第2話
☆☆☆
空を行くくらい高くにある、高速道路。
一つの道に二人分の足音を重ね、僕たちは歩いていた。
僕とナリア。
僕はキャスター付きの大きな荷物を引いて真っ直ぐに、ナリアは背負った小さな赤いリュックを大きく揺らしながら僕の周りをちょこまかと歩き回っている。
僕の名前はシン。少し前に二十歳になった。それは本当だったら、この世界に産声を上げる以前から、運命と言う言葉によって定められていた死を迎えるはずの年齢。
しかし、もうそれを恐れる必要はない。
それ以上の対価を支払って、僕は死の運命を回避した。おまけに純粋な日本人であるのにもかかわらず、金髪碧眼で女性のように整った容姿、桁外れな運動神経と頭脳も手に入れた。
でも……僕自身がそれを望んだわけではない。ただ無理やりに与えられた。
そして、失ったもの……伝え、受け取る想い。
人であるのなら、誰もが感じることができるその想いを僕は失った。それは人類を定義するために最も大切なもの。
だから僕は人類に名を連ねそこなった、新しい形。全てを求めるがゆえに、一番大切なものを失った欠陥品。一人で完結された、完全なゆえにたった一人の新しい命。
そして、そんな僕のかたわらに在る少女――ナリア。
僕がナリアのほうに目をやると、彼女はいつものように笑みを返してくれた。
楽しそうに微笑み、手を大きく振りながら僕の少しだけ後をついてくる。胸元では薬入れになっている銀色のペンダントが大きく弧を描き揺れていた。
僕はナリアの年齢を知らない。記憶喪失である彼女自身にもわからないのだろう。
だからといって、僕には見た目でなんとなく判断することもできない。僕はいつも一人だったから……友達もいなかったし、家の外に出るようなこともほとんどなかった。だから、誰か比べるための基準となる人物もいない。
そういうわけで、ナリアの年齢は見た目からもよくはわからない。僕よりずいぶんと小さいので年下だとは思うのだが、何歳ぐらいかという判断にまでは至らない。
そして、本当の名前もわからない。ナリアというのは僕が付けてあげた名前だ。
ナリア――それはナリアの首に掛けられた薬入れの中にある花の種の名であり、もうこの世にはいない、たった一人僕と友達になってくれた人と同じ名前。
そんなことを考えながら、僕は空を仰いだ。
見上げた空は……美しかった。
遠く、澄んだ天上の青。その中に浮かぶ雄大な雲。丸みを帯びた上のほうは、太陽の光を浴びて純白に輝き、底は平らで影になって暗い。
高速道路から見上げる空は視界を遮るものが何一つなく本当に美しい。
「積雲だー」
ナリアが空を見上げながら叫んだ。手をいっぱいに伸ばし、空に向かってぴょんぴょんと跳ねている。
「あの、雲の名前?」
「うん。でっかいから、雄大積雲だ」
ナリアは笑顔で答える。彼女は記憶喪失であるのにかかわらず、妙に偏った知識を持っている。そのくせ誰でも知っているような事を知らなかったりもするのだが、そのへんは記憶喪失が原因なのかもしれない。
とにかくナリアは空の名前に関しては博士号を持っていてもおかしくないくらいに詳しい。
雲の名前から、星空の名前まで何だって知っている。
「雄大積雲か……何かこう、すごいね」
うまく想いを言葉にすることができない。思っているだけでは心は伝わらない。それがひどくもどかしい。
「うん。すごいねー」
うれしそうに微笑みながら、ナリアは頷いた。
言葉にできなくても、心は伝わらなくても……それでもその想いは伝わったらしい。
それがうれしくて、本当にうれしくて、僕の表情も自然とほころんでいく。
僕はそのままの表情で、再び視線を道の先へと戻す。
あまりにうれしくて少し滲んだ視界、そこには無数の鳥たちがいた。
三十羽くらいの青く小さな鳥の群れ。彼らは羽を休めるためか、僕らより少し先の所で地に足を付けて、優しい歌を口ずさんでいる。
「あっ、鳥さんたちだ!」
そう大きな声を上げて、ナリアは鳥たちのほうに向かって走っていった。
そんなナリアに気がついた鳥たちは一斉に空に向かって飛び立ってしまう。
「あぁー。鳥さーーん。待ってよー」
ナリアは叫びながら、精一杯手を高く伸ばしてぴょんぴょんと飛び跳ねる。
鳥たちの姿がすっかり見えなくなって、僕がナリアの所まで追いつくと、彼女は悲しそうな顔を僕に向けて言った。
「鳥さんたち、行っちゃった……」
そんな悲しそうな顔なんてしてほしくなかった。元気づけてあげたかった。
でも、僕にはどうしていいかなんてわからない。こんなとき、どんな言葉が人に笑顔を与える力を持っているのかを、僕は知らない。
だから……
「うん」
頷くことしかできなかった。それが悔しい。
「ナリアは鳥さんたちに嫌われているのかな? ナリア、記憶がなくなる前に、鳥さんたちに嫌われるようなことでもしちゃったのかな?」
ナリアは僕の服の裾を小さな手で強く掴んでうつむく。
「そうじゃないよ。鳥はみんなああなんだ。人間に捕まりたくないんだよ」
「鳥さんたちはナリアじゃなくて、人間が嫌いなの?」
そう言って、ナリアは僕の目をじっと見つめる。
僕はどう答えるべきなのだろう。
その答えが真実である必要はない。嘘が吐けるのは僕だけの特権だ。
だからできることなら、彼女が笑顔になることができる、そんな答えを用意してあげたい。
「きっと……怖いんだよ。人の想いは鳥たちには伝わらない。だからナリアが友達になりたくて近づいたのか、捕まえて食べようとしているのかわからないんだ」
「じゃあ、鳥さんたちとは友達にはなれないの?」
「いや……そんなことはないんじゃないかな。鳥をペットにしている人もいたし、片言だけど話をできる鳥とかもいた気がする。だから、どうやってかはよくわからないけど、ナリアの気持ちを伝えることができれば、鳥とだって友達になれると思うよ」
「そうなんだー。よかった」
ナリアに笑顔が戻った。
「うん。よかった」
僕もうれしくなって、そう相槌を打った。
「ほら、行こう」
そう言って、ナリアに右手を差し出す。
「うん!」
ナリアは元気一杯に頷くと、両手で僕の右手をぎゅっと握った。
そして僕たちはまた歩み出す。
「今度下に行くとき、本屋にも寄って鳥の飼い方みたいな本でも探してみようか」
「うん。探してみる」
そんな話をしながら、僕は道の続く先へと視線を向ける。
遠くにうっすらと建物が見えた。
それはとても大きな、空へと向かって聳え立つ塔のような建造物。
そこを目指して僕たちは歩いていた。
誰もいない、僕とナリアしかいない高速道路。もうここを車が通ることはない。
人類が滅びてからすでに一年以上。僕とナリアが出会ってから約三ヶ月。
今日も二人きりで真っ直ぐに、汚れた高速道路に二人分の足跡を刻んでいく……
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