026▽ヤツガラミ
椿は、思わず口元を両手で覆った。
「うそっ、マスターが!? そんな……っ」
空中10メートル程に架かる鎖の上に立った少女が、信じられないと悲鳴を上げる。
眼下では、黒い異形が青いウインドブレカーの男を
── シシっ シシっ
黒い十字架のような魔物が、ユラユラと揺れながら倒れた男に近づいていく。
その鋭さを見せつけるように、凶器の両手をこすり合わせる。
まさに、<
「ま、マスターっ!?」
彼女が慌てて飛び出そうとすると、押し止めるように肩を
「慌てない、慌てない。
心配なら『
三つ編みの少女・椿が振り向くと、姉であり上司でもある紅葉は穏やかな表情で、笑顔さえ浮かべている。
そう言われて、半信半疑ながら椿は目を閉じ、『鼻』に意識を集中した。
「本当だ……。
全然、血の
マスター大丈夫なんですね」
ほっと、一安心したように
そのやりとりが聞こえていたのか、眼下の男が寝そべったまま口を開く。
「── ちっ……
薄情な女どもだな、もうちょっと心配しろよ。
頭打って、タンコブとか出来てるかもしれないだろ?」
アヤトは、上体を起こして、わざとらしく後頭部を
「血が出たのなら
「── ~~~っ!?」
紅葉が唇に指をやって
吸血行為に激しい官能が伴う彼女達にとっては、血を吸う話題というのは、情欲に近い類いの物だ。
思春期の妹にとっては、まだまだあからさまにできない類いの話題であった。
「まあいいや。
とりあえず、『これ』ばっかりは、俺みたいな防御特化パワータイプの専売特許だ。
マネするなよ?」
どこか説教じみた事を言いながら、アヤトがウインドブレカーの
その、何事もなかったような立ち振る舞いに、
対して、アヤトが右手を持ち上げ、人差し指で真っ直ぐに魔物を指さした。
── ……っ!?
魔物は警戒し、半歩分後退して、無事の右腕を構える。
黒い金属を
その鋭い三本爪。
その中央の爪の先には、指輪のように小さな鈍色の金属が煌めいた。
真ん中の爪に貫かれていたのは ── 魔物の爪先が突き刺していたのは ── 小さく丸い金属片。
アヤトの魔術媒体、鉄製の
── カカッ!?
気付いた魔物が、慌てて右腕を振り、爪についた異物を振り払おうとする。
しかし、アヤトの宣告の方が早い。
「ムダ。
もう、
パチン、と指差していた右手で、指を打ち鳴らす。
その合図に従い、ジャラララ、とメダルから生まれた鎖が、がなり立てる。
魔物の爪に刺さった
さらに全身へと、鎖が這い回り、巻き付き、締め付けていく。
── グガァー! ガガァー!
しかし、それを見越してたいたように、ジャッ、と硬音を鳴らして影が飛ぶ。樹上の鳥を狙う毒蛇のごとき数条の鎖。
それは、先ほどまでにアヤトがいくつも放った
敵を取り逃し、あるいは引き裂かれた、魔術師の捕縛網は密やかに
そして今、魔物の
3方の
── シィイイイ! ィィイ! シシィ! ニィイイ!
魔物は必死に逃れようと、ナイフ状の左腕を鉄鎖に叩きつける。
しかし、中折れして歪んだ刃には既に斬鉄の切れ味はないのか、何度か試しても火花が散るだけ。
その左腕すらも、やがて鎖に絡め取られ、縛り上げられてしまう。
アヤトは、半ば縛り上げられてもまだ抗おうとする魔物に背を向け、鎖の吊り橋に立つ紅葉と椿を見上げ、またも講義のように告げる。
「さっきのとおり、『スピードが足らない』、あるいは『距離が遠い』。
だから、『攻撃が当たらない』、『敵に追いつかない』。
── この辺りが、パワータイプの欠点で、ずっと付きまとう問題、いや課題か」
── カァ~~~~~! ッカァ~~っ!?
金切り声を上げて暴れる魔物は、もはや
さらに5本に増えた
中空を自在に飛び回っていた黒い
それを
「だったらムキになって追い回す必要もない。
先手くらい
先に相手に一発殴らせて、その時に相手の腕や武器を捕まえればいい。
そうやって、相手をつかんで殴り返せば、絶対に当たるだろ?」
そんな戦術にすらならない力業を、さも当然のように告げる青い長丈ウインドブレーカーの魔術師。
「え、ええっと……」
鎖に腰掛けた椿は、返答に困り、微妙な表情。
その隣に立つ紅葉が、感心顔で何度もうなずく。
だが、彼女が発した言葉は、表情とはまったく正反対のもの。
「流石は、私たちのマスターね。
―― とんでもなく頭が悪いわ。
多分今までも、問題や障害が起きるたびに、回り道とか全然考えず、全て力ずくで突破しちゃってるのよ。
きっと98%くらい。
どれだけ
「おい、お前な……っ」
── シィイイ! シィイイイ~~ッッ! カッカッ、カッ、シィ~~!
アヤトが、魔術師としてはあんまりな評価に、思わず言い返そうとするが、それよりも横でけたたましく鳴き続ける魔物の方が気に
<
「まあいい……終わらせるぞ」
アヤトがそう言って上空に目線を向けた。
その意図を理解した紅葉が妹の肩を叩いて、二人して鎖の吊り橋から飛び降りる。
「OKよ」
紅葉の合図を待って、アヤトは右手を上方に向けると、青いウインドブレカーの袖から鎖が一本飛び出す。それが上空に張り巡らされた鎖の足場の一つに巻き付き、炎のようなオレンジの光 を伝えた。
「――
主の宣告に従い、金属魔術の術式が始動する。
まるで下町の電線のように
ドシドシャンっと、いくつものバケツをひっくり返したような音が響いた。
地面にぶちまけられ た多量の水銀のような液体が、渦巻くようにあちこちに引き寄せられ、盛り上がって形を作り始める。
最初に組み上がったのは、大人の背丈ほどあるドラム缶。さらに、その中心を貫く鉄杭が形成され、ドラム缶を縦に串刺しにした形で地面突き刺さる。
塔内部の円状の石壁に沿うように、規則正しく並んだドラム缶の総数は8。
次に、成人男子の握り拳ほどの太い鎖が大量に形成され、縦横無尽に空を走る。
何条もの大鎖は、雁字搦めになった魔物を、さらにその上から巻き上げていく。
そして最後に、8条の大鎖が、それぞれ8個のドラム缶に 巻き付き、1周して金具で固定される。
準備が整ったのを見届け、アヤトが一歩前に進み出る。
今や2メートル強の鎖の繭と貸した、魔物の目の前に。
処刑を待つ、敵の直前に。
―― ィイイ、シ! シ! シイイ~~~!
鎖の合間から覗く魔物と、目が合った。
狂気をたたえる魔物の顔が、恐怖でゆがみ、
しかし、アヤトは蜘蛛の巣にかかった虫を見るような無感動さで、印を組む。
右拳を固め、
さらに、同じく拳を固めた左腕を、横にして重ねる。
丁度、両腕の手首が交差するように。
── 右肩の前で結ばれたのは、いびつな形の十字架。
「―― 引き、潰せ!」
両腕全体で、歪んだ十字を切るように。
流派によっては、
まさに火が点くように、鉄鎖も
―― ギャララララァァアアア!! と、
鎖が、ドラムが、魔術で生成された金属達が、激烈な金切り声を上げて動き始め、主の意図を具現する。
鎖をたぐり寄せ、巻き取るための
八つのそれが、大鎖を巻き取る。
果たすべき役目は、――
鎖の
アヤトは、そっと近寄ってきた紅葉と椿の足音に、振り返る。
そして、後ろの轟音に負けないように声を張り上げて説明した。
「吸血鬼もその配下の魔物も、生半可な傷じゃ死なん。
その辺り、さすがは死を超越した化け物だ。
だから、切った張ったより、まず捕まえる事。
そして捕まえたら、逃げられないようにしっかり押さえつけ、一気に握りつぶす!
これが一番、確実だっ」
やがて、金属の物とも<
―― ィイイイィィ、ギィィイイイ~~~……っ!!!
ブツっ、という音とも衝撃ともつかない幕切れと共に、ビリビリと限界まで張り詰めた鎖が小刻みに震え、
静かになった
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