第十二章⑪ 忘れているだけ
結局、ブァルデンの行方はわからなかった。
だが、『明き雷光』が崩壊したことだけは確実だった。夕方には他の地区から都市警護団が派遣され、これまで警固団が不在だった第四、五、六地区の治安も正常化する見通しが立った。警固団がいれば、どこかに隠れているブァルデンも、いずれ見つかるだろう。
第六地区に都市警固団の力が戻ると、人々はユーウィの家に押しかけた。誰もが、ブァルデンとの強制的な結婚を止められなかったことを謝った。彼らは皆、昼間には手放しで彼らの結婚を祝っていた者たちだった。
ベブルは釈然としなかったが、ユーウィはその性質上、弱々しく微笑っては、そうせざるを得なかった彼らに同情して、ただ「気にしないでください」と言っていた。
ベブルは、大勢を一度に相手しているユーウィに話しかける。
「そんな奴らを相手にしてねえで、あれ、買いに行ったらどうだ?」
ベブルは『善きこころの日』の贈り物のことを言ったのだ。ユーウィは、今年初めて自分の父親に贈り物をつもりだったのだ。
「そうですね。日が暮れる前に行かないといけませんね」
ユーウィはそう言うと、家に押しかけて来ていた人々に挨拶して、家を出て行こうとした。その背中に、ベブルは声を掛ける。
「じゃあな」
ユーウィは立ち止まって、振り返る。
「また、来てくれますよね?」
「ああ、多分な」
するとユーウィは微笑んで、家を出て行った。
ベブルも家を出る。人々の多くは、ユーウィがいなくなったので、めいめいの家に帰って行った。だが、一部は、外でフィナと話し込んでいるホミクのほうに行った。彼らには、ホミクに謝らなければならないことも沢山あった。
ベブルは、夕焼けに映えるユーウィの後姿を眺めていた。婚礼の儀のときに着ていたような煌びやかな正装ではないが、彼は、綺麗だと思った。
ヒエルドにも、ユーウィにも、芯の強さがある。ベブルにとっては、彼にないものを持っているふたりは、空の上にある星と同じような輝きが内側から溢れ出てきているように見えるのだ。
ベブルは、ユーウィは自分などよりもずっと強いと思った。本人が気づいていないだけで。
ユーウィの背姿が見えなくなると、ベブルはホミクがいる方へ歩く。
「じゃあ、ホミク。俺らはそろそろ帰るわ」
ベブルの言葉にホミクは驚く。どうやら、フィナも彼に同じようなことを言っていたようだ。
「なに、お前さんもそんなことを。『善きこころの祭り』は、今日が一番大きな祭りの日だというのに、うちで俺たち父子のもてなしを受けて行かないと言うのか」
ベブルは苦笑いして、頭を掻いた。そして、フィナを指差す。
「ああ、悪いな。それには先約があってな。こいつの家に招待されてるんだ」
「フィナの家族も、うちに招けばいいんだ」
「……それは無理だ」
「なら、俺たちがそちらへ行かせて貰おう」
「それも無理なんだ。……帰るぞ、デューメルク」
それを聞くと、フィナはホミクに対して頷いて見せた。もしかしたら、これは、彼女にとっては一礼したのと同じことだったのかもしれない。
ベブルとフィナは、夕焼けのほうへ歩いて行く。
彼らはどこか遠くへ行ってしまうのだろう。
ホミクは、自分のところへ来た人々の相手もせずに、ふたりの背を眺めて、漠然とそう思った。
++++++++++
「……ようやく、見つかったな」
大魔術師ファードラル・デルンは、顎に手を当てて、満足そうに笑っていた。彼の見ている、実体のない大鏡には、ユーウィの姿が映し出されていた。
「愚か者どもに俺の武器が渡ったと聞いておったが、愚か者は愚か者で、泳がせていてそれなりの価値はあったようだな」
ファードラルは椅子の背にもたれ、足を組んだ。
「見出したぞ。ベブル・リーリクメルドの先つ親を」
++++++++++
その日、フィナの家では、夕食が豪華なものになっていた。彼女の『寿星の日』を祝うためだ。長らく空腹が続いていたので、ベブルは料理を貪るように食べていた。
フィナの家族は、彼女に、なぜ昨日帰らなかったのか訊いた。時間移動云々の説明するのを煩わしく思ったのか、彼女は、なにか高度な野外観察・実験のために外に出ていたという話をした。そんな話をして信用されるのかとベブルは思ったが、驚いたことに、この話は彼女の両親にいとも簡単に信じられた。
フィナはもともと口数が少なく、なにをするにも無言なので、彼女が突然家から姿を消すのは、両親にとってはもう慣れたことだったらしい。
窓の外には、空に星が昇っているのが見えた。もうすっかり夜だ。
食事も終わりのころになると、フィナの両親から、そして兄から、彼女に贈り物が渡された。フィナはそれを無言で受け取ったが、しばらくして「ありがとう」とひと言言ったときには、少しばかり、微笑んでいるように見えた。
この幸せな雰囲気の中で、ベブルは贈り物を買っていなかったので、なにも言わずに家を出た。
空気は冷たかった。
空は澄んでいる。
星が瞬いている。
結局のところベブルは、自分の『力』がどういうものなのか、解らず仕舞いだった。
恐怖、不安……、そういった弱い感情によって、例の『力』が現れてくるのだということは、既に判っていることだった。だが、それがないようなときにでも、それが現れるのはなぜなのだろうか。
恐怖していないと思い込んでいるだけで、本当は恐怖している?
それとも、あの『力』を得るのには、何か他の要素もあるというのか?
たとえば、邪悪な感情を持ったとき。
しかし、それに限っては、ムーガはそうではなかったようだ。彼女は粗暴ではあるが、決して邪悪ではない。むしろ彼女は、精神的には弱いほうで、その弱さによってあの『力』を手に入れているような気がする。
しかし、邪悪な感情というのは、恐怖や不安と違う性質のものだろうか?
もしかすると……。
ベブルはフィナの家の入り口前の階段の途中に座り込み、星の世界を眺めていた。だが、背後で扉が開いたことに気がつく。
抜け出してきてから、随分時間が経っている。もう、フィナの『寿星の日』の祝いは終わったのだろう。
振り返ってみると、そこにいるのはフィナその人だった。
フィナはベブルを見下ろしていた。そして、何かを投げる。
その何かは空中でゆっくりと、二、三度回転した。その度に、星の光を撥ね返して煌めいた。そこに、もうひとつの星があるようだった。
そしてそれが、ベブルの方へ落ちてくる。彼はそれを受け取った。
星の意匠のレリーフが彫られた指輪だった。
「これは……」
「あげる」
フィナはそれだけ言うと、踵を返し、階段をまた上って行った。
ベブルは立ち上がり、フィナを呼び止める。
「これ……、何で」
フィナは立ち止まると、振り返る。
「『寿星の日』」
風に吹かれ、たなびく黒髪の間から、広大な夜空すべてを映し出す黒い瞳が覗いていた。そして、ひと言、付け足す。
「貴方の」
「——え?」
ベブルは返す言葉に詰まった。
その間に、フィナはそれ以上何も言わずに、再び階段を上り始めた。
「待て! お前、何で」
ベブルは叫んだが、フィナはは答えなかった。彼女は扉を開け、暖かい家の中へ入って行った。
扉は閉じられる。
ベブルはそこに立ち尽くしていた。
「何で、あいつが知ってるんだ。誰にも言ってねえはずなのに……」
ベブルは空を仰ぎ、呟いた。
満天の星空が、そこにはあった。
—— 星が好きなのか?
「ああ、悪いか」
星空は安らぎを与えてくれる。しかし、ベブルは既に気づいていた。星空は同時に、彼に不安をも与えているのだ。
ベブルは決めた。あの『声』を引きずり出して、自分の『力』は何なのか、そして、『声』は何者なのか、力尽くでも訊き出してやると。
それが、本当に強くなる、唯一の方法なのだとしたら。
—— だがお前は、すでに妾の思うとおりに動いておる。
—— 彼女と出会ったことが、単なる偶然だとでも思うておるのか?
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