報告



1905年5月31日


「おいみんな!今朝の新聞を読んだか!3日前、日本海軍がやつらバルチック艦隊に勝ったそうだ!」


手には「日本海軍ロシアに大勝利」と大きく書いた新聞を持ってタンが走ってくる。

「何!本当か!」


「本当だ、やつらが負けた!ここに書いてある。ほら見てみろ!」


タンが新聞をみんなの輪の中に放り投げた。


「こりゃすげえ、勝ったなんて生易しいもんじゃあねえ。見ろこの結果を!ロシア側は全滅だ。ロシア側の提督も怪我をして捕虜になったと書いてある、あのえらそうな白いひげのくそじじいだぜ。ざまあみろ!」


「ということは、おれをさんざん殴ったマカロフもスワロフスキーも今では海の底か、わざわざおれが手を下すまでも無かったな・・・ざまあみやがれ!」


左腕に包帯を巻いたカーが叫んだ。


「あのいまいましいロシアのやつら俺たちを東洋のサル、サルと馬鹿にしやがって、同じ東洋のサルに全滅させられて天国行きたぁいい気味だぜまったく!」

「おれの考えた泥作戦が今回の一番の勝因だったとそこに書いてねえか?」


カーが得意そうに胸を張った。


「馬鹿野郎、どこにも書いてねえよ、そんなこたぁ」


「うそ言うな、おれは文字が読めねえけれど写真を見ればわかるぜ、貸してみな」


カーがタイから新聞を奪い取って逆さに読んでいる。


「おっかしいなぁおれの写真がどこにもねえなあ・・・」


「だからねえって言っただろうが!」

タイの答えに。


「おい、見てみろこの写真!あの艦隊の写真だ」


「それがどうした?」


「わからねえのか?お前たちは頭が悪いのか?見ろ、この艦隊の周りは煙だらけだぞ!おれはこの写真だけで満足だ!」


「本当だ、真っ黒な煙だらけで走っているな。確かにこれじゃあ日本海軍に早く見つかっただろうなあ」


「ああ、カーの言うとおりこれは間違いなくおれたちの手柄だ!」

タンがみんなを見回して言った。


「ようしみんな、すぐにズンじいさんに知らせに行こうぜ」


「そうだな、みんな今日は仕事は休みだ」


「おうそれじゃあ、花を買ってくらあ」


「おれはじいさんの好きだった酒を買ってくる」


「おれは月餅だ、たしかじいさん好きだったろ」


「よし一度解散して丘の上に集合だ!」





同じ日 


カムラン司令部にファットは娘のチャンと一緒に大きなかばんを持って意気揚々と来ていた。かばんの中には「カニの手」の売り上げであるロシア水兵から徴収した入りきれないほどの軍票(軍隊が占領地で発行する便宜上の紙幣)が入っていた。


「そんな・・・もう一度言って下さい、カールマンさん何かの間違いでしょう」


「間違いではない、何度でも言ってやる、それはもはや紙くずだ、つまり何の価値もない」


「先日、あなたはロシア海軍の軍票はフランス海軍でその日のレートで換金してやるとおっしゃっていたではありませんか?」


「ファット頭は大丈夫か?それはロシア海軍が今回の海戦で日本海軍に負ける前の話だろう?負けた国の軍隊が発行した軍票に誰が金を出すものか。お前も商売人だったら少しは考えてみろ!」


「しかし言った事は守ってくれないと困ります!」


「言った事?よし、おれはたしか『その日のレート』と言ったな。今日のレートはゼロだ!それでは今からレートゼロで全部換金してやるからかばんの中にある軍票全部をそこに置いて行け。私は約束は守るほうでね、わかったか!」


「それはひどい!おれはこれから仕入れた酒と食材の代金と、ニャチャンから集めた女たちの給金を払わなければならないんだ。いったいどうしろって言うんだ!」


「それなら今から日本海の海の底に行って請求するこったな。ここは海軍だから連中の沈んだ場所くらいはわかってるから教えてやるぜ」


「そんな・・・」


「さあ話は終わった。出口はあちらだ、さあ帰った帰った」


カールマンの部屋を出てとぼとぼ門まで歩くファットにむかって大きなかばんを抱えたチャンが尋ねた。


「お父さん、一体どういうこと?こんなにお札があるのになんで?」


チャンが不安げに尋ねた。


「その札の価値がロシア海軍の敗戦によってゼロになったんだ!」


「つまり?」


「破産だ!ニャチャンの酒屋と食材を買った店に支払いができないし給金も出せない・・・」


「じゃあ私たちはどうなるの?」


「これから酒屋やクアンの兄貴からも追い立てられる。おれたちはカムランから逃げるしかない」


「逃げるって・・・」


「おいそこで何をごじゃごじゃ話をしているんだ!」


大きな声で恫喝しながら銃を持った衛兵は2人の親子を門の外に追い払った。


「お父さん、私、明日からまたカニをとるわ」


チャンが寂しそうにつぶやいた。





夕方、カムラン湾を見下ろせる丘の上にて



「みなさんお疲れ様です、こっちがお父さんのお墓です」


案内役のヒューがうれしそうに言った。


「お父さん、喜んで!みんなが揃ってお墓参りに来てくれたよ。それと今日はうれしい報告があるって」


父親の墓に膝まづくヒューのかたわらにベトナムの民族衣装のアオザイを纏った屈強な男たちが同じように次々としゃがみこむ。


あるものは酒を持って、あるものは花やズン村長の好きだった食べ物を持って


「じいさん、喜べ。日本海軍がロシアに勝ったそうだ」


タンが墓前に花を添えた。


「あんたの言ったとおり日本ってぇ国は本当にたいした国だなあ。あの世界一の艦隊が今では全部海の底だぜ」


「ああ、あれだけの艦隊を全滅させやがったんだぜ。同じアジア人として誇らしいぜ」


「さあ、あんたの好きな酒と餅を持ってきた。みんなと一緒に飲もうぜ!今日は全員で祝い酒だな」


「ヒュー、おまえはまだ子供だが、今日だけは飲め!おれが許す!おやじも多分許す!」


カーがヒューの頭を鷲づかみにしてなでた。


「うん、今日はお祝いだからがんばって飲むよ!」


「おう、そうこなくっちゃ!」


「おう、カー!得意のお前の故郷の歌を歌えや!下手くそだけど今日だけは我慢して聞いてやるからよう」


「チッ てめえら今までは我慢して聞いていたのか!」


「ところでカー、腕の傷はどうだ?」


焼香が終わったタンが聞く。


「ああ、肉が削られたけどもうすっかり直ったぜ」


と自慢の左の二の腕を突き出した。


刺青に彫った「第」の字の上の部分だけの肉がきれいに削られて「弟」になっていた。


それを見てタンは笑いながら言った。


「よかったな!天国のお前の弟が守ってくれたんだなきっと」


カムラン湾が眼下に見える。


つい1ヶ月前までは艦隊で真っ黒に染まっていたのがうそのようである。


酒が進むうちに極端に音程の外れたカーの歌がはじまり、男たちはあの苦しい作業も死傷者を出した争いも今では遠い昔のように思えてきた。



空には満天の月が彼らを見下ろしていた。

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