第24話  「できません」と言わせないカースト制度



5月27日  午後5時


「藤原、どうした元気ないぞ!」


「課長ちょっと折り入って話があるんです」


「何だどうしたんだ?」


「投資信託3000万出してますが実は全部旗なんです。」


「なんだと!どうするんだ、もう読んでいるんだぞ、自分の身内か友達にでも泣きついてでも頼み込めよ、冗談じゃないぞ、みんなが迷惑するんだぞ!」


前述の「旗を降ろす」瞬間のやりとりである

男として一番恥ずかしい瞬間である。


ここまで読者が読まれてきてたぶん不思議に感じるだろうなと思う事は

「なぜすべての証券マンは無茶な上司の命令にもこうも従順にしたがうのか、いやだったら自分でいやと言えばいいのに・・・」と。


もちろんほとんどの証券マンは最終学府を卒業しているエリートが多いので自己判断能力は人並み以上のものがあるはずである。


にもかかわらず何故あのような殺戮のメカニズムと知っててもそれに従っていたのかは、今思うと、ひとえに彼らの置かれている狂った環境のせいである。


よくベトナム戦争をモチーフにした映画を見るが、まさにあの最前線の様子に酷似している。


つまり兵隊たちもまた、まともな倫理観があったにもかかわらず、目の前の敵を殺す命令を受け、なおかつまわりの戦友たちがどんどん敵を殺す現場に遭遇すれば自分も

「殺さなければ」

という妙なプレッシャーがかかるのと全く同じ原理である。


そしてもっと恐いことには一回「殺せる」となるとそれはもう過去の事となり、半分中毒現象みたいなものとなって何度も何度もくり返すのである


それでもよほど、やっている事の無意味さと反社会的さを押して抗議する者もいたが、それはベトナム戦争で一兵卒が、戦争そのものの無意味さを批判してるのと同じ事で全く相手にされないばかりか、営業職からはずされて総務部預かりとなってしまう。


会社内の表現で

「営業職は武士、それ以外は百姓」

というのがあり、

「男であれば百姓には絶対なるな」

という不文律が存在していた。


これは証券会社というよりむしろ旧態前とした「カブ屋」時代の発想のなごりである。


もっとも筆者が在席していた頃はこの「カブ屋」から「証券会社」への移行期であり採用される側の新人自体ももっとクールな人種が入ってきたことも助けてむしろどんどん総務部へ所属変えを希望するケースがふえたそうである。


「別に百姓でもいいや、関係ないよ」というところであろうか。

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