031▽ボロ雑巾2nd



 ── ボロ雑巾ぞうきん、という言葉がある。


 雑巾ぞうきんすら量販店で購入するようになった近年では、そうするのも珍しくなったが、一昔前までは雑巾ぞうきんというのは使い古した布を再利用した掃除道具であった。

 つまり、雑巾ぞうきんとして縫い上げた時点で、既に布の生地が傷んでいるのが常だった。

 その、ただでさえ使い回しのそれを、さらにボロ布になるほどに使い古す。

 すると、汚れや油が染みついて灰褐色に染まり、いたんだ繊維があちこち飛び出し、穴だらけの破れだらけに成り果ててしまう。


 そういう風に、てて土にかえる間際のような、原型をかろうじてとどめているだけの有様が、『ボロ雑巾ぞうきんの様な』、という例えだ。


 小田原アヤトの眼前にぶら下がっているのは、まさにその様な、かろうじて人型をとどめているしかばねだった。


「…………」


 アヤトは、その無残をじっと凝視ぎょうしする。


 死体の下には、夕日が落とす影に重なるように、血だまりが広がっている。

 それだけの流血のせいで、すでにその肌は血の気が失せて、完全に土気色どけしょくだ。

 驚愕きょうがくのように見開かれた目の、その瞳孔どうこうは開いていて、さらに黒目がよどみかけている。


 一歩引いて全体を見れば、べろんと伸びた舌と、あちこちの大きな傷口、さらに腹部からこぼれた臓物ぞうもつ

 どれも、すでに鮮やかなピンク色を失っている。

 そんな風に、逆さ吊りの死体から地面の方へ色々垂れている諸々もろもろは、夏の熱気で乾いてしまったのか、生々しさは失せていた。

 むしろ、痛みかけた魚の身のようで、どこか汚らしく、乾物を干している最中のように不快ふかいにおう。


「……いつか見たつらだな」


 アヤトはそうつぶやいて、近づき、しゃがみ込んで、逆さ吊りの死体の顔をのぞき込む。

 そしてさらに、地面間際に垂れる脱色した長髪を引っ張り上げ、頭部をもう片手ですくいあげて、死後硬直した首を無理矢理に曲げて横に向ける。

 そしてアヤト自身の顔も傾けて、死体と目線を合わせてみる。


「うん、間違いない……。

 あれだ……あのうっとうしい女の上位眷属セカンドか、これ」


 彼は少し満足そうにうなづくと、両手を離して立ち上がる。


 彼の戦闘時のトレードマークである、青い長丈のウインドブレーカーのフードを右手で引っ張り上げるようにかぶり、そのまま右手を斜め上へ上げる。

 目の前で振り子のように揺れる、逆さ吊りの死体の、そのつるし上げたロープを狙うように。


 すると、その右手の袖の内から鎖が伸び、毒蛇が襲いかかるようにロープにからみつき、巻き付く鎖の先端が刃に変わってロープを切断。


 ── ドチャッ……っ、と成人男性の死体が、乾きかけた血だまりに着地する。


 アヤトは、レンガ張りの中庭に五体投地した死体の前にしゃがみ、その襟首えりくびつかむと、体重をかけた中腰で引きずっていく。


「……ムダにっ、重いなコイツぅっ

 これだから、図体ばかりのデカブツは……っ」


 真夏の夕方に青いウインドブレカーを着込んだ青年は、愚痴ぐちらしながらも、遺体を10メートル以上移動させて、ようやく建物の影へ引きずり込むと、ため息を一つ。


「さて、重要参考人のジジョーチョーシュといきますか」


 刑事ドラマでも真似まねるようにそうつぶやくと、右手の人差指ひとさしゆびに鎖を巻き付かせる。

 するとその先端が、またも刃と変わった。

 それを、左手の親指の腹へ、ぷつりと突き刺す。


 左手の親指に、じわりとにじんだ血を、さらに絞り出すようにして、一滴、赤い滴を落とす。

 血一滴が、狙いたがわず、青年の死体の無残に舌をはみ出した口へと、滴っていく。


 息絶えた死体に、生血を呑ませる。

 どこか退廃的で、背徳的な儀式にも見える、非科学的で不条理なその行為。


 しかし、その効果は劇的だった。


 まずは、ずるり、と海の軟体生物のように舌が動き回り、口内に仕舞われる。

 そして、ゴクリと、死人の喉仏のどぼとけうごめき、土色のほおに赤みが差した。

 よどんでいた黒目がゆっくりと閉じられ、カッ、と勢いよく見開かれる。


 わずか数秒前まで、間違いなく死体であったはずの者が、弾かれたように身をよじった。


「── ぶぅううえぇぇえぇえぇ!!?

 まっずうぅっ!!

 何これ、毒ぅ!?」


「何が毒だ、コラっ

 ふざけんなよ」


 アヤトは苛立ちの声と共に、蘇生したばかりの相手の顔面めがけて、容赦ない蹴りをたたき込む。


「痛え! ひでえぇ!

 もうちょっと、怪我人けがにんに優しくしてっ」


「だったらその前に、命の恩人に礼のひとつでも言えっ

 それともテメェら吸血鬼は、親以外に下げる頭はない、とでも言うのか?」


 その言葉に、ようやくせていた元・死人の男が、アヤトの方を向く。


「あ……あれ、サブロー、大将?

 え、マジ……?」


 よほど予想外だったのか、蘇生した作業服の男は、何度も目をしばたたかせる。


「おう、大マジだ」


「えっと……ち、ちぃ~ッス。

 お、お久しぶりでぇ~~す!

 ……ところで、なんか俺、助けられたっぽいッスか?」


 アヤトのどこか不機嫌そうな声に、彼をサブローと呼んだ男は慌てたような声色と愛想笑いで応える。


「ああ、『鳥よけのカラス』みたいになってたぞ」


「そ、それは、なんとお礼を言えばいいものか……感謝にたえません。

 ── ところで、トリよけの、カラス?

 なんスか、それ」


「たまに、畑のすみに竹サオとかでつるしてあるだろ、カラスの死骸しがいが。

 黒いボロボロのヤツ」


「ああーー……ってか、あれカラスの死骸しがいだったんすね。

 贋物ダミーというか、黒いビニールか何かと思ってたッス」


「アホか、黒いビニールだと匂いがしねえだろ。

 鳥もバカじゃねえんだ、ニセモノなんてすぐに見破られる」


 アヤトが自分の鼻をつつきながら応じる。


 吸血鬼の男が、話題を変えるように左右を見渡した。


「ところで。

 今、どういう状況なんッスか?」


「俺が聞きてえよ。

 だからお前を『生き返らせた』んじゃないか」


 アヤトは呆れ声で答えながら、血のにじむ親指の傷を見せる。


「なるほど……それで、サブロー大将の血を呑まされた訳ッスか。

 びっくりしたッス、毒かと思ったッス。

 刺激的を通り越した、もういっそ衝撃体験だったッスね。

 まだ、ノドがビリビリするッス……」


「異能者の血がマズいのはともかく、さすがに毒はねえだろ、毒は。

 ウチの女達おんなたちなんて、うまいうまいって喜んでナメるぞ」


「それ……絶対、味覚おかしいッス」


 アヤトの血の味がよほどだったのか、吸血鬼の男は悲痛なほど顔を強ばらせる。

 

 彼の、その表情がおもしろかったのか、アヤトは、フハっ、と笑いをこらえるような鼻息を一つ。


「まあ、アイツら混血種ハーフだからな。

 それは仕方ない。

 ── さて、せっかくだから、付き合え」


「付き合えって、サブロー大将、一体何を……?」


「お嬢様学校の校内見学だ、お前、確か用務員なんだろ?

 ちょっと案内しろよ。

 付き合ってくれれば謝礼代わりに、お前をカラスみたいにつるした連中を、ノラ犬のクソにしてやろう」


 夕闇の空を背に、夜の世界の強者、『鉄鎖の魔術師』・小田原アヤトが禍々しく笑った。


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