出逢い

煩わしい蝉の声に起こされて目を覚ますと、少女は見知らぬ部屋にいた。真っ白な天井、少し黴臭い布団、彼女の周りを囲っているカーテン。何故私は眠っていたのかしら、ここはどこかしら、なんて考えていると、カーテンの外から引き戸を開ける音と、女の人の声が聞こえた。

「起きてる?」

彼女は返事をした。

「はい、起きてます。」

「やっと目が覚めた?ちょっと開けるからね」

カーテンが開くと、見覚えのある女性がいた。その人がこの学校の養護の先生で、ここが保健室である事を、少し考えてから理解した。

「具合はどう?」

「元気です。特にだるくも、気分が悪くも無いので。」

「そう。トイレで倒れている所を発見されたんだけど、授業は出られそう?」

「はい、大丈夫です。出られます。」

ベッドから起き上がると、軽い吐き気と手足の震えを感じた。立って歩けない程では無かったし、どうもここの空気は苦手だった為、彼女は教室に戻ることにした。

「ご迷惑をおかけしてすみませんでした。最近少し貧血気味だったのですが、横になったら少し楽になったみたいです。ありがとうございました。」

「無理しないで、具合悪くなったらまたおいで」

「はい、ありがとうございます。」

教室に戻る途中に曖昧な記憶を辿ってみると、やっと自分が何をしたのか思い出せた。



昼休み、少女は食後の薬を飲もうとトイレの個室に入っていた。外から、談笑している女子学生達の声が聞こえてくる。彼女達は、当たり障りの無い、他愛ない話をしているだけだった。だが、彼女は自分が笑われているような、蔑まれているような気がしてしまった。個室の外にいる顔も見えない、名前もわからない彼女達が怖くなった。パニック発作を起こした。1番思い出したくないトラウマが、彼女の中に蘇ってきた。本気で消えたいと思い、死んでしまおうと思ったので、丁度手元にあった薬を全て飲み干した。

暫くして、授業が始まるからと言って扉の外の彼女達は立ち去って行った時、彼女は猛烈な吐き気に襲われていた。何度も嘔吐した。お昼に食べたものの味が、苦い液体と混じって再び口の中に広がった。胃が空っぽになっても吐き気が収まらなかったから、胃液を吐いた。胃液は吐瀉物よりも苦く酸っぱく、吐き出した後喉が痛くなった。ああ、こんなものがお腹にたくさん入っていたら、それはそれは、私の食べた物はお腹の中で溶かされていくだろうなと、涙目になりながら彼女は思った。視界が白く霞んでいった。このまま死んでしまえと思いながら、少女は意識を手放した。



教室に向かう時、彼女はクラスの担任の先生に遭遇した。見た事の無い、他の先生と話しているようだった。初めて見る先生だったが、目が合うと少し違和感のようなものを覚えた。

「あれ?今授業中だけど、どうしたの?」

「ちょっと体調が悪くて保健室に行ってて…」

「そうか、無理はしないようにね。」

「ありがとうございます。失礼します。」

あまり深く詮索されたくなかった。少女は、所謂いい子の振りをしていた。せっかく周りの学生達や先生方に気に入られているのに、死のうとした事が知られてしまったら彼女の立場が無くなるだろう。軽く会釈して、足早に去った。


後ろから足音がする。自分を追いかけている気がして、少女は振り返った。先程、担任の先生と話ていた先生だった。

「元気無さそうですけど、大丈夫ですか?」

どこか西の方の訛りがあった。

「はい、ちゃんと保健室で休んできたので、大丈夫ですよ。ありがとうございます。」

「そうじゃなくて」

「はい?」

「死にかけた後みたいな顔してますね。」

「…そうですか」

「あと作り笑いで無理して笑ってるのもバレバレですよ。疲れるでしょう、それ。」

心の奥に触れられている気がして、むずむずとする。どうしてさっき初めて会った、と言っても、少し顔を見ただけの人にこんな事を言われないといけないのだろうか。先程、彼に対して感じた違和感はこれか。今まで完璧に築いてきた私の仮面を、こんなところで剥がされる訳にはいかない。どうするべきか、彼女は考えあぐねていると、彼が口を開いた。

「まあ、そういう日もありますよね。」

「…そうですか…?」

「私もそういう事しようとしましたよ、若い頃ですけど。私は死に切れなかったんじゃなくて、怖くなってやめてしまった訳ですが。そう考えると、あなたの勇気と行動力は素晴らしいと思います。それをどうにかして、生きる方向に向けてもらえないですかね。」

よく喋るおっさんだな、と少女は思った。

「えぇ……頑張ります…」

「まあ頑張ってください、何をどう頑張るのかは知らないですけど。私の部屋は3階の渡り廊下の真ん中あたりにありますから、また何かあったら来ればいいですよ。秘密は守ります。あなたが、私なんかに頼ってくれるのであればの話ですが。」

そう言って去っていった。彼女は、彼と話している時自分が心地よく感じている事に気付いた。なんでさっき知り合ったばかりの人に、なんて思ったりもしたが、彼女はその心地よさが嫌いでは無かった。彼になら、何でも話せる。ありのままの自分を曝け出しても、理解してもらえる。直感的に、そう感じた。今日の放課後にでも、彼の教員室まで赴こうと思った。

「面白え。」

そう呟いた彼女の顔は、生き生きとしていた。

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