王女の休日は秋葉原で

第2話王女の休日は秋葉原で

神々が統治する永遠の国エターナルランド

地上から遥か遠く、天からも遥か遠く

大地は豊穣にして、生き物は決して飢えることがない

争いも絶えて久しい平和な国。

その中心にそびえ、天空に届く世界樹の頂点にひとり立ち

女王フレイヤは空の果てに太陽が沈もうとする様子を見ていた。

夜が訪れるまであと数時間。

1000年に一度だけ、この国の太陽は沈む。

そしてひと月の間、姿を現すことはない。

永遠の国エターナルランドに長い長い夜が来る。

不老長寿のこの国の住民ですら、夜を初めて迎えるものが多い。

最古のエルフのひとりであるフレイヤですら3度目の夜である。

この国の住民たちにとって、夜は絶えて久しい恐怖そのものである。

夜を知る長老たちは夜を知らない者たちに告げる。

「心配するでない。夜の闇はいずれ去り、太陽はわれらのもとに戻ってくるであろう。」

しかしフレイヤは太陽を再びみることはない。

女王の命は燃え尽きようとしていた。

太陽は再び昇る。しかしフレイヤは再び戻ることはない。

枝から一歩足を踏み出すと、彼女は木の葉が枝から落ちるようにゆっくりと下降していく。


松明が既に灯された宮殿の中を侍女たちがあわただしく動き回る。

「フレイヤ様、どこにいらっしゃいますか。」

「緑の間にもいらっしゃいません。」

「本当に・・・、フレイヤ様が姿を隠されるなんて、はじめてのことですわ。」

「夜が訪れようとするときに、いったいどこに行かれたのでしょうか。」

その時、東の門番の男が宮殿の息をきらして宮殿に飛び込んできた。

「申し上げます。水の精メリュジーヌより、フレイヤ様が虹の橋ビフレストを渡るのを見たとのことです。」

皆がざわつき、長老オルディンが門番を叱りつける。

「なぜ通した。いったいお前は何をしておったのだ。」

「申し訳ございません。歌声が聞こえてきたかと思うといつの間にか眠っておりました。」

「歌声、セイレーンの仕業か・・・・。」

長老は腰まで伸びた髭をさすり、唸る。

「ノルトはおるか。」

「はいオルディン様、ここに。」

オルディンの隣に陽炎が現れた。

「虹の橋を渡り、フレイヤ様を無事連れもどせ。」

「しかしながら、女王様が望まれない場合はどういたししましょう。」

「フレイヤ様はこの国そのものじゃ。女王が戻らねば狼や蛇たちが反乱を起こし、この国は太古の昔のように乱れよう。予言の時ラグナロクが実現することだけは避けねばならぬ。」

「わかりました。かならず女王様を連れ帰ります。」

陽炎は現れた時と同様に消えた。

「いったい、フレイヤ様は何を考えておいでなのか・・・。」


そのころフレイヤは虹の橋ビフレストを渡り、既に秋葉原にいた。

秋葉原、日本のサブカルチャーをリードしていくオタクたちの聖地。

フレイヤはその街を若い女性に変化して歩いていた。

常識にとらわれた人は常ならざるものに関して無意識に蓋をする。

そのため、彼女は人にとって、普通の人間の女性に見えるのだ。

女神にとって、2000年ぶりの地上は何もかも新鮮であった。

ある店を興味深く覗き込む。

「それをいただけますか。」

「シングルにしますか?ダブルにしますか?」

女王は少し考え、一人なのだからと納得した。

「シングルで。」

「はい、500円になります。」

お金・・・・ああ、通貨のことね。

彼女は店員のイメージを読み取り通貨を創造し、彼女に手渡す。

通貨は店員に渡り、彼女の手元にはカップに入ったストロベリーアイスクリームが渡った。

ひとくち食べてみる。おいしい。

「なんという美味しいもの、生まれて初めての味です。永遠の国エターナルランドの民にもたべさせてあげたい。」

アイスクリームを片手にもち、街を散策する。

エルフの人形を見て面白がったり、電気店の家電製品を見て何に使うものかを店員のイメージから読み取る。

ひとしきり好奇心を満たした後、女王は本来の目的に戻る。目的は観光ではない。

「さて、探し物を見つけなければ。」

ポケットから白い羽根を取り出す。

「この世界の地上の風の神よ。白き翼を持つものへと私を導きたまえ。」

羽根は回転しながら空に舞い上がり、やがて北に向かって漂う。


羽根は何かを探すように右に左に揺れながら漂っていく。

そして上野の公園までたどり着くと何かを見つけたように一直線に飛びはじめる。

そしてやがて、幼い少女の頭上で止まり綿毛のように少女の頭に落ち、そして消えた。


フレイヤは少女に近づき話しかける。

「こんにちは、お嬢ちゃん。はじめまして。」

少女はフレイヤを見て不思議そうな顔をした。

「妖精の女王様だ。女王様、どこから来たの?」

フレイヤは微笑む。

「お嬢ちゃん。私はエルフの女王フレイヤよ。あなたのお名前は。」

「タカノアヤです。7歳です。」

「アヤちゃんね。よろしくね。」

母親が子供を呼ぶ声が聞こえる。

「綾~、おうちに帰るわよ。」

フレイヤは綾の頭を撫でて言う。

「アヤちゃん、また今夜、あいましょうね。」

アヤは手を振って母親のほうに駆けて行った。


女王は後方の気配に向かって呼びかける。

「そこにいるのでしょう、ノルト。」

背後に陽炎がゆらめく。

「女王様、お迎えに参りました。はやくお戻りになられますよう。」

「あなたに頼みがあります。」

ノルトの懇願を無視してフレイヤは話を続ける。

「あの少女の夢にゲートを開いてください。夢の精のあなたにとってはたやすいことでしょう。」

「しかし女王様・・・・、地上の民への関わりはタブーであるかと。」

「あなたがゲートを開いてくれれば、私は永遠の国エターナルランドに戻ります。」

「本当ですね、女王様。」

「私が嘘をつく必要はありません。引き受けてくださいますか?ノルト。」

ノルトは渋々承諾する。

「わかりました、女王様。しかし女王様みずからタブーを破るというのは。」

「あの娘は良いのです。」

ノルトが立ち去った後、女王は池の水面に向かって話しかける。

「セイレーンよ、あなたにも頼みがあります・・・・・。」


郊外の住宅街。時刻は深夜1時。

高野綾はベッドの中で夢を見ていた。

悪夢というには他愛のない、子供らしい夢だ。

何かが彼女を追いかけてくる。

彼女はひたすら逃げる。

同じ場所を何度も通り過ぎる。

いつまでたっても袋小路から抜け出せない。

何かは決して追いつくこともないし、彼女がその姿を見ることもない。

何かは得体の知れない”何か”なのだ。

それ自体は繰り返し見る夢。いつもは泣いて目を覚ます。

しかしその夜は違った。

突如、カラフルな色が現れ、灰色の世界が塗り替えられた。

青い空、緑の野原、青い湖が眼前に広がる。

さらに湖の方角からは美しい歌声まで聴こえてくる。

”綺麗な声・・・・近くで聴きたい。”

歌声に引き寄せられ、アヤは歩き出した。

後方からの気配はいつの間にか消えている。


湖の岩礁で人魚が歌っていた。

その人魚はアヤに気づき、話しかける。

「美しい姫様、お会いできて光栄ですわ。」

アヤも挨拶をする。

「こんにちわ、人魚さん。ここで何をしているの。」

「あなたを待っていたのですよ、姫。私は案内人。さあ、虹の橋ビフレストをお渡りください。」

そう言われて目の前に虹の橋が架かっていることに気づく。

橋は湖を横切り遥か彼方の対岸に向かっている。

アヤは疑うことなく橋に向かう。

後ろから歌声が聴こえてくる。

「我らが姫。また再びお会いする日を。」


アヤは虹色の半透明の橋を渡り、橋の頂点に達すると、向こう岸の様子が見えてきた。

夕刻なのだろうか、緑や湖面が赤く染まっている。

後ろを振り返りみると、そこには何もない。

先ほどまでの青い空と緑、そして湖の青い色の全てが闇に飲み込まれている。

橋すら、背後にはなかった。

アヤは突然怖くなり駆け出す。


やがて橋のたもとに白い衣を身にまとった美しい女性が見えてきた。

アヤは彼女にようやくたどり着き、その女性に抱きつく。

安堵感からアヤは泣きじゃくる。

「ごめんなさい。怖い思いをさせちゃったね。」

そう言ってフレイヤはアヤの頭を優しくなでた。

「もう、すっかり夜が近づいていますから宮殿に参りましょう。」

フレイヤはアヤを抱きかかえて宙に浮いた。


宮殿では喜びと戸惑いの声が交差する。

「フレイヤ様が戻られましたよ。」

「よくぞご無事で。」

「その、地這人つちびとの子供はなにものですか?」

騒ぎ立つ皆を制して、長老のオルディンが代表してフレイヤに尋ねる。

「女王様、ご無事でなによりです。しかしながらその娘はいったいどうされたのですか。」

フレイヤはアヤを抱きかかえたまま玉座に座った。

「皆に心配をかけましたね。礼を言います。」

「この娘についてはいずれ説明いたしましょう。アヤちゃん。」

珍しい光景にあたりを見回していたアヤは突然話しかけられびっくりした。

「アヤちゃん、これから大切な話があるの。もうちょっとだけお姉さんと一緒にいてね。」

アヤはこくりと頷いた。


宮殿の一番奥に、フレイヤの居住区がある。

このエリアに入れるものはフレイヤ本人が入室を認めたものだけ。

その居間のソファーにアヤとフレイヤが並んで座っていた。

テーブルを挟んで向かい合わせのソファーには三長老が並んで座る。

そのうちの一人、キロルがフレイヤに尋ねた。

「三長老をこの間に呼び集められたのは、2千年前のいくさ以来ですのお。」

トルトが話をつなぐ。

「つまりはそのような一大事ということですな。それに気づかんとは先代が悲しむぞ、オルディンよ・」

キロルがとりなす。

「まあ、オルディンはその時のことを知らんのでしかたあるまいて。」

「キロル殿、トルト殿、面目無い。」

「まあ、よい。それでフレイヤ様、この度は・・・・何事でしょうか。」

「世界樹より神託を受けました。わたしの命は尽きようとしております。」

「な、なんと。それは真実でしょうか。」

オルディンは驚いたが、二長老は深く目を閉じた。

「そうですか。やはり世界の終末ラグナロクが起きるのですな。」

「それもまた、運命か。」

フレイヤは微笑みを浮かべた。

「私はその運命に抗ってみようと思います。」

燭台の灯りがフレイヤの表情に陰影を与える。

世界の終末ラグナロクの始まりは冬の訪れ、そして古きもの達の死と新しきもの達の再生です。ならば、新しきもの達へと引き渡せば世界の終末ラグナロクはその意味を失う。」

突然、キロルが笑い始めた。

「ホッホッホ、詭弁ですのお。されど詭弁も信じれば真実ともなりましょう。それで、新しきものはどうなされる?」

フレイヤはアヤを指差した。

「アヤ、彼女こそがこの永遠の国エターナルランドの新しい女王となります。」

「なるほど、そういうことですか。そうなりますと・・・私とトルトも女王とともに消え去るべきですのお。我ら、十分この国に尽くしましたゆえ、そろそろ解放していただくことにしましょう。のお、トルトよ。」

トルトは頷いた。

「オルデインよ、そなたは新しい女王にお仕えせよ。」

「女王と皆様の御心のままに・・・・。」


三長老が去った後、フレイヤはアヤに優しく語りかける。

「アヤちゃん、この国はあなたのものです。引き受けてくださいますね。」

アヤは無邪気に問いかける。

「アヤ、この国のお姫様になるの?」

「そうですよ、あなたはこの国のプリンセスになるのです。」

そして、少しだけ悲しそうな表情でこう続けた。

「幼いあなたにはまだわからないでしょうが、これから先大変なこともあるでしょう。でも、あなたは選ばれし姫。この先、天と大地があなたを守ってくれます。」

「女王様、大丈夫だよ。アヤちゃん頑張るから安心して。」

「ありがとう、さあ、そろそろ目覚める時間です。虹の橋ビフレストまではノルトに送らせます。これからよろしくね。アヤちゃん。」

「ばいばい、女王様。」

そして、一人になった女王は湖畔にいるセイレーンに話しかける。

「お疲れ様。あの子の家族への眠りの魔法はもう解いて良いですよ。」


フレイヤは考える。

私に残された時間はそんなに多くはない。

夜が近づいている・・・・。

新しい夜明けは・・・・。

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異世界でのランチは菓子パンにしますか?それともわたし? 雪河馬 @snowmumin

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