第16話・雨

 梅雨のある日。

 朝から降り始めた雨は放課後になった今でも継続的にアスファルトを濡らしていた。

 雨は嫌いだ。

 服は濡れるし、湿っぽいし、世界は暗くなる。

 こんな日にはゆっくりと本でも読もう。

 そう思った僕は図書室が買ってくれた新刊をめくっていた。

 僕の隣には机にお尻を乗せた大橋さんがいる。

 大橋さんはさっきからずっと窓の外を見ていた。

 そしてそのまま僕に言う。

「ねえねえ篠塚くーん」

「なに?」

「雨だねー」

「うん。そうだね」

「雨の日ってなんでこんなにテンションが下がるんだろ?」

「雨だからじゃない?」

「だよねー」

 雨の日の大橋さんはこんな答えで納得してしまうらしい。

 僕としてはゆっくりと読書を楽しめるからこれも悪くなかった。

 大橋さんは窓の外を、僕は本を読みながら時間が過ぎていく。

 すると大橋さんはなにか思いついたように「あ♪」と弾けた声を出す。

「ねえねえ篠塚君♪」

「なんですか?」

「篠塚君は雨の代わりになにが降ってきてほしい?」

「なにが?」

「そうそう」

 大橋さんは楽しげに微笑む。

 きっと言って欲しい答えがあるんだ。

 そして大橋さん歴も長くなってきた僕にはその答えが分かった。

「そうだね。雨の代わりに飴が降ってきてほしいかな」

 甘い物が大好きな大橋さんはこれで大喜びのはずだ。

「えー。そんなのやだよー」

 大橋さんは不満そうにした。

 あれ?

 おかしいな。

 大橋さんなら『もしそうだったら雨の日はずっと口を開けてるー』とか言うはずなのに。

「もー。篠塚君ってわたしのことを甘い物あげとけば大人しくなるとか思ってない?」

 ……正直思ってます。

 そうか。

 僕の大橋さん歴が長くなればなるほど、大橋さんの僕歴も長くなっているんだ。

 僕は困りながらも視線を本から大橋さんへと移した。

「お、思ってないよ……」

「本当かなー? まあいっか。でもよく考えてみてよ。飴なんか降ってきたら痛いし、止んだら足下がべとべとしちゃうんだよ?」

 よく考えてみたらそもそも飴は降らないんじゃないかな?

 なんて言ったら怒るだろうな。

「まあ、そっか……」

「でしょ? もー。しっかり考えてよ」

「う~ん。じゃあお金とか? 小銭だったら痛いからお札かな」

「千円札?」

「え? じゃあ一万円札でもいいけど」

「でもそんなのが降ってきたら雨の日はみんな仕事なんてしなくなるよ? 拾っちゃう方が稼げるんだし」

 なんかリアルな話だな。

「映画とかであるみたいに?」

「そうそう。人だかりができて脱出成功しちゃうよ」

「しちゃいますか」

「それに通貨の供給が増えて円安になっちゃうし」

 大橋さんってこういうところはしっかりしてるんだよね。

 たしかにそれだと砂漠地帯は通貨高になっちゃう。

「みんな働かなくなっちゃうんよ? ベーシックインカムだよ!」

 六時限目が政治経済だったからか、大橋さんは妙に社会的だ。

 僕は少しだけどムキになった。

「じゃあ一円札を作るよ。一円札ならあんまり拾わないんじゃない? なんなら一銭札でもいいけど。価値が低いから円安にはなりにくいし、でも子供とかはお小遣いが増えるから大喜び」

 我ながら苦しいが、悪くないアイデアだ。

「でもそしたらあんまり拾われないんじゃない? そうなったら大量のお札を廃棄しないとダメだよ。その分のコストがかかっちゃう。そもそもお札を捨てるのってダメだし」

 たしかに……。

「それに今は電子マネーの時代だから」

 身も蓋もないな。

「じゃ、じゃあ雨の日にスマホを持って出かけると電子マネーが貯まっていくとかは? そしたらテンションも少しは上がるだろうし」

「データが降ってくるの? それだとくもりと一緒だよ」

「あ。そうか……」

 あれ? 

 意外とこの質問って難しいぞ。

 僕は窓の外を見上げた。

 黒い雲と大量の雨粒はまだまだその勢いを保っている。

 大橋さんも窓の外を見上げた。

「きっとね。雨って必要なんだよ」

 結局そこに落ち着くのか。

「雨がないと野菜も育たないし、お水も飲めなくなっちゃう。それにずっと晴れだとテンション上がりっぱなしでしょ? だからたまには雨の日にクールダウンしないとなんだよ」

 なんかずるいなと思いつつも、同感だった。

 雨の日にゆっくりと本を読みながら大橋さんとお話するのも悪くない。

「たしかに。良いことばかりだとそれが普通になっちゃうしね」

「そうそう。たまには悪いことがあるくらいがバランスの良い人生なんだよ」

 今日の大橋さんは少し大人っぽく見える。

 これも雨の成せる業なのだろうか。

 すると窓の外がピカッと光った。

 それを見て大橋さんがびくっと体を震わし、身構える。

 すぐさま稲妻が轟音を立てた。

「ひゃんっ!」

 大橋さんは可愛い悲鳴を上げて僕に抱き付いてきた。

 どうやら雷が怖いらしい。

 大きな胸が押し当てられた僕は雷どころじゃない。

「篠塚君! 怖いよ! 死んじゃうよ!」

「だ、大丈夫だよ……。部屋の中だし」

「でもいつかは外に出ないといけないでしょ? ずっと降りっぱなしだったらわたし達ここで暮らさないといけないんだよ?」

 それはそれで悪くないと思ってしまう僕がいる。

 大橋さんは涙目で訴えた。

「それにこの前ニュースで雷に当たって痺れちゃった人が出てたもん」

「いやでも、その大橋さんはあんまり大きくないからさ。きっと当たらないよ」

「じゃあ一緒に帰ってくれる? 避雷針になってくれる?」

 すごい勧誘だな……。

 すんすんと泣く大橋さんを見て、僕は呆れながらも頷いた。

「うん。なってあげるよ」

 それからしばらく経って、雷は落ち着くと僕らは帰路についた。

 でも雨はやまず、大橋さんはずっと僕の腕にしがみついたままだ。

 柔らかい感触にどうにかなってしまいそうだったけど、直前のところで抑え続けた。

 ドキドキしながらも思ってしまう。

 こんなことが続くなら雨の日も悪くない。


 追記 雷を稲妻というのは稲ができる季節に多く発生するからしい。つまり稲の妻だから稲妻。雷が多い年は豊作になるとか。

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