第90話 社員寮ブルース
証券会社には独身者用に社員寮が用意されていた。
「独身者専用」と言うだけに結婚したら出て行かなきゃならないルールであった。
また特殊な例としてほかの支店から大阪の支店に転勤してくる家族持ち社員が単身で「家探し」の期間だけ限定的に使用することもあった。
近代的な5階建ての綺麗な建物で「さすがは証券会社建物だけのことはある。一人前だなあ」と感心するくらいの作りであった。
しかし概観とはうらはらに部屋は監獄の独居房のようなもので三畳一間の中にベッドと机とロッカーがあるだけの極めて殺風景なものであった。
入り口を入って1階が風呂と食堂と娯楽室があって卓球や麻雀、囲碁、将棋などができるようになっていた。
エレベーターの各階の扉の横にはビールの自動販売機が置いてあって後述する我々のの唯一の憩いの場所となった。
起床は毎朝6時。
「ジリリリ」火災時になる大音響のベルの音で一日が始まる。
この火災報知機の音を聞くたびに「本当の火事の時はどう区別するんだろう」と常に疑問であった。
その後スピーカーからは
「皆さんおはようございます」の寮長の大きな声と共にNHKの朝のニュースが強制的に大きな声で流れてくる。
結構な大音量なので二日酔いの時には相当堪えた。
朝食は約10分で摂取早くしないと出社が間に合わない。
特に新人は7時までに出社して新聞を綴じる役目があるので、年の若い順に寮を出て行くことになるんです。
食堂の壁に貼ってある夕食の予約表はいつも空白であった。
夕方7時なんかに絶対帰れるわけがないからである。
日曜日の休みの日以外で寮で夕食を食べた経験はない。
1階に設置された公衆電話機がたった1台で当時は携帯電話やポケベルが無かったので外部との通信はもっぱらこの1台だけが頼りであった。
まあ長崎の出島といったところか・・・
恋人からの電話や家族からの電話は全てここにかかってくる。
外部から電話があると寮内放送で「○○さん、お電話です」寮母さんの声が流れるので嬉しくて鼻歌まじりで一階に直行したものであった。
しかしとんでもない奴がいて休日に顧客に長時間仕事の話でこの貴重な電話を使うやつである。
全くこいつには閉口した。
のらりくらりとくだらない仕事の電話のために唯一の楽しみである外部からの電話が遮断されたのであった。
仕事のできないやつの話し方は聞いていてイライラする。
客の気持ちがよくわかる。
こいつは先輩であったがついぞ寮の中で市民権を得ることはなかった。
恒例の酒盛りは、毎週末深夜に開催された。
場所は先ほど言った各階のエレベーターの横にあるビールの自動販売機の前でこたつを持ってきて朝まで馬鹿話のオンパレードをやる。
話題は各支店の証券マンが競い合ってのお互いの課長や支店長のバカ比べ、 かわいいレディさんコンテストを夜が更けるまで延々と話は続いた。
これは結構面白かった。
寮母さんもまた良い人でこんなアホな我々に差し入れで枝豆なんかを深夜に持ってきてくれたことを今でも覚えている。
本当にありがとうございました。
そういえば各部屋にはエアコンが設置してあったがこれがまた無用の長物で朝7時に作動して夜11時には必ず切れるようにセットされた代物であった。
絶対に在宅しない時間帯のみに稼働するエアコン・・・
平日この恩恵に預かったことは一度もない・・・
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