第16話 巡洋艦名取

 巡洋艦というのは、戦艦よりは戦闘力は大きくないが速い速力で相手を追っかけて、魚雷攻撃をかけたり足の速い空母の護衛をしたりする船で、大きく2種類に分けられていました。


 排水量が1万トン以上の艦を「重巡洋艦」といい日本の有名な山の名前が艦名につけられました。


 排水量が1万トン未満の艦は「軽巡洋艦」といいこちらは川の名前が艦名につけられました。


 私の乗り組んだ巡洋艦名取は排水量5500トンで建造からすでに20年以上たった老齢艦でした。


 名取という名前は宮城県を流れる名取川からつけられたもので日本海軍が信頼していた巡洋艦長良型の3番艦として長崎の三菱重工で建造されました。


 巡洋艦名取は全長162メートル 横幅14メートル、エンジン主力9万馬力で時速36ノット(約60キロ)で走ることができます。


 また兵装は主砲14センチ砲5門、12,7ミセンチ高角砲1門、25ミリ機銃12門、13ミリ機銃4門、61センチ魚雷発射管8門、対空用と 水中用レーダーが一つずつ装備されていました。


 艦長の久保田智大佐は長野県出身の豪快な性格の方で、彼の豪快かを伝えるエピソードがあります。


 かつてパラオから多くの日本人をフィリピンに避難させたおりその中に妊婦が一人乗っていました。


 彼女はすでに臨月の状態で乗艦して艦内で出産したのですがその生まれた子供に「太平洋の上で生まれた子供だから洋一と命名しましょう。お母さんに出産のお祝いにワインをお贈りします」と名付け親になったこともあります。


 戦争に使われる軍艦に女性が乗ることさえ珍しいのに、その上出産して子供の名前を艦長がつけるというケースは長い海軍の歴史の中で後にも先にも名取の久保田艦長だけです。


 そしてそればかりか名取の乗員全員に伝わるように艦内放送で

「ただ今本艦上で元気な男の子が生まれた。名前は私が洋一君と命名した。今日は赤飯を出すので全員で祝福するように。以上!」


 と報告したとたんに乗り合わせた避難民を含めて艦内すべての人から

「よかったよかった」

「おめでとう」

と祝福の声が一斉に沸き起こりました。


 そのような人情があり、またユーモアに富んだ豪快な艦長でしたから、乗組員全員がまるで自分のおやじのように慕って、艦内はまるで家族のような雰囲気でした。


 もちろん軍隊ですので普段の生活は朝の甲板掃除から始まって主砲や魚雷の発射訓練、飛行機に対する対空訓練などまさに地獄のような訓練や任務に追われる毎日でしたが「久保田艦長のためなら死んでもがんばるぞ」という気合がつねに艦内にみなぎっていました。


 これは非常に重要なことで、狭い艦内で長い海上生活を送る以上、親子のような信頼関係がなければ成り立ちません。


 名取は戦争が始まった最初のころはさまざまな海戦に従軍していましたが私が赴任したときのこの艦の仕事は「戦う」ことではなく物資を「運ぶ」ことが主な任務でした。


太平洋の戦況が悪化していくとともに陸軍の兵士は中国大陸の満州から徐々に南方の島々に移動されていきました。


 その移動にともない当然兵士だけではなく銃や大砲、水、食料など長期間の孤立した島での戦いに必要な物資を南方諸島に送る必要に迫られたのです。


 最初は輸送艦という物資を運ぶ目的の船でその輸送任務を行っていたのですが私が赴任した時期にはすでに多くの輸送艦がアメリカの潜水艦に魚雷で沈められていた後だったので名取はその早い足を活かして輸送艦のかわりの任務についていました。


 我々名取乗員が、「久保田一家」と称しながらフィリピンとパラオの約1000キロの行程を何度も輸送任務をこなしていたときのことでした。 

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