第二十章

第二十章① 彼を変えたものは

 ベブルたちは時空塔から星辰界ヘと出た。透明の球形の乗り物が星の海を渡り、彼らを神界レイエルスの近くまで連れて行った。そこからまた、彼らは転位装置を使ってレイエルスの時空塔へと降りた。


「星辰界を越えて別世界に行くなんて、本当に素晴らしいことですわね」


 スィルセンダは感動していた。彼女は星辰界に出るのは初めてだ。


 ウェルディシナは同意する。


「確かにな。このような体験、普通ならできないところだ」


 ディリアも首を縦に振る。


「そうね。わたしたちは知識として、アーケモスが丸い世界で、その外に神界レイエルスや魔界ヨルドミスがあると当然のように知っている。でも、それを実際に見たり、別世界に行ったりというのは、本来的にはできないものね」


 それから、ベブルたちは神界レイエルスの白い街を魔獣ディリムに乗って駆け、最も近い転送局へと入った。そしてそこから、レイエルスの中心——レイエルス神殿へと飛んだ。


 そして神殿内の転送装置をレミナが起動し、神殿の中心部へと向かう。


++++++++++


 しかし、ここには誰もいなかった。


 探し回ってみたものの、何の気配もしない。


 祭壇の上にも、例の『石碑』はない。アーケモスには来たあのオルスが、どうやらこのレイエルス神殿にはいないようだ。


「どうなってるんだ?」


 ベブルは誰にともなく言った。いまのレイエルスは、完全に無人の——無の世界だ。祭壇の上にある転送装置も、いまでは使用不能になっている。これは、かつてレイエルス宮殿とデルンタワーとを結んでいたものだ。


「無駄足でしたか」


 ウィードが周囲を見廻しながら呟いた。どうやらそのようだ。


 ベブルは祭壇の上でどかっと座り込む。


「しゃあねえな。折角、決着をつけてやろうと意気込んで来たってのに。……もう帰るか?」


 仲間たちも、ベブルと同じ意見だった。


 ただひとりを除いて。



 オレディアルは、真剣な面持ちで、ムーガにこう言ったのだった。


「しばらく……、お待ち願えませんか?」


「どうしたの?」


 オレディアルが『敵地』でこのようなことを言い出すのだ。ムーガは、なにごとかと心配そうな声を出した。彼は、両方の拳を握り締めていた。彼が考えていたのは、まったく別のことだ。


「百八十年前のレイエルスへ行って参ります。……過去と決着をつけるために」


「デルンか」


 いち早く反応したのはフィナだった。いまの彼女は、いつもの白ローブを羽織っている。


 オレディアルは肯定する。


「そうです。百八十年前のデルンは神界レイエルスに閉じ込められています。いままでならば、我々にとって『手の出せないところ』にいるはずでした。ですが、いまは違います。百八十年前の、にいるのですから……。それは、いまの我々のすぐ傍にいると言い換えて差し支えありません」


 それには、スィルセンダが疑問を持ち出す。


「もし、それで過去のデルンを倒してしまったら、わたくしたちはどうなるのです? 最初から、デルンはいなかったことになるのでしょう? デルンの圧政を受けていたアーケモスや、圧政者デルンを倒したわたくしたちはどうなるのです?」


 オレディアルはうつむく。


「正直、わかりません。ただ、アーケモスがデルンの支配を受けていた歴史は消えます。デルンに殺された、多くの人が死なずに済むでしょう。……もちろん、『指輪』をしていたナデュク・ゼンベルウァウルは生き返りませんが……」


「どうします、ムーガさん?」


 ウィードが訊いた。彼はいつも、決定権はムーガに譲るのだ。今回の場合、この集団の首領は彼女ということになっているので、結局はそれで間違ない。


「え?」


 だが、当のムーガは当惑した。ここでオレディアルに頼み、過去のデルンを始末すれば、ジル・デュールの市民も、シムォルの『真正派』も、ヴィ・レー・シュトの『けがれなき双眸そうぼう』の魔術師たちも、誰も死なずにすむのだ。あの悔恨の念も、自信を喪失して泣いたことも、すべてがなくなるのだ。


 それなのに、ムーガは決断できなかった。


 ベブルは溜息をつく。


「俺はどっちだっていいぜ。俺にとっちゃ、『指輪』があるからな。どれだけ歴史を変えようと、俺にはなんの違いもない」


「ムーガ、どうするんです?」


 スィルセンダが尋ねた。しかし、ムーガには、依然として答えることができない。


「ムーガ?」


 レミナも首を傾げた。


 ムーガは立ち尽くしたまま、口を少し開けたが、そこから言葉を発することができない。迷っているのだ。彼女は大きく息を吐き、頭を押さえる。


「ごめん。ちょっと待って。待って、待って……」


「ムーガ?」


 ベブルはムーガのほうへ近付いた。彼女は、いつの間にか、震えている。小さな声で、笑っているのだ。


「はは……。駄目だよね、わたし。これで、多くの人が死なずにすむのに、多くの人が悲しまずにすむのに……。なのに、すぐにそれを選べないなんて、『救世主』失格だよね」


「どうしたんだよ」


 ベブルがムーガの顔を覗き込もうとすると、逆に、彼女のほうが、じっと彼を見つめ返した。


「本当につらかったし、何度も、自分さえいなければって思った。死にたいと思った。いまも、多くの人が嘆き、悲しんでいる……。でも、それを乗り越えたの。長い戦いの中で。みんなと一緒に……。でもわたしは、あの出来事があって、ひとつまた、強くなった。それに、みんなとの、思い出も……。それが、百八十年前のデルンが消えてしまうと、一緒になくなってしまうの? 全部? それが、怖くて……」


「ムーガ……」


 ベブルには、なにを言っていいかわからなかった。掛ける言葉が見つからない。彼にとって歴史の改変は些細なものだから、歴史を改変される側の気持ちを忘れていたことに、いまさら気づいた。


 ムーガは小さく笑い、ベブルから顔を背ける。


「はは……。『強くなった』なんて、嘘だよね……。全然、強くなんてなってないよね……」


「もう、いい。デルンの野郎は、このままでいい」


 ベブルはムーガを抱きしめた。彼女は悲しげに笑う。


「ううん、やっぱり駄目。結論は、もう出てるんだ。多くの人が死なないほうがいい。わたしが目指しているのは、争いのないアーケモス。それに、前にもお願いしたよね? 歴史を元に戻して、って」


「お前……」


 ベブルはムーガの顔を見た。笑っている。しかし、目元に、光の雫が。


「それに、大丈夫だよね。だって、ベブルはわたしの傍にいてくれる。思い出なら、別に惜しまなくたって、すぐにできるよね。そしたらその分だけ、また強くなれるし」


「……約束する」


「そんな顔しないでよ。ごめん。わたしがわがまま言ったせいで。困らせるつもりはなかったんだから。ほら、笑って」


 ムーガは、深刻そうな表情をするベブルに言った。彼は渋々、苦笑いをした。それから、彼女から離れる。


 それからまた、真剣な表情に戻って、ベブルはオレディアルに言う。


「俺も行くぜ」


 フィナもそのつもりだった。そして、ウェルディシナとディリアも、百八十年前のデルンを倒すつもりでいた。


「そうと決まれば、まだ『時空の指輪』はひとつ余りがあるが、使いたい者はいるのか?」


 ウェルディシナが、この時代に残らなければならないムーガや、スィルセンダ、そしてウィードとレミナに訊く。彼らは全員、一度は「必要ない」と言った者たちだ。だが、この指輪があればベブルたちの戦いに参加できる。


 四人は返答に詰まっていた。


 ベブルが言う。


「別に、欲しくないんならいいぜ。そんなモンつけても、碌なことはねえからな。それにどうせ、百八十年前のデルンなんか一捻りだ。これ以上の加勢はいらないぜ」


 だが、ムーガには、思い当たることがあったようだ。


「あ、でも、もしかしたら……。これを付ければ、ずっとベブルと一緒にいられるってことじゃないの?」


「でもお前、何でいらねえって言ったか、思い出してみろよ。スィルとレミナと、話が噛み合わなくなるぜ。お前ら、折角姉妹みたいに育ったんだろ?」


「そうだね……。でも……」


「ウィードも知ってるだろうが、改変を見るのは気持ちのいいもんじゃねえぞ。お前のところには、俺が行くから、安心して待ってるんだ」


「……そうだよね。わかった。……気をつけて」


 ムーガは微笑んだ。


「心配すんなよ」


 ベブルも、微笑ってみせる。彼の傍に、フィナがやって来た。彼女は手を出し、彼はその手を取る。


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