探しものは “誰” ですか ー3(了)
桐の案内で着いたレストランは、そこまで大きくはないが、薄い茶色を基調とした落ち着いた雰囲気があり、入りやすそうな印象を持つ所だった。ドアや窓枠など所々に深緑色が使われていて、風にはためく国旗と相性がいい。
変装してはいるが、どうしても及び腰になる桐を後ろにして、トキはレストランの扉を押し開けた。
「いらっしゃいませ。何名様ですか」
「三人です」
「こちらの席へどうぞ」
額に入れられたチューリップの絵の近くの大きめのテーブル席に案内された。昼食には遅く、夕食には早い時間のため、他に客は見当たらない。ゆっくり過ごせるようにと広い席を勧めてくれたのだろう。
二人掛けの小さめのテーブル席や、一人でも座りやすいカウンタ―席、六人ほどまで座れるであろう席まで揃っている。
「素敵なお店ですね」
テーブルの上に置かれたメニューを手に取り、トキが桐に尋ねた。
「桐さん、何かおすすめはありますか?」
「いや、おれは見てただけで……。あ、でもこの和風ピザと、トマトソースのパスタはよく見た。チーズ乗ってるやつ」
「人気の定番ってとこか。トキは何か気になるものはあるか」
「えっと、このハニーシュガートーストが美味しそうです」
「分かった」
注文するものが決まったところで、灯が手をあげてシェフを呼ぶ。改めて頼むメニューを目でなぞり、灯がぼそっと呟いた。
「それにしても料理の組み合わせがカオスだな」
「お客さんそれぞれに好きなものを食べてもらいたいんで、イタリアンですけど、色んなメニューを揃えてます」
シェフが灯の横に立ち、にこやかに言う。
「聞こえていたか。けなしたわけじゃないぞ」
「はい、褒め言葉としていただきます。ご注文をお伺いします」
灯は先ほどの三品の名前をあげ、シェフはかしこまりました、と残して奥へ入っていった。
「で、お前はどれだ?」
シェフに不審がられないよう、念のため小声で聞いた。桐も同じように小声で答える。
「あの窓側の机だ。あの子がいたのはそこから二つ離れたところ」
「あっちですか」
トキが向かって右側を指さした。
「いや、反対側に二つ――お? あんなに離れてたか?」
桐が首を傾げたのを合図に、灯が席を立ち上がった。そして桐が指さしたあたりの椅子や机をしゃがみこんで観察している。
「灯さん?」
しばらくして、シェフがキッチンからパスタを持ってやってきた。その音を聞いて、灯は何事もなかったかのように席に戻った。
「お待たせしました。トマトパスタのモッツアレラチーズ乗せです」
白い楕円型の皿にはたっぷりのトマトソースが満ちていて、下に細めのパスタが見え隠れしている。その上には丸いモッツアレラが円を描いて飾られている。ふわりと上がる熟したトマトの香りが顔をほころばせる。
「おお、すげえ。美味しそうだ」
「あと二品も、すぐお持ちしますね」
そう言ってすぐにキッチンへ向かおうとしたシェフを、灯の言葉が引き留める。
「ここ、少し前にリニューアルしたらしいな」
「はい、よくご存じで。でも八年前ですよ。お客さん……」
どう見ても十歳前後の少年が八年前を語るには、違和感があった。シェフは少々訝しむ視線を灯に送る。
「知っているのは俺じゃなくて、こっち」
灯が親指で隣に座るトキを指さした。驚いたトキは灯を見つめるが、わずかに首を傾けられただけ。トキを試しているようだった。
「あ、えっと、小さい頃に親戚の人にここに連れてきてもらったことがあって、そのときに」
「おお! うちに来たことを覚えててくれたのか。ありがとうな!」
喜びで思わず口調がくだけたようで、どことなく桐の話し方と似ている。
「おっと、つい。では二号店にもぜひ」
「二号店?」
桐が思わず聞き返す。ここでシェフと桐の目が合った。今更だが桐の変装は上手くいっているようだ。
「二号店の開店のためにここから必要な物をいくつか持っていったので、それならいっそと、ここもリニューアルをしたんです」
すっかりシェフの口調は戻っていた。そのことは気に留める暇もなく、重要な手掛かりを得たことで、三人は顔を見合わせて頷き合った。
「その二号店の場所を教えてくれ、じゃなくて、ください!」
桐が勢いよく立ち上がってシェフに頭を下げた。敬語付きで。
「これをどうぞ」
渡された名刺型の紙には二号店の場所と電話番号が記されていた。彼女への重要な手掛かりに手が震えてきた。
「おおおおお!」
その喜びの勢いで飛び跳ねそうな桐を、灯が強めにたしなめた。
「うるさい、座れ」
トマトパスタも、その後に出てきた料理も含め絶品だった。おまけでアイスクリームまでつけてくれたことでトキはご満悦だった。
「さて、二号店に行ってみましょう! そこに桐さんの探している方がいるかもですよ!」
店を出て、トキがやる気に溢れた声と共に握った手を空に突き上げた。
「椅子はあるだろうが、開化しているなら離れている場合もあるがな」
冷静な灯の意見に、少しだけシュンとするトキ。一方、桐は何かを考えているようだった。どうした? と灯に聞かれ眉間に軽く皺を寄せたまま言った。
「なんであの店がリニューアルしたって分かったんだ?」
「ああ。お前が店内の配置に違和感を持っていただろう。そのあたりの床を見てみたら、跡がずれていたからな」
「跡?」
「あ、ずっと机や椅子を動かしてなかったから、床にその跡がついたんですね! それがずれてるってことは、動かした、つまり、リニューアル!」
パンッと手を合わせ、トキが嬉しそうに答えへの筋道を辿っていく。
「正解だ」
桐が、おおなるほどと呟いた。
「店が暗くなったのは、そのリニューアル期間だったってことか……!」
「そういうことだろうな。ただ、これは俺の推測だが、店が暗かったのではなく、お前の視界が暗かった、だろう」
「どういうことだ?」
「あの店の物はお前を含め年季の入ったものが多かった。そういうものが現役で使えているのは、持ち主が気を遣っているからだ。リニューアル中、保護するために机に布か何かかけていたんだろう」
「素敵なシェフさんですね」
「まあ、推測だがな」
開化の際の出来事でシェフへ苦手意識があった桐だったが、シェフが普段丁寧に店の掃除や手入れをしていたことは、よく知っていた。知っていたのだが、それを当たり前に見てきたために、凄いことだとは分かっていなかった。
「そうか。あいつ、いいやつなんだな」
しみじみと口にした言葉は、感謝の思い。桐の本音であった。
「さあ、二号店に行きましょう。シェフさんがきっと同じように大事にしている、椅子の方に会いに」
トキが椅子の方と言った途端に桐の表情が、はたと固まった。
「待ってくれ。あの子に会えるかもしれないのに、この格好はさすがに」
「…………似合ってますよ?」
「すごい間があったぞ! 着替えてから行く!」
三人は一旦本部へ戻り、桐はパーカーにジーパンのスタイルに戻った。灯とトキも制服の方が落ち着くと言い、着替えていた。
「なんだか緊張してきた。あの子にちゃんと言えるのか、おれ」
そわそわとしながら歩く桐に、トキがこてんと首を傾げて言った。
「練習します? あたしで良かったら」
「いや、練習で言っちゃったら、こう、本番が嘘みたいに感じるというか、その上手く言えないけど」
「じゃあ、さっさと行くぞ。時間が経つほど緊張は増えるだろうからな」
灯を先頭に、シェフからもらった紙を頼りに二号店へ向かった。太陽は沈みかけていて、宵の空が広がってきていた。
目的地は、桐がいた方のレストランから二駅先のところにあった。駅前の目立つところにあり、すぐに見つかった。外観は少し似たところもあったが、こちらの方が可愛らしい印象がある。
「あれ? 準備中になってますね。どうしましょう?」
「行く。きっとここにあの子がいる」
移動中ずっと無言だった桐は、その間に覚悟を固めていたようで、そのまま扉に手をかけた。扉は桐を拒むことなく内側へ開いて迎え入れた。
「誰も、いませんね」
そっと後に続いたトキが店内を見渡した。
「これだ! この椅子だ!」
桐が、店内の中央にある丸いテーブルに添えられた椅子を指さした。しかし、近くに『女の子』はいない。
「物の近くにツボミがいないなら、開化はしているんだろう。また日を改めて探してみるか」
「いると、思ったんだけどな」
がっくりと肩を落とした桐の体が、一回りも二回りも小さく見える。
「いつも、あの子とこうやって手拍子をし合ってたんだ」
――タン、タン、タタン、タン、タタン
静かな店内に桐のリズミカルな手拍子だけが響いた。続けて、ため息の音も。
「やっと、ちゃんと話せると思ったんだ。言葉でちゃんと」
「また明日来ましょう。営業時間にきて、ここのシェフさんにも聞いてみましょう」
トキが俯いている桐をのぞき込むようにして、優しく声をかけた。
そのとき、店の奥からわずかに物音がした。灯がとっさにトキを背後に隠して身構えたが、よく聞くとそれは――手拍子。
――タン、タン、タタン、タン、タタン
「!」
桐と同じような、いや、全く同じ手拍子と共に奥から現れたのは、エプロンを身につけた少女。
「探していた方ですか?」
トキが小声で尋ねると、桐は無言でコクコクと何度も頷く。
「よし、行ってこい」
灯は桐の背中を思いっきり押して、文字通り桐の想いの後押しをした。
「うおっ、おっとっと。えっと、その、おれのこと覚えてる……? レストランで一緒だった机」
彼女はコクリと頷く。桐は大きく息を吸い込むと、頭の中で反芻した言葉を精いっぱい伝えた。
「ずっと気になってたんだ。その、と、友達になってください!」
握手を求める形で右手を差し出したポーズのまま、桐は思わず目をつぶる。
「あれ告白か?」
「しっ! 灯さん」
少し離れて様子を見ていた灯の呟きは、我がことのように見守っているトキに一蹴された。
桐は、そっと目を開けて何も言わない彼女を見る。目が合った瞬間に、彼女が口を開いた。
「いやです」
「え」
固まる桐との距離をつめて、差し出されたまま行き場を失くした桐の手を両手で包み込み、自分の頬に沿わせた。そして、彼女は桐を見上げて小首を傾げてみせた。
「私は、あなたの恋人になりたいの。……だめ?」
「だめじゃない!! です! 全然!」
桐の返答を聞いて、彼女はバラが咲くように艶やかに笑った。
今は二人きりにするのがいいだろうという判断で、灯とトキはそっと店から出た。
彼女の言動は、明らかに自分の可愛さを自覚してのもの。小悪魔という形容が似合いそうである。
「椅子のあいつのどこが『上品でおしとやかで大和撫子』なんだ?」
「ふふっ。でも、お似合いですよ、あの二人」
トキはレストランを振り返って、嬉しそうに微笑んだ。灯は両手を腰に当て小さく息をついた。
「まあまあスムーズに相談の解決が出来たんじゃないか」
「本当ですか! 褒めてくれますか?」
「ああ、よくやった、トキ」
トキは、にやける頬を両手で支えるように包み込む。その場でくるくると回り、外ハネの髪が嬉しそうに跳ねる。
「開化したてはどうなるかと思ったがな」
「もうー! せっかく灯さんの褒め言葉を噛みしめてたのにー」
「ともかく、相談は解決。あいつも何かあればまた来るだろう。帰るか」
「はいっ」
管理課の二人の影が後ろに長く伸びていた。
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