第44話 回顧 帰らない営業マン



7月10日  午後9時

 

「よし!支店長も帰ったことだし、今日は早帰りにしよう」


「わかりました」


「お疲れさんです」


「あれ、川崎、営業カバン持ってどこ行くんだ?」


「いや、ちょっと集金です、客のところです」


「今日は受け渡しはないはずだろ」


「いや課長、ちょっと、行かないと本当にマズイんです」


これは筆者の支店の出来事ではないが、このような言葉を最後に7年もたった今でも帰ってこない証券マンがいる。


どこに行ったかは知らないが集金に7年もかかるはずはない。


かわいそうに奥さんと当時一歳の子供を残して一体どこに行ったのであろうか。


彼は筆者の同期入社で関西の有名私立大学を出て、まじめ一本の人間であった。


ただ顧客の紹介で某暴力団員の金の運用を失踪する一年前から任されていたらしい。


当然、顧客とは「年~%で回します」などと、約束をしていたはずであるからその約束ができていなかったり、元本割れなどとなってしまっていてはたいへんな惨事となりうる。


その相手が普通の人であれば

「相場がもどるまでもう少し待って下さい。」

と言えるが、相手が相手だけに相当本人も苦しんだ事であろう。


とにかくどこかで元気にいてほしいと願うだけである。


この話以外に、東京の支店ではノイローゼになった営業マンが朝、

「動物園に営業行ってきます。」

といって帰らなかった事実がある。


もっともこの場合は本当に上野動物園にいたらしいが・・・


関西のある支店では建物の五階から飛び降り自殺した女子社員がでたのもこのころである。


文字どおり当時の証券マンは全員体を張って仕事をしていたのだ。


あれだけ新聞やマスコミに報道されながらも当の社内ではその経緯や顛末、善後策などの話は一切なされなかった、というよりむしろその話題を避けたがっていた感がある。


「いったいノイローゼが無くなるような正常な職場に戻るためにはあと何本人柱がいるのだろうか・・・」と食堂などでヒソヒソ話あったものである。

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