ロミオとかぐや姫
シメサバ
プロローグ
プロローグ
ロミオはジュリエットに恋をした。
ジュリエットもまたロミオに恋をした。
しかしその思いは叶わず、ロミオは毒の薬を飲んで、ジュリエットは愛する人の短剣で、自分の胸を突き刺した。
「母さん、どうしてロミオとジュリエットは死んじゃったの?」
そう問いかけたのは息子だった。金色の髪と青い瞳は、おそらく自分に似たのだろう。漸く今年七つを迎える、たったひとりの息子だった。
少年はシーツに覆われた体をごそりと動かし、その青い目を母に向けた。暗い部屋に灯されたランプの光を反射して、きらきらと光っている。
いつものことだ。生意気なくせにまだまだ甘えたい盛りの息子のために、彼女は毎夜、薄い絵本を一冊選び、寝巻に着替えた息子に読み聞かせる。子供を育てるためにはとても効果的な方法だ──彼女は優れた母親だった。自分自身がそうして育てられたせいだろうか。
彼女は全身で疑問符を浮かべる息子に微笑して、閉じられた本の表紙を開く。読み終わったのは数分前、読み始めたのは数日前。今まで読みきかせていたものよりも、少々厚さのあるものだ――「Romeo and Juliet」
読み聞かせるのは彼女の役目だが、それを選ぶのは息子の役目だ。息子の選択はひどくまちまちで、統一性のないものだった。母国の本、海外の本、科学の本。いつどんな本を選び、そしてそれに途中で飽きてしまったとそうしても、彼女はそれに呆れることも怒ることもなかった。興味のあるものには熱中をし、つまらないものにはすぐに飽きる。それは息子の短所でもあり長所でもあったからだ。
その、さまざまな厚さで様々な趣旨の本たちは、一日で読み終わるものもあれば三日三晩かかるようなものもあった。現段階での最長は五日。最短では一晩と持たなかった。最長の場合は六日目にして飽きてしまい、いつものように息子の部屋に行くと「こっちがいいよ!」と違う本をせがまれた。最短の場合は、難しい単語が多すぎて「全然わからないよ!」とごねられた。わがままな息子だった。よく言えば素直、悪く言えば飽きっぽかったのだ。
彼女が今手にしている赤い本を読み始めたのは六日前だった。息子はいつも、自分の部屋にある本棚か、もしくは父親の書庫に置いてある書物を自分で探し選んでいた。しかし、その本はこの家にはあるはずのないものだった。
「どこで見つけてきたのか」と聞くと、「ヨハンに貰った。子供が大きくなったから、もういらないんだって」とそう答えた。
ヨハンは、この家に古くから使える使用人だった。以前は自分の腰ほどの高さの子供がちょろちょろと屋敷を走り回っていた記憶があるが、もうそれほどに大きくなったのかと時の流れを実感した。
「ねぇ、どうしてロミオとジュリエットは死んじゃったの?」
再度繰り返される、質問。
少年はぐるりとシーツの下で寝がえりをうち、閉じられた母の本を奪いとり、表紙を開く。
「ロミオはジュリエットが好きで、ジュリエットはロミオが好きだったんでしょ? なのになんで死んじゃうの?」
おかしいよ! と頬を膨らまして憤慨をする、少年。
彼女はくすくすという笑みを浮かべ、金色の髪を撫でつける。
「どうしてかしら。恋が叶わなくて、悲しかったからかしら」
「叶わないと死んじゃうの!?」
信じられない! とまた声を荒げる息子に、「そういうわけではないけれど」と小首を傾げる。
「じゃあどうして!?」
拳を握り、端正な顔に眉を寄せる母親に詰めよる、少年。
母は白い頬に同じく白くて薄い手を当て、うーん、と考える。それから、少年の色と同じ金色のロングヘアーを揺らした。
「もしかして二人は、好きになりすぎてしまったのかもしれないわね」
その母親の返答に、息子は青い瞳をくるくるとさせた。
「好きになりすぎると死んじゃうの?」
「うーん……それはまた、少し違うかもしれないけれど……」
そこでまた苦笑――
「好きになりすぎると、他のことがなにも見えなくなっちゃうことがあるの」
よく、わからないよ! というのもまた彼女の息子の言葉だ。
彼女はまたくすくすと笑い、息子の髪を手櫛で梳かし、額から上に撫で上げる。
少年は片目をつぶり、緩やかに与えられる掌の温度に身を委ねる。金髪の隙間から覗くようにして、母親の顔を上目使いに見上げた。
少年は母のことが好きだった。いつも優しく、美しい母親だったからだ。少年は母親の細い手首をぎゅ、と掴むと
「ロミオとジュリエットはもういいよ! 違うお話をしてよ!」
少年はいつも気まぐれだった。母は、その赤い本をベッドの脇にぱたんと置いて、「なんの話がいいのかしら」と問いかける。
「外国の話がいいな。父さんが今行ってるところ。Japanの話がいいよ!」
「Japan?」
Japan――正式名称は大日本帝国という。元々、諸国との接触を絶っていたはずの島国だが、数十年前のアメリカの突入を期に、文化、外交とも急速に発展をしてきたアジア諸国の一つである。
「日本……それだったらかぐや姫がいいかしら?」
「カグヤヒメ!? やだよ! 俺、知ってるよ! カグヤヒメって、タケの中から生まれた女の子がプロポーズを全部断って最後には月に帰っちゃうんでしょ!?」
両手を握り、ばんばんとシーツに押しつける。
「ねぇ、母さん。昔話ってどうしてそんなに悲しいお話ばかりなのかなぁ? なんでみんな、死んだり離れ離れになったりするものばかりなの?」
素直すぎる質問だった。「なぜ?」「どうして?」昔から好奇心の旺盛な子供だったが、最近物事に疑問を持つことが非常に多い。わずらわしくないと言ったら嘘になるが、これも自我と知能が発達している証拠であると、賢い母親はわかっていた。
「どうしてでしょう。ねぇ、どうしてだと思う?」
「わからないよ! だって、理解できないもん!」
「そう。それじゃあ、アーサー。アーサーだったらどうするの?」
アーサー、と名前を呼ばれた黄色い髪と青い瞳の少年は、同じ色の母に目を向けた。
それが少年の名前だ。
円卓の騎士と同じ名を持つ少年は、ばっとシーツを跳ねのけて立ち上がり「決まってるよ!」と声を立てた。
「俺だったら死んだりしないし好きな人を死なせたりなんかしないよ! 恋が叶わなくても絶対に月になんか返したししないんだ! どんなことをしても絶対に幸せになるんだ!」
拳を握り、高らかにそう叫ぶ。ベッドの上に仁王立ちをすること自体は咎めらるべきことなのだろう。
しかし彼女は口元に手を当て、微笑ましげにくすくすという声を立てていた。
「随分と勇敢なのね」
頼もしいわね、という母の言葉に、アーサーは腰に手を当て胸を張り、「当たり前だよ!」と高らかに叫んだ。
「だって俺は、伝説の王なんだから!」
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