保健室の化物

虹色

第1話

「全員に好かれることが困難なように、全員から嫌われるのも難しい。嫌いになるためには、まず、対象を嫌う『理由』が必要だからね」


 好かれるよりは、まだ簡単だけどね。と先生は続けた。


―――


 私の通う高校にはとある噂話がある。

『歳のとらない保険医』

 この高校は、設立されてから70年くらいになる。今の保険医は、その設立からずっとここにいるらしい。見た目も変わらない。図書館の蔵書の中に過去の保険医の写真があるが、今の姿とまるで変わらない。

 生徒たちは保険医のことをこぞって『化物』という。だが、その『化物』のことを頼る生徒もいるらしい。70年保険医を続けていることで得られた知恵袋、を期待してのことだろう。誰がどんな相談をして、どんな結果になったかは知らないけれど、私もその保険医を頼ることにした。だって、頼れる人はもうその人くらいしかいないのだから。


―――


「けど、仮に君が君のクラスメイト全員に嫌われているとしようか。全員――つまりは君を除いた29人――ついでに教師も加えて30人。全員に嫌われていると仮定しよう」


 先生は、図書館で見た写真とほとんど違いがなかった。かけていた眼鏡が、丸眼鏡からアンダーリムの眼鏡になったくらい。化物、と生徒連中が吹聴するのもわかる。人間でないような、無機質な美しさを感じる。


「それって、とても自由な状況ではないのかな。守るべきものもないし、恩を売る相手もいない。だって全員敵なのだから、やりたい放題だ。これほど自分に正直になれる環境はない」


 先生には、私の置かれている状況を話している。簡潔に完結に。


「けど、どうしてそんな悲しい『妄想』をする? 君が話してくれたことは、彼らに迫害される程のことではないように思えるけど?」


 けれど、残念ながら私が望む答え、というか実現可能な手段を提供してくれるわけではないようだ。


「黙っていては、私には何もわからない。君と同じく、勝手に『妄想』するしかないね」


 先生は目を閉じて、10秒ほど固まった。


「君の見た目は、なかなかに悪くない。よく見た目の美醜が好き嫌いの引き金になるとは言ったものだが、君はむしろ、それなりに可愛い姿形をしていると言ってもいいだろう」


 微妙な形容詞がついているが褒められた。


「可愛いは正義、であるけれど、それはあくまで個々人の正義論だ。姿かたち、身も心も醜いものにとっては、それは正義ではなくーー」


 撃ち落とすべき敵なのだ、と先生は言った。


「君のように、敵に対して何もしない、専守防衛に徹するのもけっこうだが、その結果がこれだ。君の精神は病み、朽ち果てようとしている」


「敵なんだから、しっかり戦争して、滅ぼさないと」


 先生は立ち上がり、私の背後に回った。

 ゆっくりと。

 先生は、ポケットから小さな『何か』を取り出した。

 その武骨な形をした『何か』を『何に』、『どう使うか』は、考える必要はなかった。


「これに弾をこめて、対象に狙いを定める。そしてこの引き金を引く。するとあら不思議、当たった対象は痛みと血しぶきとともに倒れる」


 魔法のアイテムさ、と先生は笑った。

 私は笑わなかった。


「君にはこれを使う権利がある。だって攻撃されている、それも大勢から。ならば、このくらいのインチキは神様だって許してくれるさ」


 いざ、現実的な解決手段を渡されると、どうにも反応に困った。


「私はね、いつだって可愛いものの味方をすると心に決めているのだよ。併せて、醜いものの敵になるとも決めている。君の姿は私が味方するに十分にかわいいし、君を虐めているクラスメイトの心は醜い。追加すると、そんな彼らにおびえている君の心もーー醜い」


 先生は、私をじっと見つめる。


「だから、君に力をあげよう。圧倒的で、指一本で状況を塗り替える、お手軽な力を」


 先生はそう言うと、私をぎゅっと抱きしめた。

 冷たい。人肌はあったかいと聞いたことはあったが、その実、違うらしい。

 まあ、化物だからかもしれないけれど。


「大丈夫、私も一緒に行ってあげるから」


 そうして、私は先生に言われるがままに、教室に戻った。

 そして、手渡された拳銃で教室にいた全員を撃った。死んだかどうかは分からないけれど、目に映るもの、動くもの、そのすべてに狙いをつけて引き金をひいた。

 弾がなくなると、先生は次のをくれた。そして、私は機械的に作業に戻った。

 狙って、撃って、狙って、撃っての繰り返し。

 途中から、引き金の重さも感じなくなっていた。


 私はたぶん、笑っているのだろう。

 復讐の喜び、圧倒的な力をふるえる自由に酔っているのだろう。


 動く的がなくなると、私は糸の切れた操り人形が如く、その場に崩れ落ちた。

 視界に広がるのは、同級生の塊が多数。

「どう、すっきりした?」

 

 先生は指をパチンと鳴らした。

 すると視界から同級生の塊は消え、誰もいない静かな教室に戻った。


「こんな時間に、生徒がこんなにたくさんいるわけないじゃん」


「これはちょっとした手品さ。けど、どうだいーーすこしはすっきりしたのではないかな。クラスメイトへの恐怖心なんて、最早、欠片もないだろう。今しがた、君自身が撃ち抜いたのだから」


 先生は私から拳銃を奪うと、くるくると回した。

 そしてそのまま、白衣のポケットへと収納する。


「要するに気の持ちよう、という話さ。一番最初に言ったと思うけどね。物理現象でなければどうとでもなるのさ。見えないが故に無限大に感じられるが、見えないが故にゼロとすることもできる」


 先生は続ける。

 

「さあ、君を拘束していた柵は取り去ってあげたよ。どこになりとも、羽ばたくがいい若者よ」


 先生はシニカルに笑って、教室を後にした。

 

 手に残る人の形をした何かを、撃ち抜いた感覚。

 正夢のようなものだろうけれど、確かに私は彼らに対して反旗を振りかざし、勝利した。

 きっと彼らはこの出来事を知らず、普通の顔をして明日、この教室に来るのだろう。そして、いつもの如く私を笑いものにして楽しむのだろう。

 けど、そうはいかない。物理的な力はなくとも、私を蝕んでいた、拘束していた何かは来たのだ。

 私は自由だ。

 お前らなんかに、それはもう奪わせない。


 

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保健室の化物 虹色 @nococox

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