ホンゲイ炭
ベトナムでの収奪事業においてフランス政府最大の関心事は、ハロン湾の北にあるホンゲイ炭鉱(現在のハロン市)の利権確保であった。
現在ハロン湾は『海の桂林』と称されて世界遺産にも指定されており毎年600万人の観光客を海外から集めている名勝地である。
1830年にイギリスで端を発した産業革命以来石炭はエネルギーの素でありこの石炭がなくてはすべての産業機械、船、電力等がストップする。このエネルギー革命は次の石油の出現まで待たなければならない。
しかし同じ石炭でも品質にばらつきがあった。
同じ質量でも燃焼効率がよく、カロリー値の高い石炭が世界的に重宝されており特にベトナムの北部から出るホンゲイ炭は燃焼時に煙の出ない「無煙炭」であったがためにフランス政府は出資をしてインフラ設備を整えて露天掘りの鉱山を開拓した後、タダのような人件費でこれを掘削し収奪したのであった。
この物語のバルチック艦隊の寄港目的がまさにこのホンゲイ炭の積載であった。
戦艦を含む約40隻からなるバルチック艦隊は、海路15000里(約3万km)もの気が遠くなるような大遠征を石炭の燃焼から生じる蒸気力によって推進力を得航行しており、今その旅程の90%をこのカムラン湾で終えていた。
残りの旅程の10%分と戦闘用に必要な石炭3万トンがこの最終寄港地カムランで補給することが必要不可欠であったのだ。
ここに至るまでの石炭の補給は、スペイン、アフリカ西海岸やマダガスカルのノシベなど途中で寄港した港においてその都度ドイツの石炭商会から購入したもののその性能は水兵をして「泥のような石炭」と悪評がでるほどの粗悪なものであった。
ドイツ炭は石炭そのもののカロリー数が低くておまけに無煙とは程遠くバルチック艦隊は常に煙をもうもうと撒き散らして航海していたのだ。
戦後に公表されたバルチック艦隊の走行している写真には例外なく空が真っ黒になるくらいの煙が写っている。
ロシアはこの「クズ石炭」を戦時中の弱みに付け込まれてドイツの商社に買わされ続けていたのである。
カムラン湾を出れば残りの行程は10%ほどであるがそこでは難敵日本帝国連合艦隊との海上決戦が待っている。
帆船の時代とは違い近代の海上決戦とはおよそその艦の持ちうる最大出力と機動力を持って相手と戦わなければならない。
まして遠距離から接近を自ら知らしめるような煙突からの煙をもうもうと出して決戦海域に近づくことは相手に「今からそちらに行きますよ」と喧伝しているようなものである。
その点日本帝国海軍は日英同盟のよしみからカロリーが高く無煙炭の評価が高い「英国炭」を戦前から購入、備蓄をしていたので艦隊乗組員の練度と精度を十二分に発揮できる状態であった。
以上のことよりいかにバルチック艦隊がここカムラン湾で水と食料以上に良質の石炭の補給を喉から手が出るくらいに欲しがったかが理解していただけると思う。
フランス政府はバルチック艦隊が寄港する10日前からインドシナ総督府がポール・ボー総督の指示の元ホンゲイで採掘した良質の石炭をカムラン湾まで船で配送する手配をすでに完了していた。
しかしなにしろ3万トンもの大量の石炭なので10隻以上の給炭船を編成してカムランとハロン湾を何度も往復しなくてはならなかった。
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