2019年に読んだ本のこと

鹿紙 路

マルグリット・ユルスナール『黒の過程』

マルグリット・ユルスナール著、岩崎力 訳『黒の過程』白水社、2008年。


以下には、結末含め、本書のあらすじに触れています。未読の方はご注意ください。ただし、この小説の勘所は、あらすじではない……気がする。


ツイッターによると去年の8月1日に買った本なので、約六ヶ月半、読んでいた計算になる。複数の本を平行して読むので、もちろんずっとこの本ばかり読んでいたのではないけれども。


病気をして以降たくさんの本を読むということができなくなっているので、これでもたぶん短いほうだ。なにしろ同じ作者の『ハドリアヌス帝の回想』は二年かかっているので。


個人的にはこの本、かなりエンタメだと思う。なにしろびっくりするようなすごいことが立て続けに起こる。『ハドリアヌス~』のように老人の回想書簡ではなく、主人公をめぐるさまざまなひとびとの波乱に富んだ人生を描く。主人公は16世紀の医者兼錬金術師兼哲学者。とてもとっつきにくい。わたしの苦手分野である哲学が出てくる。しかも主人公はそれについて内省し、議論する。自然、その部分は読むのがゆっくりになりがちで、でも読み終わったいま、意外と印象は薄く、残っているのは「びっくりするようなすごいこと」のほうだったりする。


たとえば、主人公ゼノンは未来へ突き進む颯爽とした青年として最初現れる。幼なじみの青年と街道で出会い、「ぼくはアルプスへ」「ぼくはピレネーへ」と言って別れるシーンは、青春小説的なきらきらとした輝きに満ちている。ところがそこで物語はゼノンを離れ、かれの母親に移る。彼女は裕福な家の娘だが、聖職者の青年と恋に落ちてゼノンを産む。そして青年に捨てられる。年上の商人に見初められ、かれの教派――急進的な宗教改革派である再洗礼派に染まり、夫を待つあいだミュンスターでの反乱に身を投じ、追いつめられておぞましい行動を取って処刑される。この章――「ミュンスターにおける死」は、彼女イルゾンドが、震えるような恋や焦がれた理想と、当時の規範や宗教のはざまで押しつぶされるさまが克明に描かれるとともに、宗教改革と反動宗教改革という、主張は異なるが、殺し合い踏みにじりあうという行動は同じ集団の、身の毛のよだつような本質を描いている。さらに、妻の死を知った夫の臨終の心理描写。理想を求めて、しかし泥沼にはまってしまう苦悩を描いたシーンは迫真的だ。


それだけでは終わらないのがこの小説である。つぎは、ゼノンの異父妹マルタを主人公にする。彼女がケルンでみまわれるのは、急速な死をまぬかれえない不治の疫病であるペストの猛威だ。マルタはそこで、双子のように愛し合った幼なじみの少女を失う。宗教改革の一派である福音派に惹かれていた彼女は、その猛威を前に無気力になり、気の乗らない結婚をする。


次に出てくるのはゼノンの幼なじみアンリ・マクシミリアン。インスブルックで再会したゼノンとかれが議論をする「インスブルックでの会話」のあと、アンリはあっさりとした描写で戦死する。


その後ようやく、物語はゼノンに戻る。出版した書物が発禁となり、逃亡し、名前を変えて、しかし故郷ブリュージュに戻ると、かれは医師として活動する。本の前半で、やや斜に構えた尖った青年だったかれは、医師として、街のひとびとを貧富の差なく献身的に手当する。作品に登場していなかったあいだに、かれは東方やアフリカに行っていたようだが、その冒険は回想として出てくるだけだ。重要なのは、そうしてキリスト教の外を見たかれが、ふたたび泥沼のヨーロッパでもがくように仕事をする点で、しかもかれは尊敬する人物にも出会い、ブリュージュから出られなくなる。


主人公に夜這いをかける女中とか、彼女と主人公がどん詰まりでジタバタする様であったりも読みどころだ。


「黒の過程」とは、錬金術の用語で、物質が金に変わるもっとも困難な行程――かつ、ユルスナールとしては「しきたりと偏見から抜け出る精神の試練」としての意味も持たせたかったようだ。


これはわたしの感覚であり、ほかの読みを覆せるようなものなのだとは思っていないが、この物語においてゼノンは「黒の過程」をクリアしたかというと、そうではないと思う。たしかにかれは最後、苦悩の果てに自分で自分を殺すという、医術と反比例した行動で死ぬが、それは解脱というよりも敗北なのではないか。かれは16世紀に生き、16世紀の人間として死を選んだのだ。


その「真実らしさ」をつくりだした作家の筆は見事というほかない。この本全体からわたしがなにを受け取ったかというと、世の中という修羅場で、理想を求めあがき、他者をいとおしむすがたはうつくしい。うつくしすぎて切ないほどだ。同時に、そのうつくしさは醜さを引き起こす。人間は醜い世界に自分で自分を縛り付けているのだ、ということだった。その泥沼をはいずる行いを、取るに足らないと卑しめることはできない。ハドリアヌスのように客観的に自分の世を見つめることももちろん大切だが、「渦中」に自分を置くことでしか人間は生きられないのだ、とも。


多すぎて引用できないが、この本は、事物の見方をすこしずらすことで、はっとするような新しい発見をもたらす文章で満ちている。あるいは、そのようなちいさな発見の積み重ねでしか、世界は解き明かせないのかもしれない。

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