第18話

☆☆☆


 家の中で一夜を過ごした翌日――

 僕たちは広大な施設を見上げていた。

 正確な大きさこそわからないが、とにかく馬鹿が頭につくほど大きいこの建造物は二年前に建てられたばかりの農業施設。

 しかしこの施設は農作物の収穫が目的で作られたものではない。

 この施設はエーテルの研究のために作られ、全てのネットワークと遮断されたスタンドアローンなコンピューターシステムによって運営されていた。

 ここで行われていた研究は地球外のエネルギーである太陽光と地球上で常に一定とされるエーテルと呼ばれるエネルギーの関係性。

 そのため供給される電気は太陽光から得られたもののみで、作業も人の手は借りずに完全自動フルオートマティックで行われていた。

 だからこの施設はいまだに動いているかもしれないと考えて、僕たちは立ち寄ってみることにしたのだ。

 そういえば僕はこの施設による研究の顛末を知らない。当時の僕にとって、それは全く興味のないものだったから。

 そもそも僕がエーテルを発見したのも違う研究の副産物にすぎなかった。

 僕がずっと研究していたのは「人類の樹ユグドラシル」をはじめとする、人類の想いの共有システムだ。

 僕は自分もまた普通の人間として想いを共有するために、そのメカニズムを研究していた。

 実はこのシステムが成り立つ明確な理由は解明していない。共有のシステムを発見し、「人類の樹ユグドラシル」を設計したとされる星野ほしの博士は「人類の樹ユグドラシル」を完成させた後、姿を消しているからだ。

 そもそも星野心ほしのこころと名乗ったその女性科学者が何者であったのか……はっきりしていることはとても少なかった。

 その中で唯一知られていること、それは彼女が星野夢ほしのゆめの引き取った孤児の一人だったということだけだ。

 星野夢――まだ人が心をつなぐ以前、争いの絶えなかった時代に戦場の聖母と呼ばれていたのが彼女だった。

 彼女は争いの中にある地域に自らおもむき、そこで親を失った子供や、怪我や病気などの理由で置き去りにされた人たちを保護して回っていた。

 そんな彼女の活動資金のほとんどは寄付でまかなわれていた。多くの人々が彼女に資金を提供した。彼女の行為に共感した者。お金の使い道に困った富豪。コンビニエンスストアのレジ前で集められた募金。その中でも特に多かったのがイメージアップを狙った企業や、著名人からの寄付だった。

 それを偽善だと言う人々もいたが、彼女は気にしなかった。それどころか偽善と呼ばれる行為は一切の見返りを求めない純粋な善意以上に彼女を喜ばせた。

 なぜなら純粋な善行であれば、心をつなぐ以前の世界では、その行いには痛みを伴った。純粋な善意と呼ばれるには自分に一切の得がなく、自らが損をして相手に得をさせなければいけないからだ。

 しかしそれが偽善であるならば両方が得をする。子供たちは助かり、企業はイメージアップにつながる。

 それは彼女にとっては偽りの善ではなく、痛みを伴わない善でしかなかった。

 だから彼女は喜んで寄付を受け取ることができたのだ。

 そして彼女は悪と呼ばれるような人物や、組織からも資金提供を受け取っていた。

 自らの死を間近に、免罪符を求めて寄付を申し出るマフィアのボスや、彼女が保護した子供たちの親を殺した武器を作る企業などからもだ。

 そのことについて、メディアから質問を受けて答えた言葉が残っていた。

「私たちの活動にはたくさんのお金がかかります。いつだって私たちはお金を必要としています。お金が余っているなんてことは、この活動を始めてから一度たりともありません。だから私たちは受け取るのです。そのことについて反対意見を持っている人が多くいることは知っています。しかしそのような人たちは食べるものがなく、やせ細った少年を前に、あなたにパンをあげたいのだけど、あなたも汚いお金で買ったパンなんていらないでしょう。だからごめんなさい。このまま飢えていてください。そんなふうに言うのでしょうか? 私にはそんなことはできません。だから私はどんなお金でも受け取るのです。もちろんお金のために私たちが悪いことをすることはありません。そして……唯一、それが私たちのために悪いことをして得たお金であったのなら、受け取ることができません」

 そんな彼女に保護された孤児たちの中で、名前のない子供たちは彼女の姓である星野と彼女に付けられた名を貰うのだ。

 その中の一人が星野夢の子と名乗る星野心だった。

 それ以外は星野博士について何もわかっていない。彼女がどこで教育を受け、どこで研究していたのかすらわかっていないのだ。

 だから僕はほとんど一から研究を始める必要があった。

 僕が研究を始める以前から明らかになっていた事実は、共有を可能にしているのが「人類の樹ユグドラシル」であること。大気圏を越えると誰でも共有できなくなってしまい、再び大気圏内に戻ると共有ができるようになるということ。しかし地球上で無重力などの宇宙を模した空間を作っても共有は可能であること。そしてデザイナーズチャイルドである僕は共有できないということくらいだった。

 まず僕はいくつかの仮説を立ててそれらを検証した。

 一番の有力説であった、脳波に作用する電気信号やフェロモン等の物質による共有の可能性はすでに研究され尽くしていたため、あえて除外した。

 初めに検証にあたったのが遺伝子情報による共有。

 しかし、これは難しい。遺伝子に蓄積された情報による共有では、先祖の経験は共有できたとしても、現在を生きる人間の想いまでが共有可能なのはおかしい。

 それでも僕は遺伝子を改変されたため、共有する力を失った。だから可能性はあった。

 しかしこの仮説における研究で、僕は何も発見することはできなかった。

 次に僕が研究したのが心だった。

 人は「人類の樹ユグドラシル」によって、心をつないだとか、想いを共有するなどと言われている。

 だからそのメカニズムを解明するために、僕はまず心の在り処を突き止めようと試みたのだ。

 心は脳の感情脳と前頭前野にあるといわれている。しかしそれはそう考えられているだけで、確定はしてはいない。

 脳を持たない植物に話しかけたり、クラシック音楽を聞かせたりするとより良く育つというのは有名な話だ。

 だとしたら脳を持たない植物にも心はあるのだろうか?

 そもそも心とはなんなのだろう。

 感情は脳で脳内物質を分泌することで生まれる。人の行動の基盤となるのは間違いなく過去の経験である。

 心が感情を生み出すものと、記憶によって作られるものであるのなら、それは間違いなく脳の中にあるのだろう。

 よく物語の中で語られる、頭同士をぶつけて心が入れ替わってしまうお話。あれではしっかりと記憶も移動している。それはそうだろう。もし記憶が移動しないで、心と呼ばれる謎の物質だけが移動したのなら、少なくとも本人たちは自分が入れ替わったことに気づかないはずだ。なぜなら記憶はそのまま残っているからだ。

 起こり得る変化としては、他人から見て少し性格が変わっていたり、食べ物などの好みなどが変わっている程度のことだろう。

 そう考えると、それと似た例がある。

 移植や、臨死体験だ。

 移植手術の後や、臨死体験をした後、その人の性格が大きく変わることがあると耳にしたことがある。

 性格だけでなく、食べ物の好みなどが変わることもあるらしい。

 だったら、移植手術や臨死体験で心が入れ替わっている可能性があるのだろうか?

 それともただ、死に近い経験をしたことによって考え方などが変わっただけなのだろうか?

 それを明らかにするには、心そのものを観測する以外に方法はない。

 根拠のない説ではあるが、人は死後21グラム体重が減り、それが心の重さだという話もある。

 そこまで考えを進めた後、ふと思い当たって、僕は心の意味を検索してみた。すると「人間の体の中に宿り、意思や感情などの精神活動のもとになるもの。」と記されていた。

 そして次に検索したのが魂だ。「1.人の体に宿り、精神活動をつかさどると考えられているもの。不滅なものと信じられ、死後は肉体を離れて神霊になるとされる。2.自然界の万物に宿り、霊的な働きをするものと考えられているもの。3.精神。心。」

 これでわかった気がした。やはり心は脳の中に在る。正確には脳の中で作られる。感情や記憶によって生み出されるのだ。

 だからそれは僕が求めているものではない。僕が探し求めているものはきっと魂と呼ばれるものだ。

 万物に宿るとされる魂を観測し、人間の魂と僕の魂の差異を見つけ、それをどうにかできたのなら僕もまた人と想いを共有できるようになるのかもしれない。

 そして僕は研究を進め、魂と思しきものの観測に成功した。

 それは体内のどこかに存在するものではなかった。それは体内に満たされたエネルギーのような存在だった。

 それこそがエーテルだったのだ。

 しかし苦労の末に発見したエーテルは、僕が求めていたものではなかった。

 エーテルは全ての命ある生物が持っていて、その全てが全く同じものだった。その生物の大小によって総量などに違いはあるが、だからと言って人類の全てが宿す量が一定で、僕だけが違うなんてことはなかった。同じ人間でも人それぞれに若干の誤差があった。

 その後、同種族内での誤差を詳しく調べていたときに僕は想定外の発見をした。

 近年になって深刻化していた、先天性の障害持って生まれてくる生命はエーテル量が、その種の持つ平均的なものよりかなり少なかったのだ。

 僕はそのまま研究を進め、その理由も発見する。

 人間は死後、21グラム減ると言われている。それは死ぬことによって体内からエーテルがなくなるからだ。そのエーテルはどうなるのかというと、霧散し星に還る。そして他の霧散していたエーテルと混ざり合い、新たな命の源となる。

 エーテルとは地球内で常に一定に保たれている、星を巡る生命エネルギーだった。

こうして星の危機の理由は解明された。

 しかしそれは僕が求めていた成果ではなかった。僕にとってわかったことはこれ以上エーテルの研究を続けても、心の共有システム解明にはつながることはなさそうだということだけだった。

 だから僕はエーテルの研究を止めた。

 そしてすぐに新しい研究を始めた。

 次に検証したのがエーテルとは別の未知のエネルギーの存在。簡単に言えば子供向けの物語などによく登場する第六感、超能力の存在だ。

 その超能力でいうところの共感能力エンパス(テレパスのような念話の力ではなく、人の感じている喜怒哀楽などの感情を自分のものように感じる力。中には人とではなく動植物や鉱物、細菌、分子、霊的存在などと感情を共有する場合もあるとされる)の力をエネルギーとして観測を試みることにした。

 そう……僕はエーテルの研究を止めてしまったんだ。

 エーテルの発見によって世界が病んでしまった理由が明らかとなり、世界中の科学者たちが世界の危機を救うためエーテル研究を始めたというのに、僕だけは研究を止めた。

 ただ自分の幸せを求めるためだけに……

 僕はもう一度、睨みつけるようにして目の前にある施設を見上げた。

 僕は最低だ。

 もし僕が研究を続けていれば人類が滅びることはなかったかもしれない。

 もちろん僕が研究していたとしても結果は変わらなかった可能性だってある。いや、その可能性のほうが大きいだろう。世界中の科学者が研究しても解決策は見出せなかったんだ。僕一人の力で結果が変わったとは思えない。

 それでも……だからといって僕の行為が正当化されるわけではない。

 僕が人類を滅ぼした。

 人類のみんなは優しかったから、僕のせいではないと言ってくれるだろう。それでも僕が人類を見捨てたという事実に変わりはない。

 それなのに僕は人間になりたいと願い、人間になるための研究をしていた……

 本当に人間になりたいのなら、あのとき僕は自分を優先にするのではなく、まず人類のために行動するべきだったんだ。それこそが僕がなりたいと望んだ人間の在り方なのだから。

 そんな当たり前のことを、あのときの僕はわかっていなかった。

 だからせめて……それがわかった今、隣にいてくれるナリアのために、彼女の笑顔のために何かしたかった。

 それで今日は保存食以外の食材を求めて、この施設にやってきたのだ。

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