第十二章⑩ 忘れているだけ

 群衆が騒がしくなった。単なるざわめきではない。みながブァルデンを、そしてユーウィを不審に思っているのだ。


 ブァルデンはもとより悪名高い暴君であり、不審に思われるのは当然だった。そして、ユーウィはその妻として選ばれた女だったが、その彼女が暴君の前で突然そんなことを言い出すのは、それ自体不審なことだった。


 自分がジル・デュール市民に敵視されていると思ったブァルデンは、舌打ちすると、ユーウィを突き飛ばした。そして、懐に仕舞っていた魔導銃を取り出す。


「殺せ!」


 ブァルデンのその声と同時に、控えていた『明き雷光』の構成員たち——彼の手下の男たちは、それぞれ懐から銃を取り出した。


 そして、彼らはフィナとホミクに向かって魔導銃を連射する。ホミクはフィナの後ろに隠れ、彼女は魔力障壁を発動させて彼を守った。


「手加減するな、野郎ども。確かにこの女は手練かもしれんが、乱射し続ければ、どんな魔力障壁だろうと壊れるものだ! デルンの魔導銃にそれができんはずはない!」


 そんな状況下で、祭礼行進を見に来ていたジル・デュール市民は、みな蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。


 ブァルデンの言葉は間違っていなかった。十一の銃口から集中的に狙われ、フィナの魔力障壁は急激に消耗していった。それでもまだ辛うじて持ちこたえ、自分自身とホミクを守っていられるのは、潜在的な魔力の高さによるものだ。


 全身を強張らせて魔力障壁を支えているフィナに、ホミクが申し訳なく思って、後ろから言い出す。


「もう、これ以上は無理だ。あんただけでも逃げてくれ。ここまでよくやってくれた。感謝してる。だから、俺を置いて逃げてくれ」


 だがフィナは、それには答えずに踏ん張り続けた。彼女には、逃げるつもりはまったくない。


「よし、もう少しだぞ! この女、どうやら強い魔術師のようだが、それもここまでだ!」


 ブァルデンは仲間を鼓舞した。このころには、広場から一般のジル・デュール市民はひとり残らずいなくなっていた。


 より一層の魔法の銃弾が、フィナの魔力障壁を叩き壊そうとした。壊れそうになる度に、彼女は内なる魔力を振り絞って障壁を補強した。だが、それももうすでに限界に近づいている。


「フィナさん!」


 ユーウィはこの場から逃げてはいなかった。彼女はブァルデンに突き飛ばされて地面の上に座り込んだまま、そこから動いていなかった。動けなかった。逃げられなかった。彼女の心は鳥籠の中に入れられ、その鍵は、ブァルデンが持っていた。だが、いつまでもこのままだとは、もう思っていなかった。『彼』が籠を開けてくれるだろうから。



「馬鹿が」


 ベブルの声だった。彼は空から降ってくると、地面を殴り、舗装や土を吹き飛ばし、それらを宙に巻き上げた。たちまちにして視界は灰色となり、ブァルデンとその手下たちから、フィナたちは見えなくなった。


 状況が急速に悪化したことを、ブァルデンはこの次の瞬間に知った。あちこちから、打撃音と手下の悲鳴が聞こえるのだ。彼は直観的に、その叫びが断末魔の叫びだと思い至った。


 砂煙が消えたとき、破壊された広場にいたのは、ホミクとフィナ、ベブル、そしてブァルデンとユーウィだけだった。


「よう、ブァルデン」


 ベブルはその瞳に、不気味な炎を灯していた。


 この世のものではない、奇妙な輝きを持つその目に睨まれ、ブァルデンは言い知れぬ恐怖を抱いていた。しかし、そんな中にあって、彼は大胆な笑みを浮かべながら、魔導銃でベブルを狙っていた。


 ベブルは嘲笑う。


「そんなもん、いくら撃っても無駄だぜ」


「貴様、俺の手下をどこへやった」


 ブァルデンは笑顔を引きつらせていた。


 それを聞いて、ベブルひとしきり嗤い、それから短く答える。


「あの世」


「……なに?」


「ひとりに一撃。それで消えちまうんだよ。俺が手加減さえしなければな」


 ブァルデンは半歩後退さった。だが、魔導銃は下げていない。


「動くな! この銃には、『災禍の弾』が込められている! 動くとこれを撃つぞ!」


 すると、ベブルは面白そうに、嗤って、ゆっくりと歩き始めた。ブァルデンから見ても気が狂れているとしか思われない今の彼では、そういう行動をとっても、むしろおかしくない。だが、彼と共に、ルビーの杖を持ったフィナが近づいてきたのは、別の意味をもっていた。


 この『災禍の弾』も偽物ということか!


 そう思うや、ブァルデンは魔導銃から『光る玉』を取り出すと、地面に叩きつけた。ベブルもフィナも、それを見て、立ち止まった。彼の判断は当たりだったのだ。


「ちっ、やはりか!」


 ブァルデンは忌々しげにそう叫ぶと、座り込んでいたユーウィを引っ張り上げて無理矢理立たせ、彼女のこめかみに魔導銃を突き付けた。


 ベブルの表情が、これまでの不敵なものから、焦りを含んだそれになった。彼とホミクの声が重なる。


「「貴様!」」


 ブァルデンはより一層強く、魔導銃をユーウィの頭に押し付ける。


「動くな! この魔導銃には、弾が入っている。この女がどうなってもいいのか?」


 ユーウィが懇願する。


「ベブルさん! お願い! わたしに構わないで、ジル・デュールを守って!」


 だが、ベブルも、フィナも、そしてホミクも、動けなかった。四人はブァルデンを睨んだまま、そこに立ち尽くしている。


 焦りと恐怖の入り混じった笑みを歪めて、ブァルデンはユーウィを引っ張りながら、後退りして行った。そしてそのまま彼女を担いで馬に乗ると、馬を走らせて去って行った。


「おい、貴様!」


 ベブルは叫ぶが、馬は逃げていく。このままでは、ユーウィの命が危ない。


++++++++++


 ブァルデンはユーウィを連れて、彼女が昨日逃げ込んだ路地裏に来ていた。馬は離れたところに乗り捨ててきた。だが、このままここにいては、見付かってしまうのは時間の問題だ。


 ブァルデンはユーウィに逃げないよう命令すると、路地裏の行き止まりの壁を手探りに調べ始めた。なにかを探しているのだ。彼


 ユーウィが訊けば、ブァルデンはこの壁には仕掛けがあるのだと答えた。ここからこの建物の中へ入り、この建物の地下に降りれば、そこに『明き雷光』の隠れ家があるのだ。彼は暫くそこに潜伏し、手下を集めて、体勢を立て直すつもりだった。


 ユーウィは毅然と言う。


「そんなことをしても無駄です。どこへ逃げようと、ベブルさんが必ず助けてくれます。わたしも、ジル・デュールも。あの方は、あれだけ酷く毒に蝕まれていたというのに、結局は自力で立ち直ったのですから」


「うるさい、貴様は黙ってろ」


 ブァルデンは、ユーウィのほうを見もしないで、必死で壁を調べていた。


 だが、ユーウィは一歩も譲らない。


「黙りません。もう嫌です。わたしばかり、みなさんに守られて、わたしばかり、みなさんの荷物になるのは。わたしのせいで人が死ぬのは、もう嫌です」


 そしてユーウィはブァルデンの手をはたいて撥ねのけた。彼は壁の仕掛けをようやく見つけて、それを作動させようとしたところだった。


「なにをする」


 ブァルデンはユーウィを睨み付けた。彼女は一瞬怯んだが、言い返す。


「逃がしません」


 そうこうしていると、遠くのほうから声がした。ベブルとフィナとホミクの声だった。三人は、揃って彼女の名を呼んでいた。


 ユーウィはそれに応えて、自分の居場所を知らせようとする。


「とうさ——」


 だが、その口をブァルデンの手に塞がれてしまう。ベブルが近くに来たことを知って、彼の笑みは醜く歪んでいる。


「自分が守られて人が死ぬのは嫌だと言ったな? ここで奴らを呼べば、奴らをお前の身代わりとして殺してやる。俺がお前を撃つか、あの男が自害するか、どちらかを迫ってやる」


 ユーウィはブァルデンの手の下で呻いた。だが、まともに声にならない。


「大方、あの男は、お前の新しい男かなにかだったんだろう。可哀想にな、お前はまた、男に死なれるわけだ」


 ブァルデンはくっくっと嗤った。


 ユーウィはようやく、辛うじて、ブァルデンの手を払い除けた。


「まさか、ルディを殺したのは……」


 ブァルデンは嗤い、再びユーウィの口を塞ぐ。


「さあな。ルディという名の男なら、三人くらい殺したかも知れんなあ! お前の婚約者のルディは、何番目に殺したルディだったか!」


 ユーウィは愕然とした。


 ルディ! わたしは、貴方を殺した男と結婚しようとしていたというの? そんな……。


 ブァルデンは嗤っている。


「これから暫くは、盾として役に立ってもらうぞ。あの三人を殺されたくなければ、静かにしろ。刃向かえば、奴らに加えて、第六地区の連中も皆殺しにしてやる」


 いや……。また私のせいで、誰かが死ぬなんて……。


 —— 大丈夫だ、ユーウィ。


 ルディ……。


 —— 『明き雷光』なんて、ただのごろつきの集まりなんだ。都市警固団で、簡単に抑えられるさ。そんなことより、俺たちの未来のことを考えておいてくれよ。


 ルディ……。


 —— 俺たちの未来だ。そう簡単には壊させない。



 やめて……。もう、誰も殺さないで……。やめて……。やめて……。


「やめてえええぇぇぇっ!」


 ユーウィは悲鳴のような叫びを上げた。そして、ブァルデンの手を振り払い、両手で彼を突き飛ばした。



 一瞬、ブァルデンの呻きが聞こえたが、次の瞬間には、あたりが静けさを取り戻した。


 ユーウィは固く瞑っていたまぶたを恐る恐る開いた。あの男を突き飛ばしたのだ。これからどういう目に遭うことか……。


 だが、予想に反して、ユーウィの目の前には誰もいなかった。


 驚いて、右を、左を見回したが、ブァルデンの姿はない。地面に倒れているわけでもなかった。


 ユーウィは振り返って、ここへ来るときに通った、細い道を見た。だが、そこにも誰もいない。静かな、暗い通りが向こうの方へと続いているだけだった。


 ブァルデンはきっと、もう壁の抜け道を通って逃げてしまったのだろう。


 ユーウィはそう思うと、走った。


 この狭い路地裏から抜け出すのだ。ブァルデンがいない間に。


「とうさん! ベブルさん! フィナさん!」


 ユーウィは安堵の笑みを湛えて、大通りに飛び出し、三人の元へ帰ってきた。



 この日初めてユーウィは、この明るい太陽に相応しい、輝く笑顔を見せたのだった。


++++++++++

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