000▽序幕



■オルターイーゴ

 カタカナ語。

 他に、オルターエゴ、アルターエゴ、などとも書かれる。

 語源である英語の「Alter ego」は「もう一人の自分、自分の分身、親友」などの意味に和訳される。

 もっぱら芸能業界などで「タレントやアーティストが通常とは別キャラクターを演じる、同一人物の別名義のようなキャラクター」の意味で用いられている。



▲ ▽ ▲ ▽



 それは、慌ただしい夏の夜だった。


 昼間に太陽に焼かれたアスファルトからは、いまだに熱気が立ち上っている。

 時折吹く微風は生ぬるくて不愉快で、遠くに聞こえるサイレン音を、一層不吉に感じさせた。

 また、近くには、大人達が足早に行き交い、夜の住宅街と思えない程の喧騒で、時々警笛や怒鳴り声さえ響く。


 まるで、神輿みこしでも担ぐような大きな祭りでも始まったかのようだ。

 しかし、住民達は、閑静かんせいな住宅街に不意に訪れた思わぬトラブルに、不安と緊張で夜空を見上げていた。


 そんな、喧騒けんそうと緊迫が渦巻く住宅地の一角。

 警戒を表す赤色灯に照らされながら、白いテントが立っていた。

 その仮設テント ―― 緊急災害対策本部の中には、一組の男女の姿があった。

 その片方、紙コップのコーヒーに口を付けていた男が、不機嫌そうな声で尋ねた。


 「基本事項の確認をするとしよう。

 吸血鬼とは、何だ?」


 「どの段階レベルの話ですか?」


 問い返したのは、若い女性職員。

 コーヒーを片手に持つ男が上司で、彼女が部下のようだ。


 「どのレベルでもいい。

 オカルトまじりの噂に面白おかしく尾びれ背びれをつけた世間話でも。

 科学的見解を元に法解釈を重んじた国家機関としての建前でも。

 現場主義の職務専念する職員としての見解でも」


 中年の男性上司から尋ねられ、女性部下は少しして考えをまとめながら話し始めた。


 「吸血鬼とは……

 世間一般で噂される『吸血鬼』とは、狂犬病ウイルスが変異した新型感染症の感染者の事です。

 大規模感染パンデミックを防止するため、伝染病予防法をもと隔離措置かくりそちを行います。

 ……表向きの建前たてまえとしては」


 「ふむ。法的な見解か。

 では異能者いのうしゃとは?」


 「異能者いのうしゃは…………そうですね……」


 部下の女性が言い淀むと、男性上司が代わりに口を開く。


 「表向きには、ただの人間。

 憲法や条例で、他者ひとと同等に権利や義務を定められ、そのもとで自由の許された存在。

 では、裏向きは?

 その本質について、どう捉えている?」


 「異能者とは、『吸血鬼ではない特殊能力者』 でしょうか」


 「なるほどな。

 連中のような非常識なやから一纏ひとまとめにして、『吸血鬼か、否か』 という大別をしているのか」


 「違うんですか?」


 女性部下の声に多少は感情的な反発が含まれるのを見て、上司は言い含めるように告げる。


 「ああ、違うな。

 そもそも、似ているから同種と扱う事が間違いだ。

 そう例えば、吸血鬼が猛獣のトラだとすれば、異能者などただの猫だ。

 確かに大別すれば同じ属種や科目になるのだろうが、その能力は『大人と子供』ほどに違う。

 いや、『大人と赤ん坊』くらいかもな……」


 「大人と子供……そんなに力の差があるんですか?」


 「力の差、なんて生やさしいレベルではない。

 格が違う。

 けたが違う。

 次元が違う。

 ―― 端的に言えば、そういう表現になる」


 「…………」


 思い込みを正すような上司の言葉に、部下は思わず黙り込む。

 しかし、上司の中年男性は構わず続ける。


 「どれほど大型のネコであっても、トラやライオンには決して勝てないように、異能者は決して吸血鬼には及ばない。

 『アレ』どもが、米国において<悪戯魔童グレムリン>などと呼ばれているのも、結局はその能力が『いたずら』レベルでしかないからだ」


 「ネコとトラ……それほど、ですか」


 「ああ、それほど、だ。

 ―― 別の例えをするなら、人間とチンパンジーの差だ。

 ヒトとチンパンジーの遺伝子を比べるとわずかなパーセントの差、という話は聞いた事があるだろう?

 しかし、チンパンジーにどれだけ英才教育を施しても、人間の幼児どまりの知性しか獲得できない。

 根源としてはわずかな亀裂のような差違ではあるが、結果としては長大な断絶が横たわっている」


 「まさに『次元が違う』と?」


 自分の言葉を反復する部下に、上司は満足そうにうなづく。


 「ああ、その通りだ。

 そういう意味では、ここ九州支局のやり方は、悪くない。

 トラにはトラを、化け物には化け物を。

 急場しのぎというか、応急処置的ではあるがな。

 思いつきで飛びつき、先の事を考えないあたり、いかにも権丈けんじょうがする事だ。

 まったく、アイツらしい」


 上司の男は、皮肉そうに口の片端を持ち上げる。

 上司の嫌味じみた言葉に、わずかに不快そうな顔をして、部下の女性が尋ねた。


 「……急場しのぎというのは、『DD』の事ですか?」


 「当たり前だ。人がトラを飼い慣らせるものか。

 その内食い殺されるのが、オチだろう」


 「では、どうすべきだと?」


 「古来から、人間の狩りのパートナーは猟犬に決まっている」


 上司は、くだらない事を聞くな、とばかりに鼻息の荒い応え。

 それに対して、部下は納得いかないとばかりに、小首をかしげる。


 「でも、<猟犬ハウンド部隊>だけでは不足があるから、DDが、<DDデミドラ部隊>が導入されたと聞いていますが?」


 「誰に聞いた?

 前任課長の権丈けんじょうにか?

 それは当然、<DDデミドラ部隊>の導入案件 ―― いや、移籍案件の発案者は当時課長の権丈けんじょう氏であるからに、当然の事として、現状の不足と導入の必要性を訴えてくるだろうよ!」


 「しかし、課長だって、先ほど吸血鬼と人間では能力の次元が違うと ―― 」


 「―― 間違えるな! 吸血鬼と『異能者』だ。

 能力の次元が違うのは。

 人間ではない、異能者だ」


 「……異能者も、人間でしょうに……」


 部下の女性が不満そうなつぶやきを漏らすが、上司はまるで聞こえなかったかのように、自説を続ける。


 「そもそも、我々人間が持つ、最大の能力はなんだ?

 爪や牙を剥きだして、肉体ひとつで取っ組み合うなんて、ケダモノのする事だろ。

 我々の人間のもつ最大の能力は、知識だ。

 そして、それによって生み出される、道具だ。

 魔女デミドラだか、ハーフ吸血鬼だか知らんが、あんな産廃さんぱいなんぞ引き受ける必要などなかったのだっ

 武器製造の本場アメリカで開発された、対吸血鬼装備だけで十分だったはずだ!」


 上司の男性は、組織の方針によほどの異論があるようで、この際とばかりに憤りをぶちまける。

 それを尻目に、部下の女性はため息とつぶやきを、そっと漏らす。


 「……こんな風に、内部でいがみあってて、まともにやれるのかしら……」


 仮説テントの白い幕布を、夏のぬるい夜風が揺らす。


 彼女が、夜空に響く耳障りなサイレン音に気を引かれ、見上げた先には天をくような巨大な影がそびえていた。


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