第五章 月日は流れて

18話 潮時


―――


 月日が流れるのは早く、あれから数ヵ月が経った。もうすぐ12月という事ですっかり冬の気配が漂う。

 私はマフラーの下から声を出した。


「寒いね~」

「そうだな。あれ?お前手袋は?」

 雄太君に指摘されて慌ててポケットに手を突っ込んだ。

「朝急いでたから忘れてきたみたい。あはは。」

「そそっかしい奴だなぁ。ほら。」

 雄太君はそう言うと自分の手袋を外して差し出してくる。

「え!いいよ、そんな……雄太君が寒くなるじゃん。」

「いいって!」

 半ば無理矢理押しつけてくる。私は戸惑いながらも受け取った。


「ありがとう。」

「別に。そんなに寒くねぇし。」

 今まで寒そうな顔してたくせに。思わず噴き出した。


「な、何だよ……」

「別に~♪」

 さっきの雄太君の真似をすると、肘で軽く小突いてきた。

「いたっ!暴力反対~!」

「自業自得だろ。」

「おはよう。相変わらず仲良いね。」

「わっ!桜!」

 突然私達の間から桜がぬっと顔を出す。余りの事に飛び上がった。


「大神か、うっす。」

「校門の前でイチャイチャしないの。まったくもう!恥ずかしいったらないよ。」

「イチャイチャなんて!……してないし……」

 周囲の目を感じて途中から声が小さくなる。すると桜は悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「千尋ってばからかいがいがあるね。」

「もう……」

 脱力している内に昇降口に着いた。雄太君とはここで別れる。


「じゃあまた帰りな。」

「はーい。」

 歩いて行く雄太君を見送ると桜の方を振り向いた。

「さっ!うちらも行こう。」

「うん。」

「今日の一時間目って何だっけ?」

「数学だよ。」

「げっ!」

「何、その『げっ!』って。」

「だって苦手なんだもん。それに数学の田山先生わかりづらいし。」

 口を尖らせて言うと、桜は短くため息をついて『わかった、わかった』と頷いた。

「後でわかりやすく教えてあげるから寝るのだけは勘弁してね。」

「やった!」

 ガッツポーズをする。隣で桜が苦笑した。


「おはよー。」

「おはよう。」

「千尋!桜も!聞いた?」

「な、何が?」

 教室に入ると何やら女子達が騒がしい。挨拶も抜きで一人の子が凄い勢いで駆け寄ってきた。


「高崎先生に彼女ができたって噂!」

「え…聞いてない。それ本当?ただの噂でしょ。」

「ううん。だって見た子がいるんだもん。先生と女の人が街を歩いてるとこ。」

「へ、へぇ~……」

 思わず動揺してしまう。震え出した手を隠そうとして、朝雄太君から借りた手袋が目に入った。


 そうだ、私には雄太君がいる。先生が女の人と歩いてたからってそれが何だっていうの?それにその人が彼女だって決まった訳じゃないし、っていうかお兄さん……じゃなくてお姉さんかも知れないんだし。


 なんて百面相してたら桜に話しかけられた。

「千尋、大丈夫?」

「え?あ、うん……」

「もう授業始まるよ。」

 ハッとして周りを見ると、さっきまで話していた子も騒いでた子達も自分の席についていた。

「ご、ごめん……」

 慌てて席に座る。桜も心配そうな顔をしながらも何も言わずに自分の席に座った。


「ふぅ~……」

 長い長いため息が出る。

 この後の数学の授業はまともに聞いていられる自信がなかった……




 昼休み、お弁当を食べていたら不意に桜が訊ねてきた。

「千尋はどう思ってるの?」

「何が?」

「高崎先生に彼女がどうこうって話。」

「あぁ。別に何とも。」

「何か冷めてる……」

 じとっとした目で見つめてくる桜から視線をずらす。


「だって千尋はまだ先生の事……」

「桜。」

「顔にショックって書いてあるもん。それなのに……」

「桜!」

 私の大声に桜の肩が跳ねた。


「ごめん、大きな声出して。でも私には雄太君がいる。」

「…………」

 無言がこの場を支配する。居たたまれなくなって俯いた時、桜の声が聞こえた。


「千尋の考えはわかった。私はどうなってもあんたの味方だからね。」

「桜……」

「早く食べよう。お昼休み終わっちゃうよ!」

 明るい声でそう言うと残りのお弁当を食べ始める。私も箸を持ち直したけど、もう食欲はなくなっていた。




――高崎side


 高崎は職員室を出て廊下を歩いていた。

 早いもので千尋に告白したあの夏から季節は過ぎてもう冬になる。たまに千尋と雄太が一緒にいるところを見かけるが、その度に胸を痛めては軽率な行動をとってしまった事を後悔するという無限のループに陥っていた。


「潮時なのかな……」

 ボソリと呟く。千尋ばかりが前向きに自分の道を歩いて行こうとしている。それに比べ自分は……


 新しい出逢いを求めて、今まで断っていた実家からのお見合いの話に積極的になってみたり、不本意ながらも兄に友達を紹介してくれるように頼んだりしてみたけど、どんな素敵な女性と会ってもしっくりこなかった。

 それで結局全部断ってしまうという事になって、実家や兄には多大な迷惑をかけてしまう結果となったのだ。


 しかも間の悪い事に、この間の休みの日に兄と街を歩いていたら学校の生徒に見つかってしまい、瞬く間に噂になっている。高崎はもう一度ため息をついた。


 あの噂を千尋が聞いたらどう思うだろうか。少しは気にしてくれるだろうか。

「そんな訳ないか。」

 そこまで考えて首を振った。


「あ、先生~!」

 その時前方から声をかけられた。顔を上げるとそこに千尋と桜がいた。桜が一人、こっちに手を振っている。

 高崎は一瞬強張った表情を緩めると二人の方へ近づいた。


「大神さんに風見さん。どうしたんですか?」

「先生に聞きたい事があるんですけど。」

「何ですか?」

「先生に彼女がいるって本当ですか?」

「ちょっと、桜!」

「いいじゃない。で、どうなんですか?」

 高崎はチラリと千尋の方を見る。千尋は不貞腐れたように目を逸らした。


「噂ですよ、噂。」

「本当に?先生が女の人と歩いているところを見た子がいるんですが。」

「僕に彼女はいませんよ。」

「ホントかなぁ~」

「ホント、ホント。さぁ!五時間目の授業始めますよ!」

「はーい。」

 強引に教室に入らせると自分も中に入った。


『彼女はいない』と聞いて千尋の顔がホッとしたような表情に見えたのは勝手な思い込みだろうか。


 机に頬杖をついて遠くを見ている千尋を見ながら、やっぱり潮時だと思うのだった……



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