スナックママの夜な夜な話

梨花

第1話 故郷は遠い

そのAさんは、開店してまだ間もない早い時間にドアを開けた。

「いいかな?」

知らない中年の男性。かなり酔っている。

通常、知らない人の入店はお断りしている。

田舎のスナックで、平日はママ一人だからだ。

断ろうにももう椅子に座ろうとしている。

「まあ、仕方ないか」

と思い、Aさんを招く。

「4時から飲んでるんよ。もう、酔っぱらった。」

「そうみたいですね。」

焼酎の水割りを出す。

「久しぶりなんよ。飲みに出るのは」

あまり、個人情報は聞かないのだが、

「地元の方ですか?」

「ああ、志和。」

靴を買いに来たのだという。白い運動靴を見せてくれた。

フラフラしながらトイレに行く。

大丈夫なのか。

他のお客さんが来たら引くかも?

色々思ったが、粗暴な感じではなく、暮らし向きが良さそうではないが、

悪い感じの男ではなかった。

「酒飲めるの、今日までかな。」

聞けば、体調が悪く、検査したところ、大腸がんが見つかり、近く入院して手術することになったという。

「一人暮らしだからさ。心細いね。この年になっても」

寂しそうに焼酎を一口飲む。

「早かったんでしょ?」

「どうなんかね。手術するんだって。」

「出身は、ここですか?」

「いや、島根県」

ほとんど目は合わせずに答える。

「島根県のどこです?」

「津和野」

「いい所じゃないですか」

Aさんは、少しはにかんだような笑顔になって、

「知ってる?」

「知ってますよ。私、山口県だから、よく行きました。」

Aさんは、嬉しそうに何度もうなづきながら、また一口飲んだ。

グラスを置くと

「もう、何十年も帰ってない。」

その言葉には、一番の寂しさが浮かんでいた。

Aさんは、津和野ではかなりのお金持ちの息子だったそうだ。

お手伝いさんもいて、いい学校にも入った。

しかし、兄弟が多かったので、結婚してから家にあまり戻ることもなく過ごした。

色々あって、離婚し、一人になったが、更に実家には戻れなくなり、

両親の葬儀にも出ていないとのこと。

津和野と言えば、

大古谷稲荷神社

源氏巻

蒸気機関車

乙女峠

鷺舞

などなど

いい所満載の観光地。

そんな話で時間は経った。

「手術の前に一度、津和野に帰ってみたらどうですか?」

私の提案に

「津和野って、車がないと不便な所よ。免許も車もないし」

「どこかから、バス出てるでしょう?」

「かな」

「遠いな」

源氏巻が美味しいなど、取り留めのない話をして、

「また、来るよ。今日は、ここで良かった。ありがとう。」

Aさんは、立ち上がった。

2週間ほどして、Aさんが来店。

その日もご機嫌だった。

居酒屋も4時にはもう開いてると喜んでいた。

「手術までにまた来て下さいね。」

Aさんは、2度頷いた。

気になったので、1週間後、友達と津和野にドライブした。

大古谷稲荷神社で、お守りを買うためだ。

蒸気機関車も煙を吐いて、青空の下、過去と未来を結ぶかのように走っていた。

Aさんが来たら、故郷のお守りを渡すことで、少しでも元気になって欲しいと願ったけれど、

その後、Aさんは現れなかった。


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