リバースバース
小沢すやの
第1話 彼はありふれた
彼は切り札である。
切る。何を。
あと数十分後にやってくる明日の彼は、さて何を解決させるべきなのか、最後の瞬間まできっとわからない。察せないだろう。
自分がそう感じるのだから、彼が気付けないのは尚更のことだ。
切り札とは、証拠と方法である。
やってくる終演を盛り返すために打ってでる場面もある。まるで謀のようなめくるめく茶番劇。はたまた、予想をくぐり抜けた末の苦汁の逆転劇。
そんな甚だしい現実の待つ彼を夢中にさせるのが、くだらない空想である。
極秘文書の破かれた紙片になりたい! 怪しげで毒気があってくすんだ渋みの斑点がロマンをくすぐる、世界の理をも覆すような文字やら紋様やら時間やら何やらをぎゅっと詰め込んだ端くれ、破かなければいけなかったもの。とてつもなく凄い存在になってみたい!
それってどんな気持ち? すげー気持ちいいんだろうな、ヤバイかっこいい……!
昂ぶる想像はとどまるところを知らない。彼はヘンテコな憧れの気持ちを胸へと抱き、覗いた心の奥深くでは色とりどりのヒマワリの中を、全力で疾走している。
そう、空調が隅々まで効いていて当然のこの場で、身を纏う空気はどこまでも生温かった。
夏の夜。嫌でもあと数分で八月三十一日を迎えてしまう、そんな曖昧な刻。
ある年を境に、八月三十一日は遭遇の日となった。有り体に言えば、過去の思い出との接触である。なんの音沙汰もなく突如、昔話だった現実と今を生きる彼が交わってゆく。
今年の相手は一体誰なのだろう。怖いのだ。とても。
彼は、怖がっている。精一杯の平気な素振りがおぞましく、痛ましい。怖いのに。自分にも恐怖心はよくわかる。
それでも彼は、彼らしく、るんるん店内を闊歩する。赤や青、紫に茶色、白。棚にひしめくさまざまな商品パッケージがぐにゃりと、歪んで見えていた。
あちら側がじわじわと近寄ってくる。こめかみをうっすら撫でる汗が気持ち悪くて、怖気を増幅させる。息をゆっくり吐くとふらり、僅かに震えた両手でみぞおちを押さえつけた。胃が暴れる。頭蓋が割れる気さえする。
とてつもなく凄い存在になってみたい! 世界の理をも覆すような、ものすごい自分に。
月に向かって爛々と伸びるヒマワリ。堅焼き手前の目玉の黄身に似た色。あの花はどこまで伸び続けるのか。いつまで走れば逃げきれるのか。腹がすいているのか。
必死に叫べば誰かに伝わるのか。空っぽの彼は誰に助けてもらえるのか。
助けたい。
助かりたい。
君は身に覚えがないだけで、いつだって自身のみが切り札で最後通牒だった。そして、こんな摩訶不思議を夢見る当人は、大層な肩書きとは無縁の普通の少年だ。
もっと平たく言えばその正体は、ありふれた男子高校生である。
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