさせたことの謝罪と、本部は敵ではなく、困ったことがあれば相談出来るところだと伝える」
時間通りに来たバスに乗り込み、二人は本部へと戻った。
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