第13話 戦艦 陸奥 乗艦

 練習艦鹿取の任務を終えた私は、その後戦艦陸奥の乗り組みを命じられました。


 まだ戦争中ではありませんでしたが実戦部隊に乗り込んだ私の下には部下がつきました。


 部下の中には少年兵からのたたきあげで昇進してきた私よりもうんと年上の曹長という人間もいます。


 兵士としてだけでなく船乗りとしての経験も実績も自分より何年も長い部下を従えて私は海軍兵学校を卒業した人間の責任の重さをひしひしと感じました。


 そのころ世界には「ビッグ7」という強力な戦艦が7隻ありました。


 イギリスのネルソン級戦艦2隻、アメリカのコロラド級戦艦3隻と日本の長門(ながと)と陸奥(むつ)です。


 この7隻すべてが口径40センチの主砲を持っており、当時世界の最高水準の戦艦で私は、幸運にもそのひとつである陸奥に乗ることができたのです。


 戦艦の名前にはむかしの国の名がつけられていて、私の乗った陸奥は今の青森県に当たる地名がつけられたのです。


 最初に乗艦したときはまるで城の天守閣のような大きな艦橋に驚きましたが何よりも頼もしく見えたのは8本の主砲です。


 主砲の射程距離は30kmもあり、水平線にあらわれた敵をむこうが手が届かないうちに撃つことができました。


 また艦の排水量は32000トン、長さは215m、幅29m、8万馬力のエンジンで27ノットの速力を出せる、まさに「浮かべる城」そのものでした。


 陸奥はそのような優秀な艦でしたので、休日には政府の高官や皇族などたくさんの見学者がひっきりなしに訪れました。


 私は兵学校時代には勉強はまったくできませんでしたが、人前で楽しそうに話す度胸とユーモアが買われていつも団体訪問客の案内役に選ばれたのです。


 あるときご婦人方が多数陸奥に来て私にこう質問しました。


「あの世界一大きな8本の主砲はそうとう重いのでしょう。いったいそんな重いものをどのように動かすのですか」


「もちろん重いですけど水圧で軽々と上下に動かすことができますよ。まるで日劇のラインダンスのようです」


とおどけて足を交互に上下して説明するとほとんどの人が声を立てて笑って聞いてくれました。


 しかしこの陸奥は私が退艦してから約2年後に、不幸なことに山口県の柱島で停泊中に謎の爆沈をしてしまいました。


 お昼時間の12時10分に「ドーン」という大きな音とともにまわりの艦隊のみんなが見守る間に3番砲塔から切断された形で2つに折れて乗組員1500名と共に沈んでいきました。


 この事故で生き残ったのは350名ほどでほとんどは爆死で亡くなったようです。


 爆沈の原因はノイローゼになった乗組員が自爆したとか敵国のスパイが爆弾を仕掛けたとかいろいろありますが、いまだに不明です。


 このことは軍の極秘あつかいとされ以後軍内でも陸奥の話題は一切禁止され、この沈没海域付近は一般船舶の航行禁止になりました。


ですから国民は戦後まで陸奥の爆沈を知らされず、米軍もまた同じで進駐軍は日本に上陸後「ところで陸奥はどこだと」言ったそうです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る