死にたがり少女は世界を知らない

KotoRi

Prolog


 駅のプラットホームに私服姿の女子高校生が佇んでいる。

 彼女の、薄い茶色の髪は2つに結えられていて、腰まで届いているツインテールが風に吹かれて緩やかに揺れている。


 彼女──上嶋叶夢うわじまかなは高校3年生の女子高生である。

 可愛らしく、幼い顔立ちの叶夢かなは男子からも人気があるクラスのマドンナと言うべき存在だった。

 しかし、それが原因でクラスの女子は高校生活2年目から叶夢をいじめるようになった。

 毎日毎日いじめを受けた叶夢は、とうとう3年生になると同時に学校を休むようになり、ついでに人間不信にまで陥り、家からもほとんど出なくなった。

 しかし、そんな叶夢にも友達はいる。ただし、ネットの中にだが。

 どこに住んでるのかも、どこの学校に通ってるのかも、顔も、声も──何も、ひとつも知らないけれど確かに彼らと叶夢は友達だったのだ。

 彼ら、彼女らと同じ学校だったら、家族だったら、ほんとの友達だったらどれほど良かっただろう。会って話してみたい…。けれど、叶夢は家から出る事が怖くて会いにいくことが出来ない。

 優しかった叶夢の両親もとっくに死んで、叶夢は実質ひとりぼっちのままであった。

 ──両親にも友達にも会えないままならば、死んでしまった方が良い。

 いつしか、叶夢はそう考えるようになった。

 会いたい会いたいさみしい辛い苦しい──死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい……。

 ──なら、ほんとに死んでしまえば良い。

 そうして彼女は、久々に家から出た──死ぬために。


 叶夢は線路を見つめる。

 プラットホームには叶夢以外に人間はいない。

 決心はついた。今死ぬ、ここで死ぬ、私を追い込んだアイツらを呪いながら死んでやる。

 遠くから踏切の音がする。気持ちは落ち着いているのに、心臓が早鐘を打つ。

 列車の音が近づいてくる。気持ちは晴れ晴れとして心地良いのに、心臓は張り裂けんばかりに脈打っている。まるで、死にたくないと悲願するかのように。

 ──そんなの、御免被る。

 叶夢はプラットホームの地面を蹴った。瞬間、視界が開ける。

 右側から列車の気配を感じ、ぱっとその方を見る。

 叶夢の体を砕かんばかりに列車が迫ってくるのが視える。

 実際にはそんな事を考えてる時間なんてないはずだ。列車が迫ってくるのがやけに遅く感じる。

 その時、叶夢は後悔した。

 ──怖い。

 今更、何を思っているのか。もう決めたことだろう?そうは分かっていても、叶夢は無意識に遠くなっていくプラットホームの方へ手を伸ばした。

 この手を掴んでくれる人なんていない。どうしてこんな事をしてしまったのだ。助けて。怖い。

 列車から警笛がなる。爆風が頬を掠める。

 それはまるで、もう助かる術は無いのだと言われているかのよう。

 伸ばした手は虚しくも空を切る。

「嫌っ……死にたくな──」

 瞬間、何者かが助けを求め伸ばした手をしっかりと掴んだ。

 ぐっとその手は力を込めると、一気に叶夢を引き上げた。

「──」

 後ろで爆風が轟く。

 あと少しでも遅かったらと思うと体が勝手に震えだした。なんで、死にたかったのに。

 叶夢は座り込んだまま震える首を上げた。

 ──そこには、白い猫がいた。

「ぇ…」

 叶夢は震える唇から困惑の音を出した。

 白い猫と言ってもただの猫では無かった。

 背丈は大体座り込んだ叶夢と同じくらい。人間のように二本足で立っていて、おまけに綺麗に整ったスーツを身にまとっている。どこか無機的な笑みを浮かべている顔には黒く大きな瞳がある。その瞳には光が灯っておらずどことなく不気味な印象を持つ。そして、ピンと立った右耳には天使の輪のようなものが掛かっている。

 ──着ぐるみ…かな?

 叶夢はそう考えた。

 そこまで思い至り叶夢はハッと我に返ると、今の自分の状況を把握した。

 そうだ、私は死のうとしていたのに。こいつ…こいつのせいで──

 叶夢は目の前の、座り込んでる自分を無表情な笑顔で見下ろす変な物体に怒りを覚えた。

 叶夢は、猫(?)を睨んでいると、その猫はおもむろに口を開いた。

「ちょっと あなた、なにやってるんです?馬鹿なの?」

 低めの、だが若い少年のような声でその猫は叶夢を冷笑した。

「──…何やってくれてるのよ」

「?」

 叶夢が唸ると、猫のようなものは可愛らしく肩を竦めて、なにか悪いことした?とでも言いたげな顔をした。

 その態度が癪に障ったのか、叶夢は怒りに顔を歪めて声を荒らげた。

「なんでよ、なんでこんな私を助けたの?てか、あんた何?着ぐるみ?そっちこそ馬鹿よ。どっかいってよ!!死にたかったのに!!!!ねぇ?!」

 叶夢は自分でも気づかないうちにボロボロと泣きながら、震える手で猫の小さな肩に掴みかかった。その体の、着ぐるみとは思えないに叶夢は驚き目を見開いた。

 そんな叶夢の様子なんて気にしていないといった風に、猫はたんたんと言う。

「助けたのは俺の気まぐれですよ。それに──?」

「!」

 問いかけた猫の無機的な笑みに初めて色がともる。

 その色は──怒りだった。

「あなた、死ぬ間際になってこう思ったでしょ?『死にたくない!誰か助けてー』って。そんな中途半端な覚悟で死のうとするなんて、馬鹿以外の何者でもありませんよ。──もっと命を大事にしてみてください」

「──ッ」

 バレてたのね、と声を漏らしながら叶夢は猫から手を離した。

 猫の声は最初は怒りを顕にしていたが、最後の方になるにつれて哀れんでいるような声色になった。

 しばらく猫は俯く叶夢を見下ろしていたが、唐突に「あっ」と呟くとしゃがみ込んで、地面に座って俯いている叶夢の顔を覗き込んだ。

「そうそう、思い出した。──あなた、ネット世界に興味はおありで?」

「ネット…世界……?」

 唐突に何を言い出すんだ?とも思ったが、それよりもという言葉に叶夢は強く反応した。

 ネットは叶夢にとって今まで独りで生きてきたさみしさを埋めてくれる、救いの綱でもあったのだ。

「そう、ネット世界──Social Networking City 、というバーチャル都市の事です」

 オウム返しにした叶夢の問いかけに、猫は相変わらずの無表情な笑顔で返した。

「ソーシャルネットワーキングシティ…」

 と、叶夢は口の中で猫の言葉を繰り返す。

 その様子を見て猫は、

「おや、興味ありげですね」

 と、優しげに目を細めてにやにやしている。

 ネット世界という事は、もしかしたら彼らに──友達に会えるかもしれない。

「なに、それ…?!すごっ……楽しそう…っ」

 さっきまでの悲愴な雰囲気はどこへやら、叶夢は興味津々に猫の肩を掴んで揺さぶる──

 そこで叶夢は思い出した。いや、なんで忘れていた?

 そう、すなわち──なんだこの生物!?

 叶夢はバッと猫から手を離すと、顔を困惑に歪めながら猫の顔をじっと見つめた。

「そ!そそそ、そういえば、あんた、何者……?着ぐるみじゃないわよね?」

 叶夢は、猫の温もりがのこる自分の手のひらをしげしげと見つめる。

 その様子を見て猫は、そうだったそうだった、と呟きながらおもむろに立ち上がり、口を開いた。

「失礼ながら紹介が遅れました」

 猫は、クイッとネクタイを軽く締め直して姿勢を正した。

 その慣れた手つきに、体は小さいながらも自分より大人な印象を、実に不本意ながらも叶夢は受けた。

「俺は Social Networking City ──SNCの案内係AIコンシェルジュ──モラルと申します。あるじ様をSNCへ案内する事が仕事となっている、人工生命体で御座います」

 流暢に自らの自己紹介をし、軽く礼をする猫──もとい、モラル。

 口調は丁寧だが、一人称などのせいかどこか雑な印象を受けた。

「つまり、あんたはSNCで働いてる……人工生命体……?」

「まあ、そうなるんですかねぇ」

 叶夢の確認に、モラルはどこか間抜けな返事を返した。

 まぁとにかく、とモラルはぽむっと手を鳴らした。

「私と主従契約をしてもらえれば、あなたはSNCへ入場する事が可能となりますが、如何なさいますか?」

 ふーん、と叶夢は声を出すと、顎に手を当てて思案しようとするが、待って、と声を上げた。

「SNCってどんな所なの?具体的に教えて頂戴」

 その問を受け、にっこりと頷くモラル。

「はい、SNCとはネット世界の呼称であり、人口が増えつつある中計画された「人類ネット世界移住計画」のため制作されたバーチャル都市です。我々コンシェルジュと主従契約をされた人間達のみ入場することが可能です。ちなみに、我々に選ばれるかどうかはコンシェルジュの気分と好み次第ですね!そしてSNCでは、この現実世界とほとんど変わらない形で生活が可能です。現実世界との往来も我々コンシェルジュも同行しますが、可能です。ちなみに、SNCでの死は現実世界での死と同じなので そこだけは注意してください、ね」

 ぽんっ、とモラルは白く柔らかい毛が生えた手で軽く叶夢にデコピンをした。

「ふーん、まあいいわ。なんか楽しそうだし……はやく私をSNCとやらに連れてって頂戴!!」

 わくわく、と言った様子の自殺希望者。

 そんな叶夢の様子を見たモラルは──

「え゛?今?」

 盛大に顔をしかめた。いわゆる、面倒くせぇ、って顔である。

 それが仕事なんでしょ?とでも言いたげな叶夢の顔を見て、モラルは頭をポリポリと掻いた。

「いや、こっちも現実世界に来たばっかりで…久しぶりにこっち来たから ちょっとゆっくりさせて欲しいな…とか」

 ほら主従契約もしてないし、と肩を竦めて言うモラル。というか、エセ丁寧語どこいった。

 会った時からほとんど表情を変えなかったはずのモラルの本気で面倒くさそうな顔を見て、叶夢は苦笑して立ち上がった。

「もー!分かったわよ、なら……3日後!3日後に連れてって!!ねぇいいでしょ?」

 ぴょんぴょん、という擬声語が似合いそうな様子で叶夢は飛び跳ねる。

 それを見たモラルは、

「自殺しようとしてた人のテンションじゃない…」

 と、失笑した。

 そんなモラルを気にもせずに、叶夢は仁王立ちしてふんぞり返る。

「とりま、それまではうちに泊まってもいいわよ!」

 いや俺睡眠いらないんで、とモラルが言い終わる前に叶夢は、いいからいいから、と自分の腰ほどの背丈の高さのモラルをひょいとわきに抱えて歩き出した。

「!?──ちょっと!!俺、自分で歩けますから!」

 長い、飾りのついた尻尾をぶんぶん振り回しながら暴れるモラルを、叶夢はガッチリ固定すると、嬉しそうに叶夢は言う。

「主従契約?とやらは家でやりましょ!──あぁ、もう……死ぬのはまた今度で良いわ」

「それは、よぅ御座いましたぁ」

 叶夢にヘッドロックされて、すっかり反抗する気を無くしたモラルはされるがまま、叶夢と共に駅を後にした。

 モラルはため息をつくと、


「主従契約の話する相手、間違えたかな…」

 と、苦笑するも、その目はどことなく優しげだった。

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